014◇冥界1◇親友は兄妹の宿を得る
☆☆☆
気付けば森に居た。
パニックを起こしてもオカシクは無かったが、彼は特に不思議に思う事も無かった。
――死んだか。
ストンと納得していた。
それは普段の彼ならば有り得なかったが、現在の彼は死者としての常識を身に付けていた。
魂魄に刻み込まれた記憶が、此の世界を冥界だと教えた。
惑う事も、迷う事も無く、魂魄の中心に在る声が命じるままに、明るい光に向かって歩みを進めた。
魂は疲れを知らなかった。時間の概念が現在の自身の状態に適用されるのかも、判らないまま歩き続けた。
どれくらい歩いたのか。
不意に目の前が開けた。
緑が途切れ、緑に囲まれた広い空間が其処に美しい景色を展開した。
燦々と照らす光明は、太陽とも月ともつかぬ不思議な眩さだった。優しく暖かいような、しっとりと包み込み、けれど冷んやりとした寝具のような。その光は昼の明るさを保ち乍ら、夜の世界を想起させた。
光を乱反射する眩い湖があった。
開けた空間は、湖を飾り立てて、まるで一幅の絵画のようでもあった。
感嘆の吐息をつき、死んだ身の上でも感動をするものかと、男は妙な事に感心した。
「正孝?」
聴こえる筈の無い声を聞き、男は振り返った。
「………咲良。」
親友の姿が、生前と変わらず存在した。
木々の傍らを泳ぐように、咲良は歩を進める。滑らかで艶かしく、足元は相変わらず高いヒールで、舗装されない道を物ともせずに優雅な所作で男の傍に歩み寄る。
親友の死も、男は当たり前に受け止めた。
「お前も死んだのか。」
「そのようね。」
男の声に動揺は無く、応える女の声も常の通り甘く響いた。
女の場合は、例え「普段」通りでも、やはり態度も言葉も同じだったかも知れなかった。だが少なくとも、男は「普段」と違う自身を自覚していた。
自覚はしても、問題とは受け取らず、ゆっくりと周囲を見回して、目的の存在を捜した。
「正孝も……なのね。」
男の動作に、女は自らと同様の目的を感じ取る。その思考を男もまた感じて、意思の疎通の素早さにも、そんなものかと納得した。
当たり前に。
当然の如く自然に受け止めた。
「……正孝は、少し、違うわね。」
「お前はいつも通りだな。」
それは人間らしさ。人がましさとでも呼ぶもので、肉の器を脱ぎ捨てた時に、人間の柵を捨て去ったとも云える。
現在の魂は、人間の常識において思考する事が無い。悲しむべきところ、驚くべきところ、恐れるべきところで、ソレをしない。
ソレは恐らく。
「シナズの死者が二人……か。」
ドロリとした、官能に満ちた声が響いた。
恐らくは、その存在にすら、対応を可能にする為。
死に至る時には、その存在に邂逅しても狂わぬように、心にちょっとした封印が施されるのやも知れなかった。
それでも。
二人は震えた。
甘い毒に痺れ、蠱惑の笑みに、立ち尽くして見惚れた。
――神。
すぐに。
ソレと理解した。魂魄が知る。沸き上がる歓喜と官能の痺れに、男は親友の魅力が、所詮は人間の範囲に収まる程度のモノと知った。
ソレが本来の姿でさえ無く、チカラを抑制されているのも、何故か理解した。
二人とも周章てて跪いた。
宗教など、信仰など、神など信じた事も無い二人だが。
自然に額ずき礼拝した。
「良い。立ちなさい。」
その声は、ゾクリと背筋を這い上がる、悦楽にも似た甘さを含む。
冷ややかとさえ呼べる眸の紅玉が、しかし見るモノを惑わせ狂乱させる。
人間には耐えきれない、蠱惑に満ちた美貌。
冥界の神、永久。
魂魄と云えど、しっかりと冥界で受肉の形を取る二人に、永久は先ず「御守り」を投げ渡した。
淡い薫りの匂い袋。妖狐よけと呼ばれる、媚薬の抵抗薬でもある。
漸く震えの収まった二人に、トワは告げた。
「そなたたちには、新しい器が用意されている。」
二人は。
流石に驚き、顔を見合わせた。
森に現れた時には、本人達も気付かぬ程度に、僅かに透けた身体だった。トワの傍で、震えた身体は色付き固まった。
そしていま、仮初めでは有るが、肉体を得た二人は、生きていた頃の感覚を取り戻していた。
既に、冥界の神への拝謁を果たし、魂魄は怯懦に怖じける事はもはや無い。故に人の反応を、些かなりと取り戻したのかも知れなかった。
そして、男女の器が用意されているが、問題がある事も説明され。
その問題点の対抗策により、咲良が兄、真弓が妹の器を選択する事になった。
咲良は特に気にしなかったが、真弓正孝の眼差しには苦渋の色が浮かんでいた。
墜天の悪魔が二柱。
真弓の表情を興味深く見つめていたが、二人の人間がソノ存在に気付く事は無かった。
そして、目覚めた二人が、この森での出来事を思い出す事も無い。
☆☆☆
◆ムーンライト様で18禁作品の妃緋耀の番外編として掲載した話です。