小説『真弓が真由美になりました』
作者:みき(かとう みき◆小説部屋◆)

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016◆番外編1◆たらい回しが終わりましたが
※時間軸は少しだけ先のお話です

☆☆☆

 頭痛がする。
 何故一気に課長だの部長だのになるのか。
 せめて主任とか無いのか。
 真弓の時は一応主任期間があった。

――財務部だったが。

 当時は財務部と経理部が別れていた。
 財務が管理部門、経理が総務部門であった為一部混乱を招いたのは、財務に所属する人間の莫迦げた自尊心の所為だった。
 財務部のプライドが邪魔で、財務と経理を統括する事になったのは懐かしい思い出である。

 財務部が統合されたのは真弓がまだ若い時分だ。財務担当者が経理を下位に見る風潮を問題とし、解決方法として選択されたのが一本化だった。
 その切っ掛けは真弓の存在にあった。真弓が両方に秀でていたのを奇禍として会長が財務部と経理部を統合したのだ。
 指揮系統を一本にして、対立を防ぐ為に、会長に振り回され乍ら奔走した真弓だった。

――あの頃なら、木崎は暴れたな。

 現在は経理も財務も経理部に一本化されている。木崎を侮る人間が居る訳も無い。
 それどころか、木崎の存在はある意味裏ボスでは無かろうか。
 これを後退ととるか進歩ととるかは人それぞれだ。
 あの時は必要だったとしか云い様がない。

『一億程度の案件で俺の手を煩わせるなよ。』

 無能者が舞い上がり、莫迦丸出しの勘違い発言を繰り広げる。そんな光景は、現在は見られない。財務担当者が会社の金を自分の力と誤認する愚かな発言が、当時は当たり前の様に散見された。
 将来また編成が変わるにしても、あの頃は叩き壊すのが最善だったのだ。

――あの頃は楽しかった。

 毎日が充実していた。
 会長の『任せる』と云う一言は、自分に対する信頼を示し、真弓はその信頼に応えた。

――面白がってるだけだろう。

 現在は思う。
 いや、当時も思ってはいたが。
 あれは遊んでいるのでは無かろうか。

「何故いきなり課長ですか?」

 やっと、部署のたらい回しが終わった日。その翌日は、経理部に腰を落ち着ける事が決まり、結局は古巣かと安堵した。
 慣れない部署は、周囲は決して認めないだろうが、マユミには重圧だったのである。

「君が望むなら部長でも良いよ。と云うか高峰くんは営業部長にする根回し済んでるし。君次第だと最初に伝えたし。」
「…………私次第。」

 高峰が部長になったのは、真弓が死んで直ぐである。直ぐも直ぐ。直後と呼んで良いくらいの、三日目だった気がする。
 この会長は莫迦なのだろうか?
 アホでは無かろうか?

「私はその時入社二日目だった気がしますが。」
「そうだね。もう少しかかるかと思ってたけど、早かったね。」

 この言葉は聞いた事がある。
 マユミが挫折したならば、もうひとつの言葉が発せられたのだろう。

『期待してたんだけど、残念だったね。』

 会長はこの言葉も、当たり前のように口にする。
 残念だった人は、リハビリを兼ねて、暇な部署でゆっくりと仕事をする事になるのだ。
 出世とは無縁に。

――しまった。それを選ぶべきだったか?だがどうやって?

 マユミの鋼鉄の精神力は、会長の企みや周囲の重圧なので綻びさえ生まなかった。
 会長が目を付けて、スピード昇進させる相手は、ある意味非常に苦労する。
 真弓は苦労した。
 いつも思うのだが。

「何故たらい回しが必要なのですか?宛がう部署は決まってるんですよね。」
「建前は、いきなり昇進する重圧に負けないように、かな?」
「………。」

 堂々と建前と云いやがった。
 マユミはひっそりと嗤った。

「本音は面白いからですか。」
「当たり。」

 いい笑顔だ。
 マユミは嘆息した。
 本音はともかく、そして潰れた人材も居るが、それでも成果は上がっている。
 真弓正孝は体現者の一人だった。
 あの頃の苦労を思えば、大抵の事は耐えられる。
 何度そう思ったか知れない。
 おかげさまで精神力が鍛えられました。

