010◆閑話2◆あの女に鉄槌を
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塩野グループ本社。
私は業務課で売上担当をしている。同じく売上担当の岡村早苗は私の後輩でもある。
私たちは中々上手くやっていると思う。
お互いに向上心があり、真面目でもある。残業も厭わず受け入れる。
――実際に残業は無いけど。
理由は、私たち自身が仕事を勤務時間内に済ます事が出来るから……だったら良かった。
私たちは努力も惜しまない。
しかし、現実は厳しい。実際には手助けが無いと、時間内に仕事が終らない日が増えるだけだったろう。
――あんなヤツに。
その女の担当は仕入だ。故に、私たちが請求書を発行するのとは逆に、他社からの請求書を元に支払い予定表を作成する。
彼女が入社する迄は、私たちも納品書片手に仕入れ処理を手伝った。
その代わりに、仕入担当の村上さんも、私たちが忙しい時は売上処理を手伝ってくれた。
〆日には互いに残業していた。
あの女が入社してから、残業は皆無と迄は云わないが、殆ど無くなった。
あの女が有能なのは、私たちだって認める。
しかし、あのヤル気の無さは何なんだ?私たちを莫迦にしているとしか思えない!
私たちが仕入処理をする事は無くなった。
別に嫌がらせでは無い。
あの女は嫌いだが、仕事に私情なんか持ち込まない。単に、必要が無いだけだ。
あの女はヤル気は無い癖に、仕事の速さはかなりのものだ。
岡村は……私もだが、だからこそ、あの女が物凄く嫌いなのだろう。
何で、ヤル気も無いのに。努力もしないのに。
あの女には、能力だけは有るのか。
私たちは仕入れを手伝わなくなったが、あの女は売上処理をする。
原田課長が、思い出した様に、あの女の手に伝票を渡す。
あの女が、自分が担当する仕事だけ処理していたら、暇になるからだ。
足をブラブラさせて、ボンヤリと空を見つめる。
何度、そんな姿を見たか知れない。
――ムカつく。
それでも。
手伝って貰っているのは私たちなのだ。
私は、一応先輩として、岡村の怒りを宥める。
そして。
原田課長は、時々、私たちを宥める。
主任は何もしない。
この人はしかし……何をしに会社に来てるのだろうか?
いや。上司なのだから、私たちには解らない領域の何かをしているのだろう。
そうとでも思わないとやっていけない。
原田課長が売上の仕事を回すようになって、あの女の暇そうな姿は「余り」見られなくなった。
皆無には成らなかった。
課長の与える仕事量が少なかった時に、課長が不在のタイミングが重なると、やはり暇そうにする姿が見られる。
私たちには処理仕切れない仕事量を、当たり前に熟して……あくびをする。
――殴りたい。
切実に思った。
毎回思う。
いつか痛い目に遭えば良いのに。
いつか、あの女より有能で、あの女とは違ってちゃんとした人が、あの女に正義の鉄槌を下すと良いのだ!!
私は割と真剣に夢見ていた。
自分には無理だから、他力本願だけど。
でもって。
夢は叶った。
新入社員は赤毛の美人。落ち着いた物腰。穏やかで、少し冷めた眼差し。もの柔らかではあるが、感情を覚らせない営業用の話し方。
――新入社員???
違うだろう。
どう見ても。
課長より課長らしいと云うか、主任なんかミジンコに見えるし。
三人が相対した光景に、ここで一番役職が高い人が誰かと聞かれたら、私は彼女を指差すだろう……そう思った。
佐倉真由美さん。
それが新入社員の名前だった。
私の机から見たら、斜め右手にあの女の机が位置する。
あの女から見たら、斜め左手に私。
つまり互いによく見える。だから、しょっちゅう腹を立てる私が居るのだが。
因みに距離も近いから、普通の声なら充分聴こえる。
別に、盗み聞きした訳でも無いけどね。
なんだろ?
ちょっと不穏な感じ?
どうやら支払い予定表が間違っていたようだ。
当然支払いは差し止め。見直しが必要だろうね。
なのに、あの女は経理がOKしてるから、先方に確認したから、とか云ってる。
呆れちゃうわね。
私は課長に報告すべく席を立った。
背中に声を聞きながら。
佐倉さんはマトモな感性の持ち主らしい。
そして、本当にあの女は莫迦じゃ無いのか?
学生の時に誰かが云ってたわね。
勉強が出来ても莫迦は莫迦だって。
あの女はその見本みたいなヤツだと思うわね。
「お話中失礼します。済みません。原田課長……っ。」
打ち合わせブースを覗いて、課長の名前を呼んだその時。
「気にしなさい!」
一瞬にして静まり返ったのは、その恫喝に含まれた威圧感が理由だと思う。
然して大きな声でも無かった。
一応、部署内くらいには響いたみたいだけど。
「間に合わなかったか。」
私は呟いた。
何だかワクワクするのは、それが正義の鉄槌に聴こえたからだ。
あの女より有能な人が、あの女に鉄槌を下す。
――まさにこの展開!
面白くなってきた。
なんて事は口にしてはダメだろうけどね。
振り返った先では、佐倉さんが山里に説教をしている。
笑いを堪え乍ら、私はブースの出入口から脇に避けた。
打ち合わせ中だった三人が三様の驚きを示し、佐倉さんに叱られるあの女を見つめる。
課長が唖然とした表情で、掠れた声を出した。
「何があったんだ、波多野くん??」
私は教えてあげた。
あなた方が承認印を押した支払い予定表が、間違っていたみたいだよ?って事を。
もちろん恨みは買いたく無いから、あなた方が承認印を押した……の部分は省いて口にしたけど。
でも。口にしない言葉も彼らの中で勝手に生まれたらしい。
サッと蒼くなって、慌ただしく管理課長に挨拶して、バタバタと書類を集めて移動する。
「何かおかしいのが有ったか?」
「済みません。解りません。」
私も戻るところだったから、小声でのやり取りがモロに聴こえて笑いだしそうだった。
いや、笑い事では無いけどね。
野次馬なのか管理課長も着いて来た。
どういう成り行きか、いつの間にか上層部が集まっている。
私は、漏れ聴こえる声に、反省していた。
本当に、面白がる話では無かったのに。
そして。
私なら尻込みして絶対無理だと思うけど。
能力以前の、とんでもない強心臓を持つらしい佐倉さんは、説教を続けた。
どう考えても。
途中から、説教の対象が変わっていた。
山里から。
あの上層部の連中に。
「怖い……あの新人。」
その日、岡村は云った。
佐倉さんが不在の時に口に出された台詞だけど、それでも囁くような小声だった。
私はそっと頷いた。
あんな風に静かな声音で、淡々と説教をする若い女性が居るだろうか?
口元には微かな笑みさえ浮かべ、ひっそりと嗤い乍ら穏やかと呼べるくらい静かな、だけど冷ややかな眼差し。
怒らせてはならぬ人物とは、ああ云う人を呼ぶのだろう。
私はそう思った。
後に、佐倉さんの怒る姿は、亡くなった真弓部長そっくりだと聞いた。
次期社長の呼び声高かった真弓部長は、いつも穏やかで優しい雰囲気だったから、凄く驚いた。
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