学園テロ編 妹のできないもの
???
『嗅覚センサー』を誤魔化す為に、匂いの粒子そのものを化学物質に作り変える洗浄剤を手に入れた。
これで、こちらの位置を一方的に探知されるのは防げたはずだ。
それでも現状況は中々に厳しい。
まず第一に、能力を使えない。
バッテリーはまだあるのだが、このAIM拡散力場が狂っている状況下で、迂闊に演算を行えば、暴走し自滅する恐れがある。
この原因が何なのかは未だに不明だが、それでもバッテリーの事もあるし、今は能力を使わない方が良いだろう。
そして第二に、打ち止めの捜索が困難。
位置が不明なのもあるが、例え打ち止めの身柄を確保したとしても、ハイエナどもと乱戦になってしまえば流れ弾を喰う羽目になりかねない。
従って、面倒だが数を減らしながら、虱潰しに捜すしかない。
最後、第三に、<猟犬部隊>に囲まれた。
この能力が使えず、治安維持が麻痺している状況下は、能力者でなく、実戦兵器を装備している非正規工作員集団に大変有利な事だろう。
『嗅覚センサー』でハイエナらしくこちらの匂いを嗅ぎつけた奴らは、わざとセキュリティに足を引っ掛け、監視カメラに尻尾を振って、ご丁寧に挑発してきた。
これでは、最低でも奴らを相手にしなければ、本命の捜索には手が回せない。
しかし、これは予め想定済みだ。
きっと向こうは涎ダラダラにして、追い詰められた『赤ずきん』に、さあさあどう齧り付こうかと悩んでいるかもしれないが、ここについた時から、『匂い』の痕跡を辿りながらあとを追って来るであろう『狼』に対して『おもてなし』の準備は、洗浄剤の捜索と同時に進めてある。
つまり、第三だけは訂正で、飼い主の命に従って、匂いに釣られてやってきた駄犬どもはこの『犬小屋』に入れば、それで最後だ。
丸裸で“遊んでやる”のはこれが初めてなので、加減を間違って、無傷では済まさず鳴かせてしまうだろうが躾けてやるにはちょうどいいだろう。
と、モニタから様子を窺っていた一方通行の隣から、もう1人の『赤ずきん』、上条詩歌が、
「では、あー君、手を貸してください」
「あン?」
断りを入れるが了承を待つ事なく、無理矢理、一方通行の杖を抱えている方とは反対の、放りだされた左手を詩歌は両手で包み込むように捕まえる。
必然、杖付きの身で逆側に引っ張られれば、体はいとも簡単に傾き、たたらを踏んでしまう。
従って、彼女の手の平に体重の負荷がかかってしまうのだが、こちらはバランスを崩さず、
「オイ、いきなり何を―――」
そして、真っ赤な瞳に凄まれても、表情を崩さずに、
「<一方通行>、同調」
体に、心に―――すうっと冷たい感覚が流れ込んだ。
心地良い、清涼な香り。
一方通行の中で、透明な水が隅々まで通り抜けるように、ベクトル操作を邪魔する枷が、未だに燻っていた残り火を鎮め、癒していく。
「あー君の力の乱れを正常にしています。どうですか? 楽に慣れましたか?」
<幻想投影>で、元の状態を投影し、『同調』により、強化や進化といった『上化』だけでなく力を生み出す源泉――心の異常を『浄化』する術を詩歌は会得している。
肉体的な傷はとにかく、精神的な痛みは和らげる事ができる。
一方通行も原因不明のしこりが洗い流され、薄まり、消えていく。
でも、それよりも、
「ああ……触れねェと駄目なのか?」
「ええ、触れなくてもできますが、単純な『同調』とは勝手が違って、結構繊細な作業なので、距離が離れ過ぎると疲れるんです」
その左手を包む両手。
皮膚に触れる指先の意外な冷たさや柔らかさの感覚に、心臓が高鳴る。
理由があり、彼女も真剣であり、戦闘前に不安要素を取り除くためであり、つまりは、100%“ただの善意”のため、そして、それを意識してしまっている事を悟られたくない。
理由を話せないし、手を離せないし、この感覚を放せない。
ぞわぞわと、さわさわと、こちらを優しく侵略していくが、それでいて不快ではなく―――自然と受け入れてしまう温かな感情が、その白い少年の一番奥にふわりと灯る。
それを認めてしまうのがどうしても腹立たしく、
