小説『私と○○』
作者:粉屋 るい粉(こな屋さん@本店)

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―― 私と両親 ――



 私は父の顔を知らない。
 正確に言うなら、実の父の顔を知らない。今の父は義父なのだ。
 というのも私が生まれて間もない頃に母が離婚して、そのまま母に引き取られ、その後私が3歳になるかならないかの時に今の父と再婚したためだ。
 別に実の父の顔が知りたいとか、今の父との血の繋がりに悩んだりはしてない。それだけ、今の父は私にとって実の父以上に父親だったから。
 私には弟と妹がいる。
 今の父と母の子供なので、私との血の繋がりは半分だ。
 でも、それに悩んだことはない。
 血の繋がりなんてものは些細なもので家族である以上、私は弟と妹のお姉ちゃんだから。
 今の父も私と弟や妹とで態度を変えるようなことは無かった。だから、私は今の父がまさか母の再婚相手で私が養子縁組による養子だとは思わなかった。小学校4年生までは。
 この事を知ったのは母との喧嘩だった。
 きっと、母は私が本気にするとは思ってなかったのだろう。
「アンタは養子なんだから調子に乗るな。ここはアンタの家じゃないんだよ」
 この言葉は、4年生になるまでにも何度も聞いた。
 母との喧嘩になる度に聞かされた。
 今までは半信半疑で、まさかそんなわけは無いと思っていた。
 しかし、この時の私は違った。
 何故か、この言葉が引っかかったのだ。
 とはいえ調べる方法など限られている。母に直接訊いたところで返ってくる言葉は容易に想像できる。
 だから私はとりあえず、母が家を空けている時に棚や書類などの入っている引き出しを漁ってみた。 私が養子だという証拠は何一つ見つからなかった。おまけに棚などを漁っていることが母にばれ、とても怒られた。
 それでもやめる事無く探し続けていると、それらしいモノは見つかった。
 苗字の違う母の名前が書いてある封筒だ。
 もちろん母方の祖父母の苗字とも違った。といっても、母方の祖父は祖母の再婚相手で母にとって義父なので、もしかすると前の祖父の苗字だったのかもしれないが。
 しかし、その頃の私は祖父母の事など知らなかったので、「これは確実に実の父親の苗字だ」なんて一人確信していた。
 そして、私は次の行動に移る。
 祖母に直接訊いてみたのだ。
「ねえ、ばあちゃん。私のお父さん(今の父のこと)って本当のお父さんと違うん?」
「何を言うとんね。そんなわけ無いじゃろ」
「でもね、母さんはいつも『お前はこの家の子じゃない』って言うし……」
「そんなん、どの家でも言うよね」
「それにね。母さんの上の名前が違う封筒を見つけたんよ。ばあちゃんとも違っとったし」
 そこまで言うと祖母は黙ってしまった。
 そして、話してくれた。私の今の父は義父で、私だけが今の父と血の繋がりがないことを。
 正直言って辛かった。小学4年生には衝撃が強かった。ぼろぼろ泣いてしまった。
 今でこそ、血の繋がりなど些細なことと流せるようになったがこの頃は無理だった。
 そういえば、兄弟で父に殴られたのは私だけだったなとか、小さい頃嫌いな食べ物を残しただけで一、二時間は家に入れてもらえなかったなとか、色々思い当たることはあった。(実際、父は酔うとすぐキレて幼い頃に何度も私は殴られて庇ってくれた母と父が喧嘩になっていた。弟たちが殴られなかったのは酒を呑んでいる時の父に母が弟たちを近づけなかっただけなのだが。)
 家の中で一人ぼっちのような。父だけでなく、弟や妹とも血の繋がりが無く(性格には半分だが)、私だけが偽者の家族のように思えた。
 この後も母とは何度も喧嘩した。
 喧嘩の中で「アンタの父親は富山におるんじゃけえ、富山行けばええじゃろ」と言われたことで実の父が富山にいることが分かった。他にも色々言われたし、同じようなことも何度も言われた。 
 でも、父は何も言わなかった。
 実の母がこうなのに(もちろん母も母で家族のこと、特に私のことで生半可でない苦労をしていたので仕方ないことないのだが。)父は何一つ態度を変える事無く、私に接してくれた。
 けれど、私にはそれが隠し事を続けているようにしか見えず、父に酷い言葉を投げ、時には殴りあいの喧嘩にもなった。警察が家に来るようなことになったこともある。もちろん、血の繋がり云々のことも言った。
 それでも、父は父親だった。
 私が突然家を飛び出し、数ヵ月後に帰ってきたときも「おかえり」と言ってくれた。
 家を出た理由を訊かれ、全て話した時に父は私を責める事はせず、「そのことを知っているとは思わなかった。隠しているつもりはなかった。理解できる年になったら話そうと思ってた。すまない」と言っていた。
 母も「まさか信じてるとは思わなかった。ごめんなさい」って泣きながら謝ってきた。
 母は私に謝ったことなど一度も無かった。その母が謝ったのだ。母が弟や妹のことで苦労しているのは私が一番知っていた。ましてや、弟は軽い知的障害を抱えている。そんな中、一番上である私まで好き勝手暴れていたのだ。
 それなのに母は泣きながら謝ってきたのだ。
 私も泣きながら謝った。今までしてきたことを。
 そして、この時やっと今の考えになれた。なんで、この時まで気付かなかったのだろう。
 血の繋がりなんて些細なこと。大切なのは愛の深さ。




 私は今まで母や父に贈り物らしい贈り物をしたことがない。
 小学校のころは恥ずかしくて。
 中学校の頃は親を親と思えなくて。
 けれど、今年は何か贈ろうと思う。
 母の日には、母の好きな梅酒を。
 父の日には、父の好きなビールを。

 たまには一緒に呑むのもいいかもしれない。

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