小説『真弓が真由美になりました』
作者:みき(かとう みき◆小説部屋◆)

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010◆閑話2◆あの女に鉄槌を

☆☆☆

 塩野グループ本社。
 私は業務課で売上担当をしている。同じく売上担当の岡村早苗は私の後輩でもある。
 私たちは中々上手くやっていると思う。
 お互いに向上心があり、真面目でもある。残業も厭わず受け入れる。

――実際に残業は無いけど。

 理由は、私たち自身が仕事を勤務時間内に済ます事が出来るから……だったら良かった。
 私たちは努力も惜しまない。
 しかし、現実は厳しい。実際には手助けが無いと、時間内に仕事が終らない日が増えるだけだったろう。

――あんなヤツに。

 その女の担当は仕入だ。故に、私たちが請求書を発行するのとは逆に、他社からの請求書を元に支払い予定表を作成する。
 彼女が入社する迄は、私たちも納品書片手に仕入れ処理を手伝った。
 その代わりに、仕入担当の村上さんも、私たちが忙しい時は売上処理を手伝ってくれた。
 〆日には互いに残業していた。

 あの女が入社してから、残業は皆無と迄は云わないが、殆ど無くなった。
 あの女が有能なのは、私たちだって認める。
 しかし、あのヤル気の無さは何なんだ?私たちを莫迦にしているとしか思えない!

 私たちが仕入処理をする事は無くなった。
 別に嫌がらせでは無い。
 あの女は嫌いだが、仕事に私情なんか持ち込まない。単に、必要が無いだけだ。
 あの女はヤル気は無い癖に、仕事の速さはかなりのものだ。

 岡村は……私もだが、だからこそ、あの女が物凄く嫌いなのだろう。
 何で、ヤル気も無いのに。努力もしないのに。
 あの女には、能力だけは有るのか。

 私たちは仕入れを手伝わなくなったが、あの女は売上処理をする。
 原田課長が、思い出した様に、あの女の手に伝票を渡す。
 あの女が、自分が担当する仕事だけ処理していたら、暇になるからだ。
 足をブラブラさせて、ボンヤリと空を見つめる。
 何度、そんな姿を見たか知れない。

――ムカつく。

 それでも。
 手伝って貰っているのは私たちなのだ。
 私は、一応先輩として、岡村の怒りを宥める。

 そして。
 原田課長は、時々、私たちを宥める。

 主任は何もしない。
 この人はしかし……何をしに会社に来てるのだろうか?
 いや。上司なのだから、私たちには解らない領域の何かをしているのだろう。
 そうとでも思わないとやっていけない。

 原田課長が売上の仕事を回すようになって、あの女の暇そうな姿は「余り」見られなくなった。
 皆無には成らなかった。
 課長の与える仕事量が少なかった時に、課長が不在のタイミングが重なると、やはり暇そうにする姿が見られる。

 私たちには処理仕切れない仕事量を、当たり前に熟して……あくびをする。

――殴りたい。

 切実に思った。
 毎回思う。
 いつか痛い目に遭えば良いのに。
 いつか、あの女より有能で、あの女とは違ってちゃんとした人が、あの女に正義の鉄槌を下すと良いのだ!!

 私は割と真剣に夢見ていた。
 自分には無理だから、他力本願だけど。


 でもって。
 夢は叶った。

 新入社員は赤毛の美人。落ち着いた物腰。穏やかで、少し冷めた眼差し。もの柔らかではあるが、感情を覚らせない営業用の話し方。

――新入社員???

 違うだろう。
 どう見ても。
 課長より課長らしいと云うか、主任なんかミジンコに見えるし。
 三人が相対した光景に、ここで一番役職が高い人が誰かと聞かれたら、私は彼女を指差すだろう……そう思った。

 佐倉真由美さん。
 それが新入社員の名前だった。
 私の机から見たら、斜め右手にあの女の机が位置する。
 あの女から見たら、斜め左手に私。
 つまり互いによく見える。だから、しょっちゅう腹を立てる私が居るのだが。

 因みに距離も近いから、普通の声なら充分聴こえる。
 別に、盗み聞きした訳でも無いけどね。

 なんだろ?
 ちょっと不穏な感じ?

 どうやら支払い予定表が間違っていたようだ。
 当然支払いは差し止め。見直しが必要だろうね。
 なのに、あの女は経理がOKしてるから、先方に確認したから、とか云ってる。
 呆れちゃうわね。

 私は課長に報告すべく席を立った。
 背中に声を聞きながら。
 佐倉さんはマトモな感性の持ち主らしい。
 そして、本当にあの女は莫迦じゃ無いのか?
 学生の時に誰かが云ってたわね。
 勉強が出来ても莫迦は莫迦だって。

 あの女はその見本みたいなヤツだと思うわね。

「お話中失礼します。済みません。原田課長……っ。」

 打ち合わせブースを覗いて、課長の名前を呼んだその時。

「気にしなさい!」

 一瞬にして静まり返ったのは、その恫喝に含まれた威圧感が理由だと思う。
 然して大きな声でも無かった。
 一応、部署内くらいには響いたみたいだけど。

「間に合わなかったか。」

 私は呟いた。
 何だかワクワクするのは、それが正義の鉄槌に聴こえたからだ。
 あの女より有能な人が、あの女に鉄槌を下す。

――まさにこの展開!

 面白くなってきた。
 なんて事は口にしてはダメだろうけどね。
 振り返った先では、佐倉さんが山里に説教をしている。


 笑いを堪え乍ら、私はブースの出入口から脇に避けた。

 打ち合わせ中だった三人が三様の驚きを示し、佐倉さんに叱られるあの女を見つめる。
 課長が唖然とした表情で、掠れた声を出した。

「何があったんだ、波多野くん??」

 私は教えてあげた。
 あなた方が承認印を押した支払い予定表が、間違っていたみたいだよ?って事を。
 もちろん恨みは買いたく無いから、あなた方が承認印を押した……の部分は省いて口にしたけど。

 でも。口にしない言葉も彼らの中で勝手に生まれたらしい。
 サッと蒼くなって、慌ただしく管理課長に挨拶して、バタバタと書類を集めて移動する。

「何かおかしいのが有ったか?」
「済みません。解りません。」

 私も戻るところだったから、小声でのやり取りがモロに聴こえて笑いだしそうだった。
 いや、笑い事では無いけどね。

 野次馬なのか管理課長も着いて来た。
 どういう成り行きか、いつの間にか上層部が集まっている。

 私は、漏れ聴こえる声に、反省していた。
 本当に、面白がる話では無かったのに。

 そして。
 私なら尻込みして絶対無理だと思うけど。
 能力以前の、とんでもない強心臓を持つらしい佐倉さんは、説教を続けた。

 どう考えても。
 途中から、説教の対象が変わっていた。
 山里から。
 あの上層部の連中に。

「怖い……あの新人。」

 その日、岡村は云った。
 佐倉さんが不在の時に口に出された台詞だけど、それでも囁くような小声だった。
 私はそっと頷いた。

 あんな風に静かな声音で、淡々と説教をする若い女性が居るだろうか?
 口元には微かな笑みさえ浮かべ、ひっそりと嗤い乍ら穏やかと呼べるくらい静かな、だけど冷ややかな眼差し。

 怒らせてはならぬ人物とは、ああ云う人を呼ぶのだろう。

 私はそう思った。

 後に、佐倉さんの怒る姿は、亡くなった真弓部長そっくりだと聞いた。

 次期社長の呼び声高かった真弓部長は、いつも穏やかで優しい雰囲気だったから、凄く驚いた。

☆☆☆


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