小説『日常の中の非日常』
作者:つばさ()

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そう呟いた私の言葉は、電車がホームにやってくる音にかき消された。

ああ、もう二十分経っていたのか。


「さぁ、君はそろそろ帰らなければいけないんじゃないか?」


カイさんは立ち上がり、私の腕を掴み、引っ張る。てこの原理で、私も立ち上がった。

カイさんが私の背中を押し、電車の中に押し込む。


「『じゃあね、僕の友達。きっともう会う事は無いのだろうけれど、もう一度会える事を願って、ありきたりだけど、この言葉を残そう。またね。』匿名希望の中学生」

「・・・・・・そうですね、匿名希望の怪しい人。どこかでまた会えますように」


電車の扉が閉まる。
その車両には、私以外の人はいなかった。クーラーはついていないのか、天井で扇風機が首を回していた。

私は椅子に腰をおろし、本を取り出して、ある言葉を探す。


「あ、あった」


私が見つけたのは、主人公が、町でたまたま出会って仲良くなった老人と別れる時に言った言葉。


『じゃあね、僕の友達。きっともう会う事は無いのだろうけれど、もう一度会える事を願って、ありきたりだけど、この言葉を残そう。またね』







『次は、根岸。根岸』

自分の最寄りの駅に着いた。私は、今度こそ、その駅に降りた。

ふと、周りを見渡す。何度も見た事のある風景が、そこに広がっている。


空に張り巡らされた電線。立ち並んだ低いビル。昔からある商店街。たった六時間程しか離れていないのに、この町がなぜか懐かしく思えた。

エスカレーターに乗り、改札口を抜けて、太陽の下に出る。太陽は相変わらず私達を照りつけていた。


閑静な住宅街を歩く。


ああ、きっと、お母さんが心配してるな。姉にはきっと、「遅い」と怒られるだろう。

そう思うと、なぜか無性に早く帰りたくなった。
日常が恋しくなって、私は走りだす。

家までは、歩いて約十分だ。走ればきっと、五分と少しくらいで帰れる。


私は、誰もいない細い裏道を、太陽の下を、アスファルトの上を、夢中で走った。
しばらくして、家の前に着いた。中から、お母さん達の話し声が、微かに聞こえる。


私は、安心して小さく微笑みながら、家のチャイムを押した。


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