学園テロ編 勇者と怪物と人間
道中
「あ―――」
倒れた。
突っ伏した。
横倒しになった。
積み重なった。
―――黒づくめの連中、<猟犬部隊>が。
「なるほど、『勇者になれ』っつうのはこの為か」
上条当麻は先の電話での詩歌の助言を思い出す。
『ペルセウス』。
神と人間の間に生まれたギリシャ神話の勇者であり、アテナの青銅の盾、ヘルメスの空を飛ぶサンダル、ハデスの隠れ兜など様々な助力を得て、一睨みだけで石にする怪物メドゥーサの首を切り落とした。
そして、『ペルセウス』は、海の怪物の人身御供に選ばれてしまった王女アンドロメダを救う為に―――その『メドゥーサの首』を使った。
そう、つまり、妹は『コスプレして、ヴェントの<天罰術式>を使え』と言ったのだ。
<天罰術式>は例え、遠距離の荒い写真からでも、下手をすれば話を聞いて連想しただけでも、『前方のヴェント』に対して敵意を抱けば発動条件は満たしてしまう。
本人の意図かどうかは関係なく。
文字通り天が与える罰を、<幻想殺し>を持つ上条当麻を除いて、この<天罰>を防ぐ事は敵わない。
ファミレスにあった黄色いカーテンをアレンジして、ヴェントに似せた衣装に身を包んだ上条当麻は無人の野を行くが如く、<猟犬部隊>の部隊を突破する。
「くそ……」
しかし、<天罰術式>。
自分に敵意を向けたモノを直接間接関係無しに問答無用で打ち倒す魔術。
最初、説明された時は、さぞかし便利な力だと思った。
今も<猟犬部隊>を倒せたのはこの力のおかげだ。
だが、その術式は逆に言えば、多くの人間から常に敵意を浴び続けるような環境でなければ、全く役に立たない。
本当に全世界の人間から恨まれるような『疫病神』にヴェントはなったのだ。
他人から敵意を受けなければ効果を発揮できず、そして、抑制するには世界の闇に身を潜めるしかない。
人の好意など全て拒絶し、ただ只管にそれが『自分のせいで殺されてしまった弟』への贖罪になると信じて、破壊に走る姉。
実際になってみて、改めて実感し、そして、思う。
「絶対に止めてやる! こんなの誰も望んじゃいねぇ!」
上条当麻は<天罰>に守られし黄色い衣を剥ぎ取り、路上へ放り捨てる。
『ペルセウス』。
ギリシャ神話の英雄になった彼の1番の武器は、剣でも、盾でも、サンダルでも、兜でも、そして、怪物の首でもなく―――その身に秘めた勇気である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ばしゃばしゃと水溜りを踏む音と鳴らし、真っ白い修道服がずぶ濡れになるのを構わず、インデックスは走っていた。
無茶している賢妹の事、暴れている友達の事、それらがインデックスの心を引き寄せるが、それでもこの『核』の元へ向かう。
直接的な戦闘力の無い自分は、煉獄の『鬼』を抑える事はできないだろうし、<天罰>を振り撒く『疫病神』の足止めもできない。
元々<禁書目録>は他人を傷つける魔術師と戦う存在なのに、10万3000冊の魔導書を丸暗記している筈なのに、なんと心許ない。
「あ、……」
目の前の道を立ち塞ぐように、脇道から黒づくめの連中が現れた。
<猟犬部隊>。
インデックスは『科学』に関して知識は疎いが、それでも、彼らが自分を狙っている事は、その視線から発せられる殺気で良く分かる。
あの爆風の騒ぎで傷一つつかせなかった特製の修道服を身に纏っているものの、彼らの兵器は自分の命を十分に奪える事を理解している。
魔術師ではないただの人間である彼らに<魔滅の声>も<強制詠唱>も通じず、頼れる武器は何もない。
今すぐ引き返すべきか、詩歌が来るのを待つべきか、しかし、事態は一刻も争う。
迷いが生まれインデックスの足が止まり、<猟犬部隊>がそのコンクリートさえも易々貫通するサブマシンガンの銃口をこちらに向けた―――その時、
「―――ったく、面倒事に巻き込まれるわよね」
後ろから、新たな声がした。
これほどの状況であっても、全員の意識を惹きつけずにおかない声だった。
