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はぁーー、だるい…………
今日は和人と共に菊岡から呼び出しを食らっている。
せっかくの金曜の午前授業だというのに……
俺は憂鬱な気持ちになりながら和人といっしょに菊岡との待ち合わせ場所である銀座のとある店に向かった。
店に入ると
「いらっしゃいませ。2名様でしょうか?」
『いえ、待ち合わせです。』
そう答えると、広い喫茶店を見渡した。
すぐに奥まった窓際の席から無遠慮な大声が俺を呼んだ。
「おーいサイトくん、こっちこっち!」
上品なクラシック音楽の流れる空間に低くさざめいていた談笑が一瞬静止し、非難めいた視線が集中する。
一瞬頭を過った帰ろうかな……という思いを振り切るように、足早に声の主へと近づいた。
俺と和人は菊岡の向かいに腰をかけた。
即座に店員がお冷とお絞り、メニューを持ってきた。
メニューにはとても高校生が頻繁に来れないような額が書いてあったが、テーブルの向こうから陽気に
「ここは僕が持つから好きなものを頼んでいいよ」
というのを聞き、俺は一応礼を言ってメニューに目を通した。
どれも、凝った物ばかりではずれがなさそうである。
俺は、ベイクドチーズとハーブティーを頼みメニューを閉じた。
これだけでも、1500円だ。
まあ、金額のことはさておき俺は切り出した。
「さっそくだが、話しを聞かせてもらおうか。
わざわざ、俺たちを呼んだんだからどうせオンライン関係の仕事だろ?」
そう、俺と和人はALOの事件の真相を突き止めた経験を活かし、特例でオンラインゲームの現状の調査をしているのだ。
調査といっても内容は簡単なもので、対象のゲームのプレイヤー数や年齢層、性別を調べるだけのものだ。
現在、オンラインゲームにおいて性別の変更は禁止されているため、ゲームの性別=リアルの性別となっている。
この菊岡には俺たちの掴んだ須郷の悪事を警察に報告してもらったという借りがあるのだ。
17歳の少年2人がいきなり警察にいっても相手にされなかっただろう。
だが、それが国家公務員なら話しは別だ。
とりわけ、今のところは一応いいやつってことで見てはいるが警戒を解いたわけではない。
話しがそれたが、机の向こうに座っていた菊岡が話しはじめた。
「そうなんだ。今日も君たちにお願いがあって来たんだ。
ここに来て、バーチャルスペース関連犯罪の件数がまた増え気味でねぇ……」
「へぇ。具体的には?」
「ええと……仮想財産の盗難やら毀損の被害届が、11月だけで100件以上。
それに、VRゲーム内のトラブルが原因で起きた傷害事件が13件。
うち一件は傷害致死……こいつは大きく報道されたから君たちも知ってるだろうけど……」
『模造の西洋剣を自分で研いで、新宿駅で振り回して2人殺したって事件だろう。
刃渡り120センチ重さ3.5キロだったか?』
「うん、そう。
ほんと、よくこんなの振れたよね。」
「ヘビープレイのためにドラッグ使ってて錯乱したらしいな……。
その一件だけ見ればまったく救われない話だけど、こう言っちゃなんだが全体でその程度の件数なら……」
「そう、その通り。
全国で起きてる傷害事件の中では微々たる数だし、これを以ってVRMMOゲームが社会不安を醸成している、なんて短絡的な結論は出しゃしないよ。
でもね、君やサイトくんも前に言ってたけど……」
『……“VRMMOゲームは、現実世界で他人を物理的に傷付ける事への心理的障壁を低くする。”だろう?
それは否定しないよ。』
その時、ウェイターが再び歩行音無しで現れ、俺の前にベイクドチーズとハーブティーを置いた。
「以上でお揃いでしょうか」
俺が頷くと、伝票をテーブルの端に裏向きに置いて消える。
「それはそうだろう。
例えばPK推奨のゲームに慣れれば人を殺すことにためらいや躊躇がなくなるのは当然だろう。」
「それに毎日あんなことを繰り返してれば、一丁現実でやってやろうって奴が出てくるのも不思議はないな。」
『何らかの対策は必要だろうが、法規的には無理だろうな。』
「無理かな?」
「無理だな。
ゲームの所為で人を傷つけたということを証明するのは不可能だからな。」
「やっぱり、そうか………」
菊岡は答えが分かっていたのか少しため息をつきながら返事をした。
「しかしねぇ、サイト君、キリト君。
僕は思うんだけどね……なんでPKなんてするんだろうね。
殺しあうよりも仲良くする方が楽しいだろう?」
「……アンタだってALOをプレイしてるんだから、少しは解るだろう。」
『フルダイブ技術が出てくるずっと前から、MMORPGって言うのは奪い合いなんだ。
まぁ、言ってしまえば、エンディングのないネットゲームにユーザーを向かわせるモチベーションは、突き詰めれば……優越感を求める本能的なものなのだろうな。
他者より、強く、かっこよくっていうな」
「ほう?」
口をもぐもぐさせながら、菊岡は説明を求めるように眉を持ち上げる。
内心面倒だと思いながら更に口を開いた。
『……これはゲームに限った話じゃない。
認められたい、人より上に行きたいというのは、この社会の基本的構造そのものだ。
つまり、ゲーム世界も一種の資本主義社会なんだ。』
「アンタだって憶えがあるんじゃないのか。
同じ総務省の官僚でも、自分よりいい大学を出て、学閥パワーで早く出世していく奴は妬ましいし、逆にノンキャリア組に謙られりゃあ気持ちいい。
その劣等感と優越感のバランスが取れてるから、そんな平和な顔してケーキ食ってられるんだろ。」
「言い難いことをハッキリ言うね、君は。
そういうキリト君やサイト君はどうなんだい?