『オマエの皮膚の五割を剥いでやる。それでもまだ生きてたら許してやるっつってンだよ』
そして、この手はやはり汚れている。
両者ともその肌の色は白いが、一方通行の目には自分の手は彼女と対比して黒く写っている。
「……離せ。もう十分だ」
「ん……、もういいですね。これならいざという時に能力を発動して問題ありませんね」
そして、念のためもう一度だけ『同調』すると頷いて、彼女は手を離した。
ありとあらゆる能力を使いこなす<幻想投影>。
同じ<一方通行>を使っても、自分と彼女ではその方向性(ベクトル)は真逆だ。
もし彼女に<一方通行>があっても、決して自分のように怪物にはならないだろう。
でも……
『私も打ち止めさんは心配です。そして、あー君がそう思っているのと同じように―――あー君。私はもう、あなたの手を汚させたくない』
もし……
もし………
『この一方通行という怪物が、誰も殺す事なく、人を救えたのなら』……
そんな不可能ができたのなら……彼女のわがままに付き合うのも悪くないのかもしれない。
(チッ……平和ボケしてヤキでも回ってンのか)
そうして、『赤ずきん』は覚醒する。
第三資源再生処理施設
「『匂い』の反応からするとやはりこの第三資源再生処理施設へ続いているわ」
「厄介な所に逃げ込まれたな、ナンシー」
「ええ、でも、2人も標的がいるならむしろラッキーよ」
第三資源再生処理施設。
第5学区にあり、2km四方にわたる広大な敷地には、直径100m超の円筒形の燃料タンクがズラリと並んでいたり、無数の煙突が突き立った工場があったりと、どこか海岸の石油化学コンビナートを連想させる。
この巨大施設は、周辺4つの学区からのゴミも面倒を見ており、元々の資源が乏しい学園都市では、基本的な紙資源から、鉄やアルミといった金属、ゴムやプラスチックなどの石油製品、その他にも多くの物質を無駄にはできない。
その為にゴミという『資源』を回収し、使える形に加工するの施設がここである。
つまり、このクズみたいな人間が戦う場所としては、あまりにもうってつけだ。
<猟犬部隊>。
学園都市の裏で非合法活動を担当する組織。
リーダーは木原数多で、他のメンバーは全員が数多に命名されたコードネームで呼ばれている。
ヴェーラ、オーソン、ケインズ、マイク、デニス、ナンシー…………と男女問わず皆揃って軽蔑すべきクソ野郎だ。
事件の容疑者を追い詰める快感にのめり込んだ元<警備員>や、取り調べに『傷の付かない拷問』を持ち込んだ分析技術者、14人もの人間を殺した殺人犯など。
連帯感もなにも仲間なんて言葉は存在しない組織だが、1つだけ絶対がある。
それは、木原数多には逆らわない。
もしあの男が怒り狂えば、“殺してさえも”もらえないだろう。
どんな怪物だろうと、殺す程度しかできない奴とは、格が違うのだ。
故に、ここに合流したクズどもは、因縁があり邪魔するであろう第1位と、それに巻き込まれ、木原数多の怒りを買ってしまった憐れな少女を死んでも捕まえる。
装備を確認し、警報装置も全て切断、建物内の見取り図も<書庫>から入手済み。
この施設にターゲットがいるのはおそらく、この『嗅覚センサー』を誤魔化す為であろうが、残念な事にもう見つけてしまった。
今の<猟犬部隊>はこちらをいきなり奇襲してきた正体不明の敵に対する陽動、打ち止めを追っている別働隊、木原数多の周囲を固めるガード係など、あちこちに戦力を分散してしまっているが、幸いにしてここにターゲット2人が固まっている為、10人、10人の計20人集まっている。
相手を逃がさぬよう、1部隊10人とし、慎重に二手に分かれて挟み打ちで攻める。
けれど、
「ヤツが力を使って突破してきたらどうする」
「大丈夫」
ロッドの声にナンシーは施設へ視線を向ける。
そこにあるのは分厚いコンクリートに金属製のパイプが何重にも絡み付いているような重工業施設のような建物。
きっとこの工場内は、外部との電波通信の精度は落ちるだろうし、その上、資源再利用のために、ベルトコンベアやプレス機など、かなりの大型モーターが稼働しており、強力な電磁波が撒き散らされている。