能力者の頂点に立つLevel5、圧倒的存在感がそこにはあった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『あ、ようやく繋がった。流石、『ハンディアンテナ』サービスよねぇ。こんな時でも繋がるんだから』
『御坂か! 悪ぃけど、今のんびりお話しできる状況じゃないんだが』
『はぁー……やっぱり、何だか訳が分からないけど、またアンタはデカい問題に巻き込まれてるって事なのね』
『ま、まぁそうだけど』
『それに詩歌さんも加わっている、と』
『……ああ』
『わかった。なら、修道女を狙っている黒づくめの連中は悪者って訳ね』
『何!?』
『あ、ごめんごめん。事後承諾で、もう始めちゃってるから』
『御坂ッ!!』
『あとそれから罰ゲーム』
『何だって!?』
『何でも言う事聞くって話! 今日1日はまだ有効だからね、アンタは『必ず友達を助けてくる』事!! 分かった!?』
『……ッ! 必ず守る! だからテメェも死ぬんじゃねぇぞ!!』
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
携帯電話をしまい、傘を放り捨てる。
(罰ゲーム、か。結局、こんなモンに使っちゃうなんてなぁ……)
全く損な役回りだ、と御坂美琴は溜息をつく。
でもまぁ、仕方ない。
友達を助けるために命を張ると言っているのだ。
それに『あの兄妹が戦うのなら無条件で力になる』、それは美琴の中で決められたルールの1つだ。
「だとしても、この黒服達が邪魔しなかったら、ちょっとはマシな罰ゲームができたのかもしれないのよねぇ」
前面の、磁力で浮かせた鋼鉄のマンホールの蓋や水道管や看板などの急造の盾が、一斉射撃を防ぎきると、ゲームセンターのコインを真上に弾いて―――
―――超電磁砲を発射。
御坂美琴の通り名ともなった音速の3倍で放たれた一条の閃光。
<猟犬部隊>に直撃こそしなかったが、街き散らされる衝撃波だけで吹き飛ばし、灰色の粉塵が舞う。
それが雨粒に撃ち落とされる前に、雷撃の槍が乱射される。
直接的な戦闘力を持ち、絶大な力を誇る<超電磁砲>と対抗するには、最低でも軍単位の戦闘に特化した兵隊が必要だ。
非正規工作員の部隊など、太刀打ちできるはずが無い。
そして、煙が晴れた先には、道を切り開かれていた。
「ほら。さっさと行きなさい。友達を助けるんでしょ? コイツらの相手は私がしてあげるから」
「うん! ありがとう、短髪!」
「美琴サマと呼びなさい!」
礼を言うとインデックスは走り始めた。
美琴の好意に甘えて。
風斬氷華を助けるために。
「―――さて、私は今とってもムシャクシャしている」
そして。
後から増援にやってきたハイエナどもに美琴は最後の警告をする。
「逃げないってんなら、それなりに死ぬ気で来なさいよ」
上条兄妹の敵であるなら、御坂美琴に加減は無く、そして、負ける気はしなかった。
別荘
「ははっ、スゲーなオイ! ありゃあ一体何なんだ!?」
廃ビルのオフィス――<猟犬部隊>の『別荘』で、木原数多は歓声をあげた。
いきなり飛び出し、あちこちのビルを切り崩した大量の『羽』。
それを見た第一印象は、<天使>。
木原数多は『非科学(オカルト)』を否定しない。
科学の最先端にいるからこそ、その言葉は現実味を帯びるのだ。
何千何万と実験を行っている木原数多だからこそ、時々出てくる理論だけでは演算できいない妙な数値の存在を認知している。
だから、
「ちくしょう、悔しい!」
木原数多はこの光景に喝采をあげる。
まるっきり分からないのだ。
彼がしたのは、事務所の上に寝かせている<最終信号>の頭に『ウィルス』を流し込み、再起動させただけで、<天使>の出現理論については聞かされていない。
上層部から渡された『ウィルス』の名前は、ひねりもなく『ANGEL』と言う事から、どう考えても無関係でない事だけは分かる。
だが、ヒントを与えられてもこの『科学』に愛されし、<木原>には答えが出せない。
科学とは無縁の存在が、科学によって顕現させた事は、つまり、科学はその領域にまで踏み入れたのだ。
この前人未到の境地を成し遂げた学園都市統括理事長(アレイスター)は、このイカレた科学者、木原数多さえも呆れ果ててしまほど、理論が蒸発しているとしか思えないぶっ飛んだ思考の狂学者だ。
