小説『真弓が真由美になりました』
作者:みき(かとう みき◆小説部屋◆)

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013◆閑話5◆後輩だと気付いた

☆☆☆

 月間予定表を見つめて、うんうんと唸る山里に気付いて、岡村が声を掛けた。

「どうしたの?」
「これと、これの、どっちの優先順位が先か解らないんです。」

 うちひしがれた、子犬の眼差しが岡村を見上げた。

「うっ……何て攻撃を!」

 意味不明な呟きに、キョトンとする山里。更に攻撃をくらう岡村。
 波多野が嘆息して立ち上がる。

「はいはい。何処が解んないの?」

 お姉さんである。
 時にはこうしたお巫山戯も交えつつ、仕事の手を休めると云う程の事も無い。
 理想的な職場。

 に、見える。

 業務課の課長は、その光景から目を背けた。
 これを成したのは、自分では無い。
 少し悔しい課長だった。
 本音は、物凄く悔しい課長だった。

 だが、課長は同じ事が起きれば、やはり同じようにする自分を知っている。
 上手くいったから、今回は羨望を呼んだ。下手をしたら、恐怖しか無い気がする。
 原田課長が恐怖しか感じないような状況になっても、あの若い女性は動じないだろう事も理解する。

 原田が尊敬する先輩と同じように、当たり前のように、容易い事だと立ち向かうだろう。
 少しばかり自分が情けなくもあるが、これが自分の選択した道だった。
 後悔をするつもりはない。
 課長は心中納得して、その女性がもたらした平和な光景に視線を戻した。

 妬心を捨てれば、有難いと素直に思えた。
 業務課の原田課長は、穏やかに微笑んだ。
 原田のこの諦念と取られかねない精神こそが、今は亡き真弓正孝も認めた美点のひとつである。



「さて、休憩しようか?」

 15時になったので、波多野は休憩を告げた。

「はあい。昨日戴いたカステラが食べたいです!」
「はいはい。山里もそれで良い?」

 元気よく宣言する岡村を軽くいなして、波多野は山里に微笑いかけた。
 少し考えて、頷く。
 キータッチはべらぼうに速いが、言動はノンビリした山里だった。

「そういや、佐倉さんて経理部に何しに行かれたんです?山里知ってる?」

 山里はゆっくりと首を振る。
 波多野が代わりに答えた。

「さっき結城に聞いたわ。管理で残ってた連中が覗き見してたって。」
「え?何なに?何があったんですか!?」

 野次馬根性が旺盛な岡村が、波多野に詰め寄った。
 波多野は乱暴に岡村を引き剥がす。

「痛いでしょう!まったく。」
「済みません。ごめんなさい。教えて下さいませ。お代官あ!」
「誰が代官だ。」

 お巫山戯には混ざらない迄も、山里も興味津々で眸がキラキラしていた。

「君はもはや佐倉さんの信奉者ね。」

 波多野の台詞に照らいなく頷く山里である。
 生温い眼差しが子犬に注がれた。

「木崎主任が誘いに来たらしいよ。」
「ふうん?理由は?」
「予算決めの確認。笑顔を浮かべて紳士的に、だけどしつこく話しかけてたらしい。」
「ええっ!?」

 何それ見たかった!!とエキサイトする岡村。

「そして、それを迷惑に感じたらしく、邪険に追い返した佐倉さんが居たそうな。」
「あははは!!」

 遠慮なく岡村は笑った。

「やだあ。マジで見たかった〜!何で私はお弁当じゃ無かったんだ!!」
「あなたが料理出来ないからでしょ。」
「料理!それが敗因!?」

 暫く見たかった見たかったと騒いだ岡村は、咽が渇いたらしくグビグビと冷めた紅茶を音を立てて飲んだ。

「木崎主任を邪険にするとは、流石佐倉さん。」

 敬意を表するように、上階に居る筈の佐倉に向けて、天井を見上げた。
 釣られた二人。

「あ、山里。急ぎの仕事は無いって話だったよね?」

 岡村の話はコロコロ変わる。

「………はい。」
「休憩終わったら売掛のチェック手伝って貰って良い?」

 岡村の言葉に、端からは気怠い風情に見える、実際はちょっとボンヤリしてるだけの視線が向けられ。
 コックリと頷いた。
 波多野が苦笑して、岡村が身悶えた。

「くう。気怠い美人が小動物とか、どんなんだ!?」
「………?」

 意味不明な台詞に、山里は不思議そうな眸を向けるだけである。

「佐倉さんがいらして、良かったね。」

 山里も、自分たちも……と波多野は、しみじみとした声音で続けた。
 山里はニッコリと笑う。

「良い上司って有難いよねえ。」
「はい!」

 うんうんと頷いて云う岡村に、この時ばかりは普通の速さで、つまりは山里的には破格のスピードで元気よく肯定が為された。
 波多野も微笑んだが、その表情が奇妙に歪んだ。

「ねえ。」
「はい?どうしました先輩?変な顔ですよ?」

 遠慮の無い岡村の頭を叩き、不思議そうな山里の表情を見る。
 波多野は文句を云う岡村を無視して、告げた。

「この雰囲気を崩す発言も、どうかと思うんだけど。」
「はあ。何です?」
「………。」

 厳かに波多野は教えた。
 それは、当たり前の事実だった。

「佐倉さんは上司じゃなくて、私たちの後輩だよ。」
「………………。あ。」
「…………っ!!」

 うっかり忘れていた事実だった。

「だから主任のフォローしてたんだ、課長。」
「そうね。」
「………。」

 未だに呆然としている山里の頭を撫でつつ、波多野は頷いた。
 岡村が続ける。

「てか、主任て佐倉さんの上司?」
「……課長を流石だと思うのは、その点を忘れなかった事だと思うわ。」

 忘れていた波多野は自嘲の笑みを浮かべ、その言葉に二人は頷いた。

「あの説教されて尚忘れない。そんな課長はちょっと尊敬するかも。」
「………説教されたとか、やめなさい。暗黙の了解なんだから。」
「はあい。」

 解っていない山里が一人考え込む。

「何て云うか………詐欺よね。」
「うん。」

 波多野の疲れたような台詞に頷いて。
 でも………と岡村は云う。

「佐倉さんだから仕方ないよ。」
「…………。」
「…………。」

 それが、佐倉真由美なのだから仕方ない。

 心の中で、言葉を繰り返す。
 それは、何の説明にもなっていない。

 なのに。
 波多野は吹き出した。

「そうね。佐倉さんだものね。」

 岡村も笑った。

「そうだよ。佐倉さんなんだもん。」

 そして、山里が満面の笑みで宣言した。

「佐倉さんだから仕方ないです。」

 多分。
 これは合言葉になる予感がした。

 三人が、佐倉真由美という、異常な後輩を受け入れた瞬間だった。

☆☆☆


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