バランス取れてるのかい?
特に、サイト君、君は何ひとつ劣等感なんて感じないだろう?」
「なぜ、そう言い切れる?」
「人が悪いね、分かってるくせに。」
こいつは俺の素姓をなぜか知っているがおれはそのままだんまりをした。
すると和人が
「ただ、俺には明日奈が、
彩斗には明日葉が
いるからな。」
と助け舟を出してくれた。
「なるほど、その一点に於いては僕は君たちがが死ぬほど羨ましい。
今度ALOで女の子を紹介してくれないか。
あのシルフの領主さんなんか、好みだねぇ。」
『言っとくが、口説く時に“僕高級官僚なんだ”なんて言ったら即座に斬られるぞ。』
「彼女になら一度斬られてみたいね。ーーで?」
「で、その優越感て奴だけど、現実世界で手に入れるのは意外に難しいよな。
努力しないとなかなか手に入るもんじゃない。
いい成績を取る努力、スポーツが上達する努力、かっこよく、あるいは可愛くなる努力……どれもえらく時間と気力が必要な上に、おいそれと実を結ぶもんでもないしさ。」
「なるほど。僕も受験では死ぬほど勉強したが、東大には落ちた。」
なぜか嬉しそうに笑いながら言う菊岡に目をやりながら、ハーブティーに口をつけた。
「そこでMMORPGだ。
これは現実を犠牲にして時間をつぎ込めば必ず強くなる。
レアアイテムも手に入る。
もちろんそれも努力だけど、なんせゲームだ。
勉強したり、筋トレしたりするよりも格段に楽しいよ。
高価な装備を着けて、ハイレベル表示をぶらさげて街の大通りを歩けば、自分より弱いキャラクターからの羨望の視線が集まる……というか、集まると錯覚できる。
狩場に行けば圧倒的攻撃力でモンスターを蹴散らし、ピンチのパーティーを救ったりもできる。
感謝され、尊敬されるとーー」
「錯覚できる?」
『……まぁ、これは一方的な見方だが、MMOゲームには他の要素もある。』
「でも、コミュニケーション自体を主眼としたネットワークゲームは昔からあったけど、どれもMMORPGほどには成功しなかった。」
「……なるほどね、そういうゲームでは、優越感を満足させにくかった?」
「そう。ーーそして、VRMMOゲームが出てきた。
こいつはなんせ、街を歩けば実際に他人の視線を感じられるんだからな。
モニタ越しに想像しなくてもいい。」
「フムン。確かに、イグシティで君たちとあの美人姉妹が並んで歩いてるとみんな見惚れるからねぇ。」
「……言い難いことをはっきり言うな。」
和人とがそういい、俺も無言で頷いた。
『ともかくだ。
VRMMOゲームに時間をつぎ込めば、誰でもそれなりになら優越感を手に入れられる。
それは、勉強ができる。とか、サッカーが上手い。とか、莫大な金がある。とか、そんなものよりも、もっとシンプルでプリミティブで、人間の本能に直接的に訴える類のものだ。』
「……つまり……?」
『つまり、だ。
物理的、肉体的な強さ。
自分の手で、相手を破壊できる力。
これはもう、ある種の麻薬だろう。』
「………………すなわち最大の、か。」
菊岡は、どこか懐かしむような口調で呟いた。
「……男の子は、誰しも一度は強さに憧れるものだからね……。
格闘マンガを読んで、同じ修行をしてみたり、さ。
でもまあ、大抵はすぐにそううまく行くもんじゃないと悟って、もっと他の現実的な夢に切り替えていくわけだけど……。
ーーそうか、だが向こうの世界(VRMMO)ならば、その夢の続きをもう一度見られる、ということかい?」
「そういうことだ。」
短く答え、俺はハーブティーに手を伸ばした。
『まぁ、一部の格闘系タイトルは、リアリティを追求するために実在する格闘技の流派と提携したりしているからな。』
「ほう?と言うと?」
「つまり……ゲームの中でキャラを育てると、ナントカ流空手やドコソコ流拳法の達人になれるんだよ。」
『舞台も新宿や渋谷をリアルに再現していて、アウトローな敵キャラを片っ端から鉄拳制裁できる。
まぁ、勿論の事ながら闘技者の心構えとかは教えてくれないから、その手のゲームに嵌り切った人間が、アバターで形だけ覚えた技を現実世界で使ってみたくなる。
又は、一歩進んで使ってしまう。
そういう可能性が皆無だと、私たちには言えないがな。』
「なるほどね……。
VRMMO世界でのが、現実を侵食するわけか。
ねぇ、2人とも。」
菊岡は、再び真剣な顔になり、俺たちを見た。
「それは、本当に心理的なものだけなのだろうかね?」
「……どういう意味だ?」
『……こういうことか?