「飛んでやがるなぁアレイスターッ!! 理論のりの字も分かんねーぞ!? 科学者のくせに科学を否定するたぁ、何たる科学者だよオイ!!」
彼の周りの警護に努めている5人の<猟犬部隊>は、この光景を現実として認識するかどうかで、脳の処理機能がいっぱいいっぱいになっている。
「アイツを使って学園都市の敵をぶっ潰すのが目的かよ! 確かにあんなモン用意すりゃあ、大抵の野郎ァどうにでもなっちまうだろうな。外周部に誰がへばりついてたか知らねぇが残念でした! 見ろよテメェら! <天使>なんざ持ち出しやがって、非核三原則どころの騒ぎじゃねぇぞ!! 聖書ってのはいつから飛び出す絵本になっちまったんだぁオイ!?」
理解できない、その理解すらも拒絶してしまっているが主人の機嫌を損ねないためにも、部下達はのろのろと言葉に従って、埃の被ったガラス窓から外を見た―――が、捉えたのは、遠くに見える<天使>の姿ではなく、
『悪魔』――窓を蹴り破り空から突っ込んできた一方通行の姿だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「木ィィィ原くゥゥゥゥゥゥゥゥン!!」
既に能力使用モードを解放している。
ガッシャァァ!! とガラスの悲鳴が炸裂し、突入と同時に1番窓際にいた黒づくめの1人を反対側の壁まで蹴り飛ばす。
ダラダラと揺らぐ真っ赤に染まった瞳は、生死を確認などせず、ただターゲットを正確に捕捉し、一寸の躊躇いもなくショットガンの引き金を引く。
狙いは胸から腹にかけての全部。
喰らえば完全に致命傷だ。
と、数多は近くにいた自分の部下を前方へ突き飛ばし、盾にする。
『うわっ』と間抜けな声を出して散弾が吐き出される銃口の真ん前に躍り出た部下は、全身で弾丸を受け止め、血を撒き散らしながら転がった。
木原数多は己の為に命を散らした部下に、嘆き悲しむ事など当然するはずもなく、気にも留めず、顔面のパーツが壊れそうなほど爆笑をあげる。
「ちゃーんと狙って撃てよぉ! じゃねーと皆の迷惑だぜぇ!!」
一方通行は、あからさまな挑発を無視し、うろたえつつも慌てて武器を構える黒ずくめ達へザッと視線を走らせる。
このターゲットにしてみれば肉の盾にしても良いくらいに使い捨ての駒に過ぎないだろうが、コイツらは<猟犬部隊>。
あの男と同様に、自分以外の全てを犠牲にしてでも生き残ろうとするクズと同じだ。
だから、『自分は命令されただけだから許して下さい』なんて台詞を吐く権利など与えない。
「イイぜェ! まずは周りからスクラップにしてやる!!」
ゴガン! と脚力のベクトルを操作し、<猟犬部隊>の1人の懐へ突っ込む。
ショットガンは使わず、代わりに5本の指を伸ばす。
狙いは装甲服に取り付けられたナイフや拳銃、その右肩に備えつけられた4つの手榴弾。
そのピンの穴に人差し指から小指までを通して、一気に引き抜く。
同時に腹に蹴りをぶちこみ、ボーリングのようにもう1人の<猟犬部隊>を巻き込んで薙ぎ倒し―――人間爆弾が起爆。
破片を撒き散らすタイプの手榴弾が、血と肉を飛び散らせた。
突入時に1人、肉の盾に1人、そして今ので2人。
最初は5人いた部下も後1人。
「ひっ!?」
ギロリと目を向けられた最後の男は、咄嗟に事務机の上に転がっている―――打ち止めを掴み起こす。
天井亜雄の時と同じように、<学習装置>で無理な処理を加えられたのか、意識を失い、ぐったりとしている。
一方通行の武器は、細かい狙いの効かないショットガンだ。
人質を取れば攻撃を阻止できるとでも思ったのだろう―――が、
「―――、」
『悪魔』の目の色が変わった。
再度脚力のベクトルを操作し、一瞬で真横まで距離を詰めると、ショットガンで打った。
撃つのではなく、打つ。
1mを超える金属製の重心をフルスイングし、ハイエナの顔面をぐしゃりと強制整形。
あまりの衝撃にショットガンもバラバラに砕け散り、細かいスプリングやマガジンに収まっていた筒状の弾丸が宙を舞う。
鼻っ柱が凹んだ男は空中で竹トンボのように4回転し、それから床に激突。