第1位は、脳に大きな怪我を負っており、今はある電子情報網から代理演算を任せる事で能力が使える状態で、この中では完全には使えないだろうし、暴発の危険があるためほぼ確実に施設内では能力を使わない。
もう1人の少女の存在が不気味だが、第1位以上の脅威はありえないだろうし、それに、『今はどんな能力者であろうと能力を使うだけで自滅する』という木原数多の意見がある。
木原数多の言葉は絶対だ。
信頼できるできないの問題ではない。
なので、自滅覚悟まで追い詰める前に、一気に対象を始末する。
「あそこにいるのは杖が無ければ歩けない手負いの獣と、そのツレの可哀想な少女だけ」
そうして、狼たちは『犬小屋』の中へと音もなく侵入した―――瞬間、
「よ―――」
視界が、真っ白に埋め尽くされた。
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『あー君、『三枚のお札』という昔話って、憶えてます?』
『あン? この前テメェがガキに読んでいた奴かァ?』
『あれって、似ている所がありますけど猟師に助けられた『赤ずきん』とは違って、『小僧』はちゃんと後を追ってくる山姥に和尚様のお札を使って自力で脱走しているんですよね。そこが今の私達の教訓になると思うんです』
『ふうン』
『つまり、逃げるなら、まず罠を仕掛けろという事です。<警備員(りょうし)>さんの助けが無い私達は『赤ずきん』じゃなくて『小僧』を見習うべきです』
『『三枚のお札』はそォいう話じゃねェ気が済ンだが。だから、こうメンドくせェ仕掛け作ってンのか』
『ええ、能力があまり使えるような状況じゃありませんから。でも、死なない程度に『味付け』は調整してありますけど料理と同じようにちゃんと舌の肥えた人も唸らせるように『隠し味』も入れてあります。こう見えても私、昔親友に誘われて、爆弾――じゃなくて、花火を作った事もあるんです。今度教えましょうか?』
『結構だ。……ンで、その奇妙なカードは何だ?』
『これはこの前、イギリスから私のお兄ちゃんに送られてきた『和尚様』からの『お札』です』
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建物中には罠が仕掛けられていた。
罠といっても、ほとんどが至極単純なワイヤー・トラップ―――と見せかけたただのハリボテだ。
慎重にワイヤーの先を辿ってみれば、ただ柱に結ばれているだけである。
それでも、その中のいくつかは、忍者仕込みの実に凝った作りになっており、また本当に爆弾が仕掛けられているので子供騙しと馬鹿にはできない。
現に、引っ掛かって重体になり、任務続行不可能な者もいる|(そいつらはそのまま放置した)。
しかし、この薄暗い中で、極薄のワイヤーを見分けるのは時間がかかり……
「5個目のトラップを発見……またダミーです」
「また……?」
「もう全部ダミーじゃないのか? 所詮は穴熊に追い詰められた鼠の悪あがきだ」
「けど……そう思わせる為のダミーじゃないのか? 一緒に逃げたオーソンの装備の中には起爆剤も入ってたんだぞ」
兵隊にも種類がある。
ジャングルでの活動に人質を巡る交渉術は必要ないし
都市型のスナイパーは無人島での生き方を覚えなくても問題はない。
無駄を省き、その時間を別に回し、1つ1つの分野に特化した訓練法を採用するからこそ、尖った実力の特殊な部隊が数多く作られる。
<猟犬部隊>は工作員として優秀ではあるが、ゲリラ戦の訓練までは積んでいない。
つまり、今の状況は、砂漠戦の為に訓練を積んだ兵隊たちが北極圏の雪山を歩かされるようなものに等しい。
「対象はまだこの建物内にいる。慌てずにゆっくりと仕留めればいい」
こちらの方が数は上で、向こうを追い詰めている立場に変わりない。
しかし、逆に奥へ奥へと誘い込まれているような悪寒も拭いきれないのだ。
そう、落ちた『栗』を辿って山姥の住処に踏み込んでしまった『小僧』のように……