暴力に対する心理的なハードルを低くしたり、知識や技術を手に入れたりするだけじゃなくて、実際に何らかのフィジカルな影響によって現実プレイヤーの肉体に及ぼす可能性があるんじゃないか。ということか?』
「流石だね。理解が早くて助かるよ。」
「…それは、例えばさっきの、新宿で重さ3キロ半の剣を振り回した男の筋力が、ゲーム世界からの影響によって上昇したものだったりするか……ということか?」
「詳しくはわからないが、感覚系や神経系に及ぼす影響は多少なりとも存在すると思う。」
「ほう、その根拠は?」
「和人は身に覚えがあるんじゃないのか?」
「え……ああ、あれか!」
和人はその経験を思い出したようだ。
「そう、和人がSAOから解放された後、直葉と剣道の試合をしたのがいい証拠だ。
俺たちは2年もの間、寝たきりだったはずなのに和人が竹刀を持った時軽いと言っただろう?
しかし、その竹刀は通常のより少し重めのって直葉が言ったとき和人はなんて答えた?」
俺が和人に問いかけると少し時間かけて思い出してるようだ。
そして、
「……思い出した。
俺は感覚の問題かな?って言った。」
「そのとおりだ。
つまり、本来なら2年間寝たきりだったはずの人間が通常の竹刀より重いのを持ったとき軽いと言わないだろう。
普通なら筋肉が衰え竹刀はおろか、普通のものでさえ重いと感じてもおかしくないだろう。」
俺の話しを聞いた菊岡がメガネをくいっと持ち上げ話しはじめた。
「それは興味深い話だね。
やはり、ヘビープレイヤーにもなるとゲームでの感覚が現実での感覚にも影響を及ぼすことはあるか……
あ、ごめん。ずいぶん遠回りしてしまったけど、今日の本題はこれなんだ。」
菊岡はタブレットを操り、俺たちに差し出した。
和人がそれを受け取り、俺に見えるようにすると、液晶画面に見知らぬ男の顔写真と、住所等のプロフィールが並んでいた。
伸ばしっぱなしの長髪に銀縁メガネ、頬や首にかなりの脂肪がついている。
「誰だ…?」
「…………」
端末を取り返し、菊岡は指先を走らせた。
「ええと、先月……11月の14日だな。
東京都中野区某アパートで、掃除をしていた大家が異臭に気付いた。
発生源と思われる部屋のインターホンを鳴らしても返事がない。
電話にも出ない。
しかし部屋の電気は点いている。
これはということで電子ロックを解錠して踏み込んで、この男……茂村 保(しげむら たもつ)26歳が死んでいるのを発見した。
死後5日半だったらしい。
部屋は散らかっていたが荒らされた様子はなく、遺体はベッドに横になっていた。
その頭に……」
『アミュスフィアがついていた。』
金属リングを2つ重ねた形のヘッドギア型フルダイブ機器だ。
その姿を頭に思い浮かべながら呟くと、菊岡は軽く頷いた。
「その通り。ーーすぐに家族に連絡が行き、変死ということで司法解剖が行われた。
死因は急性心不全となっている。」
「心不全?ってのは心臓が止まったってことだろう?なんで止まったんだ?」
「解らない」
「腑に落ちない点もあるが、犯罪性が薄そうだから詳しく解剖しなかったのだろう?
だか、これ俺たちに話しに来たってことは……」
「そう。彼はほぼ2日に渡って何も食べないで、ログインしっぱなしだったらしい。」
和人はそれに再び眉根を寄せた。
実際問題、その手の話は珍しくはない。
何故なら、此方で食べなくても向こうの世界で食事をすれば、それは数時間持続する偽りの満腹感が得られるからだ。
廃人級と呼ばれるコアなゲーマーには、食事代は浮くし、プレイ時間は増やせるしということで、1日どころか2日に一食という人間も珍しくない。
が、当然ながらそんなことを続ければ体に悪影響を及ぼす。
栄養失調なんてのは当たり前だし、発作を起こすこともある。
そこに一人暮らしが重なればそのまま死亡……なんてこともあるのだから、手に負えない。
だが、今回のは違うのだろうな。
「……確かに悲惨な話だけど……」
「そう、悲惨だが今やよくある話だ。
こういう変死はニュースにならないし、家族もゲーム中に急死なんて話は隠そうとするので統計も取れないしね。
ある意味ではこれもVRMMOによる死の侵食だが……」
『それよりも、だ。この変死事件には今までとは違い、何かあるんだろう?
でなければ、俺たちを呼び出してそれを見せた意味がない。』
「で、何があるんだ?そのケースに。」
「この茂村君のアミュスフィアにインストールされていたVRゲームは1タイトルだけだった。
……知っているかい?」
内心やはりなと思い、菊岡の話しに耳を傾けたのであった。