宙に放り出された打ち止めの身体を片手で支えると、テーブルの上へと優しく置き直す。
そして、全ての元凶、木原数多と対峙する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これで邪魔な護衛部隊は全滅。
「カッコイーッ!! 一皮剥けやがって、惚れちゃいそーだぜ一方通行!!」
しかし、ゲラゲラと木原数多の余裕が崩れた調子は無い。
「にっしても、1人でやってくるとはなー!! あの小娘はどうした? まさか、途中で死んじまってリタイアしちまったのかなァッ?」
一瞬、一方通行の目の色が変わる。
だが、すぐに口角を吊り上げ、
「ハッ、テメェと一緒に地獄に落ちンのは俺1人で十分だ」
木原数多は<一方通行>を知り尽くしている。
例え触れただけで全身の血を逆流にし、血管や内臓をボロボロにさせる悪魔の手を持っていたとしても、『絶対に当たらないので問題ない』。
『少しでも触れたら死ぬ』なんて緊張はなく、ただ研究通りの動きをすればいい。
それにこの狭い部屋の中に打ち止めがいる以上、派手な行動はできない。
核兵器の爆風を受けても髪の毛1本揺るがせない絶対の壁――『反射』であっても、『向かってきた力を逆方向に向け直すだけのものでしかない』。
このボクシングのジャブを何十倍も精密にした拳で『反射』の保護膜に触れるか否かのラインで寸止めすれば、簡単に突破できてしまう。
もしベクトル制御を修正しようが、拳をターン修正すれば問題ない。
攻撃も、防御も通じない。
能力さえなければ、ただの貧弱なクソガキ。
だから、化物を研究し尽くし、攻略法を整えた化物殺しの木原数多が、化物に負ける要因は、ない。
「ぎゃはは!! このクソ野郎が! どの面下げて俺の前に立ってんだぁ!?」
恐れもなく、油断もなく、加減もなく、木原数多は、一方通行へと距離を詰め、
「オマエこそ誰ェ敵に回したか分かってンのか」
―――ドン!!
爆心地
ここは学生向けと言うにはやや敷居の高い高層ビルのデパートや有名な企業が立ち並ぶ第7学区の一角だった。
学校帰りに寄る事こそなかったが、休日にそのデパートに入っている雑誌に紹介されたレストランへ詩歌とインデックスと一緒に出かけた事もある。
そこが、思い出の欠片もない、見るも無残な瓦礫の廃墟へ変わり果てていた。
「……、」
世紀末、と言うべきか。
爆心地から半径100m前後の建物は残さず廃墟にされており、所々半壊のビルもあるが、それがまるで巨人の腕で乱雑にもぎ取った生々しい爪跡にも見え、こちらの心を揺さぶる。
『前方のヴェント』の<天罰>を受けて動けない人達はたくさんいる。
きっとこの大規模な倒壊が起きたすぐ近くにも。
瓦礫の山の中に一体どれだけの人達が埋まっているのか。
レスキューがやってきたとして、どれだけの人間を救出できるのか。
予想はしていたが、想像できず、神経が麻痺する。
現実のショックにフラフラと体の芯が抜かれたような感覚に囚われつつも、爆心地のさらに中心点へ目をやった。
―――そこに<天使>が1人いた。
あの<神の力(ガブリエル)>、ミーシャ=クロイツェフと同じように、灰燼や土砂降りの雨にも翳る事のない眩い10〜100mの巨大な羽に反して、その接続された本体は人間と同じ。
ただミーシャの突き刺す冷気のような雰囲気に対し、こちらは蒸し暑い部屋に充満した接着剤の匂いを嗅いでいるような不快感を覚える。
当麻から100m程離れた所にいる不自然な人工の<天使>は、ゆっくりと移動していた。
か細い2本の足で歩いているだけのはずだが、彼女が1歩1歩を踏み出すごとに、ズン……と低い振動が伝わる。
(かざ、きり……)
あの<天使>。
茶色の長い髪を横に一房だけゴムで束ね、知的な細いフレームのメガネはどこか少しずり落ちており、その下にはその性格同様に気弱そうな顔立ちがあったはずだ。
しかし。
今、目の前にあるのは当麻の記憶とはかけ離れていた。
グラリと垂れた頭、半開きの唇から半端に飛び出す舌。
眼球は見開かれており、細かい文字を追うように不規則に揺れている。