「くそっ、調子に乗りやがって! ガキのくせに!」
「おい! 勝手な行動は慎め―――」
隊員の1人がこの一歩一歩も油断できない緊張に痺れを切らし、まだ確かめていない罠を踏み切った。
「馬鹿野郎!」
踏み切った隊員を除く全員がその場に伏せる。
が、反応は………ない。
「ははっ、そら見ろ! きっとアイツら臆病風に吹かれているテメェらを見て笑ってんだぜ! 俺達はプロだぞ! なのにこんなふざけたハッタリに怯えてんじゃねぇよ! こうしている間に逃げちまうぞ! だから、さっさと化けの皮を剥いでやろうぜ―――ん? 何だこれ」
そして、彼は壁に貼られたカード。
『爆ぜろ』と書かれたメモが添えられ、奇妙な文字のカードに触れ――――
「は――――」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
魔術においてもっとも簡単な発動儀式は『触れる』ことだ。
このカードはルーンにかけては天才的な赤髪の神父が作ったもので触れれば、大きな爆発音、それから、少しの火花が飛び散るというパーティグッズのようなものだ|(とある愚兄への呪詛はかなり込められているが)。
しかし、この魔術を知らない工作員には、意図知れず自分で術式を発動させてしまった。
その原因不明の爆発が起きたとパニックになるきっかけには充分で、近くにあった本命の『罠』を発動させ、それが他のもドミノ倒しのように爆発を連鎖させてしまった。
そして、それはヴェーラにとっては一瞬の出来事だった。
「ひっ、一体何なのよう」
電波障害でとぎれとぎれになる無線の向こうから聞こえた連続した激しい音は、別働隊が喰らってであろう、凄まじい『罠』の威力を間接的に物語っていた。
そして、その影響は彼女だけでない。
その無線を聞いた全隊員にも伝播している。
『罠』を解除する術を身に付けたはずの別働隊が、引っ掛かってしまった。
無線機から漏れる呻き声で死んではいないがパニックになっているのは伝わってくる。
今のは一体何だったのだ!?
どこに仕掛けがあったのだ!?
ワイヤー・トラップ以外にも何かあるぞ!?
これは悪魔の仕業か!?
わからないわからないわからないわからないわからないわからないわからないわからない……
<猟犬部隊>を不安に陥れ、ますます足を遅く、そして思考を単純にしていく。
この『赤ずきん』、殺しはできないが、半殺しは得意中の得意だ|(ついでにドS)。
そして、大切なものを狙う輩に慈悲などない。
「え―――」
背後でフッと立ち上った気配に背筋をゾクリと舐め上げられ、息を詰まらされた瞬間、膝関節を横から蹴り飛ばされた。
蹴られた膝から、ゴキリ、と嫌な音が響き、全身が痺れるような痛みを感じてバランスを崩した瞬間、下がった顎に下から膝蹴りを叩き込まれ、目の前に盛大な星が飛ぶ。
人間にはリアクションタイムがあり、平均的な時間は15秒。
奇襲を受けてから普通の人間は数秒無防備だ。
不味い、と思った時にはすでに立っている事もできず。
「師匠が教えてくれたのは、武術だけじゃなく、ゲリラ戦法もあるんですよ」
咄嗟に壁に手を着こうと伸ばした手を掴み上げられ、そのまま肩と肘の関節を固められ、ガードもできないまま顔面を何度も何度も硬い壁に叩きつけられ、
「あ、大丈夫ですよ、寝てても。ゆっくりとおやすみなさい」
その声を最後に、ヴェーラは意識を失った。
そして、少女は落ちた無線機を拾うと、
「さてさて、俎板の上の『狼』は『猟師』にお任せしますか」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カキン、と。
その時、小さな金属音がケインズの思考を遮った。
「!?」
ケインズ達は一斉にそちらへ銃口を向ける。
しかしそこには誰もいない。
隠れるスペースもない。
ケインズは体勢を保ったまま、すぐ近くにいる同僚に目と指を使ってコンタクトを取る。
「(……機材を出すものとは独立した音だったな)」
「(……俺も同感だ。だが人にいるにしては、隠れる場所が無い。何より有利なポイントとは思えない)」