制服が涎と雨水で濡れてしまっているが、それを拭う気配は皆無。
そして、何らかの制約により、涙を流す感情さえも許されていない。
その頭上、外側に鉛筆のような棒が無数にある直径50cmほどの輪から、まるで糸でも伸びているかのように、回転速度が変動する度に、風斬の手足は動く。
不気味に、直径を広げたり狭めたりを繰り返し、ガチャガチャガチャガチャ!! と高速で出し入れする。
そう、あの風斬氷華の頭の中にあった、手足に合わせて動く三角柱のパーツのように。
「っ――」
視線を逸らす。
頭蓋骨いっぱいに電極を刺して人間を操るよりも寒気を感じさせる光景を、当麻は見ていられなかった。
これでは死体を見ている方がまだマシだった。
それでも、止めなければならないと、当麻は心の底からそう思った。
理由など要らない。
「風斬ィィいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!!」
論理的ではなく、ただ本能的に当麻は叫んだ。
声が届いたのか、どこかを目指して歩いていた風斬の足が、ピタリと止まり、その首が、ゆっくりと当麻の方へ―――しかし、
ガガガリッ!! と。
金属を擦るような音共に、歪な天使の輪が高速回転。
悲鳴のような声をあげて抵抗するも風斬の動きは強制的に止められ、ギギギ、と震えながら元の位置へ修正される。
不自然に首を捻ったまま、行動再開。
バチッ!! と羽と羽が接近する度に、放電するかのように青白く瞬く光を発散。
そのチカチカッ、と周囲で妙な光は、天使の輪と同調しているようなタイミングで瞬き、そして、その光に誘導されるように風斬の身体が強引に動かされる。
まるで重度の強迫神経症のように、自我を無視せざるを得ない、命令に逆らうことをどうしても恐れてしまう。
あの光が次々と注意点を飛ばし、いくら擦り減らそうが精神的に動きを誘導する。
風斬の人としての心など完全に無視して。
(くそ……ふざけんじゃねぇぞ!!)
思わず駆け寄ろうとしたが―――途中で止まる。
近づいてどうするのだ。
その幻想を問答無用で砕くことしかできない右手で、彼女を救えるのか。
「ちくしょう……ッ!!」
歯を食い縛り、行き場を失った拳の行方を瓦礫に叩きつける。
ここに埋まっている人達を助けられない。
暴走している風斬を救えない。
あまりにも小さ過ぎて、惨めな自分ができるのは―――
「おやおや。大罪人同士、キズの舐め合いでもやってるトコだったかしら」
―――『疫病神』を止める事だけだ。
別荘
ごぼっ、と。
口から血の塊が吐き出される。
「惨めだなァ、オイ」
こんなはずじゃなかった。
報告で、あの不確定要素は戦線から離脱したはずで、相手は怒り狂ってまともな思考ができないはずだ。
だから、ここで膝をつくのはそちらの方で、こちらが床を這いずる理由などなかった――なのに、今の立場は予想とは逆転していた。
膝をつき、見上げた先に相手はとびっきり侮蔑の表情を浮かべていた。
そう、
「木ィ原クンよォ」
一方通行が、木原数多を見下ろしていた。
物理的衝撃よりも、精神的衝撃の方が大きく、思考回路が空回りし、熱をあげる。
「ふさけ、やがって。このクソガキがァ!」
拳を握り、立ち上がる木原数多の姿を、一方通行は冷ややかな視線を投げつける。
木原数多が、<一方通行>を全て知り尽くし、攻撃が通じない事は重々承知している。
しかし、それは“あくまで”性格面、能力面、運動面など一方通行の使うベクトル操作にのみ有効な手段であると。
もし、学園都市最強の化物を軽くあしらうような英雄であったならば、同じ<一方通行>を操る上条詩歌の攻撃に全く対応できなかったはずがなかった。
事実、木原数多は今回の作戦で一方通行以外の人間を潰す時にはあの奇襲時の例外を除いて部下を差し向け、自分は表に出ないよう徹底していた。
『一手合わせてみましたが、あの木原数多と言う研究者は、その非凡なセンスに優れた体術と膨大な研究データを元に<一方通行>攻略法を組み上げられる天才的な頭脳を持ち合わせています。きっとこの必殺戦術の前には高確率であー君は負けるでしょう。『大富豪』で例えるなら、<一方通行>は何でもできる最強の『ジョーカー』ですが、向こうはその『ジョーカー』に唯一単独で勝つことのできる『スペードの3』です。―――だから、向こうはあー君よりも私の存在を恐れているに違いありません』