「(……何か音の出る物を投げたという可能性は?)」
「(……だとすると、標的はすぐ近くに潜んでいる事になる)」
全員に緊張が走る。
「(……おい。『嗅覚センサー』は)」
「(……待て。今、分析が終わる)」
鼓動が速くなる。
引き金に掛かる人差し指が小刻みに震えた。
皮膚と手袋の間に、うっすらと汗が湿る。
直後、
『……聞こえるか。ワイヤー……以外にも何かがある。……迂闊に動くな……危険……』
『……ぐがッ、……く、……かか、……かかか………!』
『……奴らは銃を使ってくる。気を付けろ。奴―――』
『一方通行が暴走! 至急こちらに応援を! 応―――』
『なっ、出入り口に待ち構えて―――』
『バギョッ!! ………ザザ…ザ……』
「(……全員無線を切れ!)」
もうどれが本物で嘘かも分からない。
分からないのは分かっているのだが、これを聞いていると、もしかすると既に自分らを除く全員が餌食になったのでは、などと連想してしまう。
“信じない”という事が、出来なくなってしまうのだ。
これ以上の混乱を避けるために、彼らはすぐに無線機を切る。
「(……最悪だ……。最悪の1日よ)」
しかし、無線を切った、同僚との繋がりを断絶した途端、急に心細くなってきた。
精神面からボロボロに追い詰め、まともな判断能力を奪い、やがて、呆然と立ち尽くすだけしかできなくなってしまう。
と、さらに、
ガチン、と。
今度は全ての照明が一斉に消えた。
まるでタイミングを計ったような暗闇。
光や音を使って緊張を促し、こちらの心理面を徹底的に追い詰める。
まずい。
もし……ここでいたずらに引き金を引けば、密集している味方に被害が出る。
銃口を上に向けても、周囲は壁も天井も金属の塊だ。
ばら撒かれた弾丸は辺りを跳ね返ってこちらに牙を向くだろう。
銃の安全装置の事まで意識が向かない。
このガチガチの指先を下手に動かせば、それだけで引き金を引いてしまいそうだ。
向こうはこちらが暗視装備を持っていない事に気付いている。
「(……待て!!)」
咄嗟に目でコンタクトを取ったが、暗闇である為に相手に届かない。
声で咄嗟に伝えるのが1番だが、それでは『敵』にこちらの居場所を伝える羽目になる。
ドッドッドッ!! と心臓の鼓動が不気味に響く。
引き金の指が震える。
自分達は一体誰と戦っている?
これまでの一方通行は、わざわざ武器など使わず、地形なども考慮せず、全ての障害を自分の超能力だけで薙ぎ払って前進するだけだった。
だから、能力を制限されている今なら戦略次第でいくらでも倒せる相手だと思っていた。
しかし、それは違った。
今、全員生存しているこの状況が単に運が良かっただけだと思ったが、違う。
武器を使い
建物も利用し、
こちらの心理を先読みし、弄び、
単純に怒りに任せて叩き殺すのではなく、相手の精神を集中砲火する。
と、その時、
パアアァン……と。
“空砲”が炸裂した。
それは、誰も殺していない。
だが、『恐怖』が彼らの心を撃ち、冷静さを奪い、そして、『死』を錯覚させた。
「あ――――」
プッツリ、と意識のブレーカーを落とした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こちらの作戦の目的は、徹底的に<猟犬部隊>の脅威である『銃器』と『集団』を無力化にし、この『犬小屋』の中に閉じ込める事だ。
迂闊に動けなくするように大量の『ダミートラップ』を仕掛けたり、
無線で『味方』を演じて不信感を抱かせ『集団』を『個人』に変え、
暗闇にして『同士討ち』の危険性を上げ『銃器』の使用を制限する。
そして、最後に『恐怖』に脳のキャパシティを超えるほど火を付ければ、人は簡単に失神する。
能力を使わない、この手の恐怖をあおる戦術は一方通行にとって今日が初めてだったが、相手は面白いほど引っ掛かった。
恐怖というのは人間共通のもので、その利用法は上手く使えば相手を殺さずに仕留められる。