ワンボックスで移動中に、あまりにもブルブルと報復を恐れる<猟犬部隊>のオーソンを説き伏せた彼女の述べた講釈。
つまり、
『木原数多は、化物を倒せる英雄なものかもしれませんが、人間(あなた)が決して敵わない相手じゃありません。だから、ギネス記録を簡単に更新したり、世界の三大事件を四大事件に平気でやってのけるとか凄い人物だと虚勢を効かせて部下の反乱を防いでいるのでしょう。恐怖政治を敷き、メッキを付けた少し人間よりも優秀な天才に過ぎません。『ジョーカー』には絶対の力を持つ『スペードの3』ですが、ローカルルールなしにただの『3』と考えれば、これより強い手札は“いくらでも”存在します。例えば、もし拳銃を前にすれば―――』
どんなに強力なカードにも弱点があるように、どんなに雑魚でも上手く使えば切り札にもなり得る。
そして、最も有用なカード捌きは『そのカードを出すはずが無い』と思い込ませる事だ。
そう、『戦う相手の想像の外へ出る』のは<木原>のやり方だ。
これは木原数多が一方通行に教えていないし、今までの行動パターンからは予測できない事だ。
つまり、ベクトル操作しか能がなかった化物にこの方法を思い付かせてしまった者は、おそらくあの不安要素だった小娘であり、意図的かどうかは関係無しに、きっと彼女は紛れもなく、<木原>以上の素質がある。
ここに来てない程度でその影響力を甘く見たのが間違いだった。
「―――所詮、アイツと比べれば、テメェは拳銃の弾すら避ける事もできねェ、そこらで転がっているクズに少し毛が生えた程度で大差ねぇ雑魚なンだよ」
ショットガンが壊れ丸腰になったと思い込んだ木原数多の腹を撃ち抜いたのは、杖に使っているショットガンとは別の、隠し持った『掌に収まるほど小さな拳銃』。
そう、<猟犬部隊>の装備品の1つで、一方通行が『犬小屋』で最後の仕上げの闇撃ちに使ったものだ。
ただし、『統括理事会』襲撃時に弾を補填した為、仕上げの時の脅しとは違い、実弾が入っているが。
「さて、アイツにド突かれたのは鳩尾だっけなァ」
人間は怪物に喰われ、
怪物は英雄に倒され、
英雄は人間に殺される。
拳銃は、大人が使おうと子供が使おうと同等の威力を発揮する『人間』の武器だ。
化物殺しの英雄は所詮、人間の身体と大差なく、急所を撃たれれば呆気なく死ぬ。
「小娘にやられっ放しは可哀想だからなァ―――俺が上書きしてやンよォ」
外す事など考えられない距離の的に銃口を合わせ、指先が滑らかに引き金を引く。
刹那に閃く銃火と轟音。
狙いを過たぬその1発は、木原数多の鳩尾を撃ち抜いた。
「ぐふっ」
くの字に体は折れ曲がり、両手で鳩尾を押さえて、再度床に崩れた。
両膝を降り、綿埃と毛先が同化したカーペットの上に額がぶつかりそうになる。
「―――っそが。馬鹿に、しやがって。殺してやる……絶対、ぶっ殺し…てやる」
それでも気炎を吐くが――もう、木原数多は、戦えないだろう。
鉛玉を2発も風穴を開けられ、動くのがやっとの身体で、数多の編み出した『金槌レベルの破壊力を顕微鏡サイズで制御する』戦闘術は困難で、僅かな震えも許されない『反射』破りの精密な『拳を返す』特殊な殴り方は不可能だ。
もう木原数多の化けの皮は剥がされたと言っても良い。
「残念だが、もうチェックメイトだァ木原くゥゥん」
「ッ!!?」
「ハッ、テメェの言う通り、散々ムカつきっ放しだったクソ野郎が、目の前で敗北に打ちひしがれる瞬間に勝利宣言ってのは、面白れェよ。だがよォ、どォやら俺の舌には合わねェよォだなァ」
床に倒れた木原数多に向けて拳銃を、連射。
無表情で、引き金を引き続ける。
しかし、どうしても急所を撃ち抜く事ができず、あと残弾1発の所で不意に止めてしまう。
(殺せ。とにかく殺せ!! コイツを殺せば全てが終わる! 他の事ァ何にも考えンな。どの道、俺ァもォ光の道に帰れねェ。なら木原と一緒に地獄に落ちる事だけを考えろ!!)
最後の1発を頭に向ける。
どんな化物も頭を狙えば、死ぬ。
早く、引き金を引け―――
全てを終わらせろ―――
―――躊躇う理由なんてない
―――何の為にここに来た。
(俺は、打ち止めを助けるンだ)
木原数多ごときに時間をかけている余裕はない。
早く打ち止めの頭にぶち込んだ『ウィルス』のオリジナルスクリプトを見つけ、ワクチンを逆算し、廃棄オフィスの片隅に転がっている<学習装置>を使って……
なのに、引き金が、重い。
『あー君。私はもう、あなたの手を汚させたくない』
今になって、彼女の言葉が思い出してしまう。
『殺す為になんて使わせないから、この銃に弾は必要ないです』
この小型拳銃は、元はアイツが用意したものだ。
誰も殺させない、そんな甘い戯言をほざきながら……
もう吹っ切れて、今日だけで何人もの殺したはずなのに、この拳銃で人の命を奪う事に、どうしても躊躇いが生まれてしまう。
(なめ、やがって……)
こめかみの血管が不気味に脈動し、木原数多の眼球が、一気に血走る。
一方通行の迷いが、雰囲気だけで思い知らされる。
馬鹿にしやがって、もう勝った気になっているのか。
(このままじゃ死なねぇ。絶対に道連れにしてやる。絶望に叩き込んでやる。その為に何をすれば良いんだよ)
思考が一気に回る。
一方通行にとって何が弱点で、何が急所で、何をされるのが最もつらい事なのか。
演出、脚本、効果、それら全てひっくるめて、最悪のシナリオを導き出す。
(あはっ、これがあるじゃねーか)
鳩尾を押さえた自分の手を素早く白衣の内側へ突っ込み、1枚のチップを探り当てる。
そう、打ち止めの脳に打ち込まれた『ウィルス』のオリジナルスクリプトだ。
<学習装置>を使って彼女の頭を治療するにしても、このデータは絶対に必要。
これが無ければ打ち止めは絶対に助からない。
一方通行の勝利条件である打ち止めの救出を果たせなくなる。
このチップを、木原数多は、一方通行の目の前まで持ち上げると―――
―――グシャリ、と掌で包んで握りつぶした。
「ぎゃはははははははははッ!!」
もう痛みなどどうでも良くなった。
ただそのチップの正体に気付き、それが破壊された意味を導き―――苦悶と屈辱を浮かべる奴の顔を見れて、大満足だ。
憎悪に歪んだ視線に晒されながらも、廃棄オフィスを揺るがすほど嘲りに包まれた爆笑を上げ続ける。
「ざまあみろ! 勝利条件は1つじゃねぇ! 存分に悔しがれよこのクソガキ!! 俺はテメェの大切なモノを踏みにじってぶっ壊してやったんだ! テメェはもう何にも取り戻す事ぁできねぇんだよ!!」
そうだった。
これは自分の住んでいた世界だった。
加減も容赦も情けも救いもない。
善も悪も死ぬ。
隙を見せれば殺されてしまう。
「あははあはぎゃはは―――「クソがアアアアアアアアァァァッ!!!」」
絶望に啼きながら引き金を引き、木原数多の顔が吹き飛び、脳漿が飛び散った。
脳天を一方通行はとうとう撃ち抜いた。
最後まで木原数多は笑って逝き、逆に一方通行の瞳からは光が、消えた。
空になった小型拳銃を落とし、膝をつく。
あの医者の言っていた台詞が甦る。
目的は1つに絞れ。
全くその通りだ。
例え“2人を”敵に回してでも助けるべきだったのだ。
彼女達すら敵に回すのに、何故他の人間に躊躇しなくてはならない。
それなのに最後の最後でつまらない情に振り回されてしまうなんて……
―――そんなに一方通行はこの期に及んで、幸せを掴みたかったのか。
馬鹿だった。
そんな馬鹿のせいで最後の望みを断ってしまった。
しかし、救いは一方通行と打ち止めを見捨てなかった。
「いた!! あの子だ!!」
廃棄オフィスに、ずぶ濡れの白い修道服を引き摺った、インデックス踏み込んできた。
つづく