この蜘蛛の巣の如くワイヤー・トラップに動きが縛られ、さらにギミックの飛び出すタイミングから沈黙のインターバルまで、その全てを大脳生理学的に計算し尽くし、必ず恐慌状態へ陥らせるプログラムの『犬小屋(お化け屋敷)』から出られないだろう。
根性論でどうにかできる恐怖ではなく、脳の信号的な面から感情を叩きつけられ、攻撃する事も、連絡取る事も、そして、逃げる事も出来なくなってしまえば、あとはもう意識を失うしかない|(ちなみにワイヤーは相手がプレス機やベルトコンベアなど危険な機材に近寄らせないよう安全柵として張り巡らされていた面もある)。
『嗅覚センサー』を誤魔化す洗浄剤を使い、追跡を断った後、2人は第三資源再生処理施設を後にする。
「とりあえず、これで<猟犬部隊>も動けないでしょう」
「ああ、つくづくテメェは敵に回したくねェ奴だと良く分かった」
「お、ついに友達宣言ですか?」
「違ェ。単に性格が悪いっつって―――「おっと手が滑ったー♪」―――ぐほっ」
何であれ、これで<猟犬部隊>の妨害は終わりにして、打ち止めの捜索に集中すべきだ。
この現状の報告を木原数多が耳にすれば、さらに怒り狂い、こちらに刺客を差し向けてくるだろうがむしろ好都合だ。
『目的の打ち止めを奪う前に、とにかく目の前のコイツらを何とかしなくてはならない』と思わせれば勝機は広がる。
こちらの危険性は高まるが、……問題はないだろう。
と、そこで彼らは思考を切った。
地面に血の跡がある。
点々と続く赤い染み。
敵兵は全て計算通りに動かし、恐怖を煽り、建物内に閉じ込めたが、脱出した者がいる。
「……、」
血のルートを辿る限り、敵の足はおぼつかず、集中もあちらこちらへ飛んでいる。
極度の恐怖によって、何に対しても怯えている状態だ。
まあ、自分だけでなく、この隣にいる腹黒い奴の心理操作はえげつなかったから仕方ないだろう。
「……これは誘導か」
「いえ、その可能性は薄いでしょう。たまたま運良く脱出できたというか……でも、この具合からしてまだ遠くには行っていないはずです」
先に行っています、と詩歌は走りだす。
彼女に限って、この<猟犬部隊>に不意を打たれるという事はありえない。
ああ呑気に見えても、その警戒心は高い。
待ち構えられていても、一目で看破するだろう。
それでも。
チッ、と一方通行も杖代わりのショットガンをついて、歩行のペースを上げる。
そして、開けた道に出ると、
「―――、」
よたよたと逃げ急ぐ黒づくめの男の背中が、まず視界に入った。
そして、その向こうに巨大な―――『駆動鎧』がいた。
<猟犬部隊>の新手かと思ったが、違う。
あの『MAR』と書かれた文字の下にある『三又の矛』をモチーフにデザインしたマークは黄泉川の<警備員>と同じだ。
けれど、妙な事に一方通行は、あの<警備員>から、<猟犬部隊>と同じ“匂い”を感じた。
『邪魔者は排除しろ』
機械音声の温かさの欠片もない声が聞こえた。
『駆動鎧』は、腕に取り付けられた機関砲の狙いを付けた。
その照準は、黒づくめの男に向いていた。
「おい! アンタら街の人間を守る<警備員>なんだろ! だったら俺を保護しろよ!」
男はそれに気付いていない。
彼はただ<警備員>に助けを求めている。
殺されるなんて考えてすらいない。
誰でも死んだら生き返らない。
命が奪われれば、全ての可能性は失われる。
なのに、一方通行は見逃す。
殺さないが、クズを助ける理由もない。
第一、今この場で能力を使う方が危険だ。
しかし、一方通行は1人の少女の事も見逃してしまっていた。
「バカ、早く逃げなさい!」
詩歌が悲鳴を上げて叫ぶ。
しかし、男は気付かない。
むしろ、彼女のほうを怖がってしまっている。
「くっ―――」
説得は不可能だと判断した詩歌は、なりふり構わず一方通行の能力を発動させ、黒づくめの盾になるように前に立った。
彼女は、誰かが殺されるのをただじっと見ている事はできない。
そして。
この後。
『人を殺せないのではなく、人を死なせることができないのだ』、と一方通行はその致命的な弱点を痛感する事になる。
つづく