「君は軽々とこなすから、余り面白くなかった。」
「そうですか。」
「殆んどの部署が、君を望んでいるが、どうする?」
「私が決めて良いのですか?」
「良いよ。」

 あっさりと告げられれば、マユミは迷いなく応えた。

「なら業務課のままで。平社員が良いです。」
「却下。」

 マユミが潰れて挫折したなら、残念の一言で済ませる癖に、会長は潰れなかったマユミを手離す気はないのだ。

「選んで良いと仰有いませんでしたか?」

 憮然と問えば、いい笑顔が返された。
 楽しそうな、子供みたいな眼差し。
 以前の命は、彼の眼差しに共感を示し、時に共犯者になった。

「責任者なら良いよ。」
「………。」

 マユミは考える。
 例えば、原田が昇進する目が有るならば、それを引き受けるのも有りだろう。
 業務課ならば、既にマユミの手の内だ。
 彼らは多少戸惑いはしても反感は無い。主任は部下に追い抜かれる形になるが、原田が居座るよりは早く上がれるかも知れないと理解しない程に愚かでも無い。それ以前にいざこざを好まない性格である。
 経理よりも、業務の方が、娘さんが帰還した時の苦労も少ないだろう。
 娘さんが戻って来た場合の、テキストを用意しておくとして、一番マシな展開な気がする。

 だが。
 とマユミは眉を顰める。
 原田が入り込める昇進場所が無い。
 経理と業務以外では、マユミ自身がそれなりに苦痛だ。いつになるかも不明で、あるか無きかも不明な、娘さんの帰還に備えるのはキツイ。

――せめて全力を尽くせるなら別だが。

 そう考えるマユミは、いつしか肉体の若さに引きずられて、昔の気概を取り戻していた。
 とは云え、本人に自覚は無い。

 原田と娘さん。
 可愛い後輩の家族。

「経理なら課長……ですか。」

――娘さん済まない。大丈夫。君はまだ若い。やり直しは利くだろう。

 マユミは長年の後輩を選択した。

「いや。部長。」
「は?さっき、課長って仰有いませんでしたか?」
「いや、部長。決めた。」
「いやいや、課長でも充分でしょう?課長でも大概上げ過ぎですからね?」
「でも君は迷惑そうだけど、出来ない訳でも無さそうだし。」

「………出来ませんよ。出来る訳ないでしょう?」

 マユミの抵抗は、会長に鼻で笑われて終わった。
 有り得ない昇進が、此処に決定した。

「巫山戯ないで下さいよ!」
「もう決定した。」

 会長相手に、詰め寄る新入社員は普通居ない。
 会長は今は亡き片腕を思い出して、久しぶりに心の底から愉快そうに笑ったのだ。

「それに。君は解ってるんじゃ無いのか?」
「何をですか。」
「半端な地位の方が、邪魔が多い。」
「…………絶対に。面白いからでしょうに。」
「それも否定はしないな。でも、君はそれなりの役職が有った方が動き易い筈だ。」
「動く気は無いんですがね。」

 そう云いつつ、マユミは嘆息した。
 疲れた風情で、マユミは前髪を軽く掻き上げた。ひっつめて有る事を思い出し、途中で手が止まる。
 微かに、諦めたような笑みの形が、口元に浮かんでいた。
 最後には、いつも会長の我が儘に折れて、苦笑する。

 そんなところ迄が、彼に似ている。
 会長はまだ若い女性の姿に、過去の片腕と未来の片腕が重なる姿を見出だした。

 その仕草も、笑みも、まるで彼が生きて其処に居るかのようだった。

☆☆☆

「佐倉課長はいらっしゃいますか?」

 その声に、マユミは首を傾げた。
 部長ではなく?
 紹介された役職を誤る者が居るか?
 そう考えはしたが。
 父親の役職は明らかに名称が違う。
 となれば、自分しかいないだろう。
 マユミの脳裏に兄の名前は浮かばなかった。

 当然だろう。
 誰が入社一年目で課長になる存在がいると思うだろうか。


 マユミは部長になったが。

――冗談みたいな話だ。

 しかめっ面を隠しもせず、見えない相手に「ニコヤカな声」を向けた。
 たらい回し先の一件。
 カスタマーセンターの恩恵である。
 真弓自身が回って、既に手にしていたスキルでは有る。今回回った事で利点もあった。
 女性の声が自分の咽を震わせる気持ち悪さに、抑制して話す悪い癖が消えた。

「どちら様ですか?」
「失礼しました。私、部下の三田村と申します。課長はご帰宅でしょうか?」
「………ごめんなさい。記憶にありません。どちらの部署ですか?経理部の三田村は男性の筈ですが。」
「………失礼致しました。佐倉智輝課長をお願い致します。」
「…………こちらこそ、失礼をしました。少々お待ち下さい。」


 マユミは兄を呼んで、自室に戻った。

――有り得ないだろ?

 入社していくらも経たずに課長?

――何者だ?

 自分の事を棚に上げて。
 マユミは警戒を強めていた。

 マユミは佐倉智輝に感謝している。
 その事に嘘は無い。
 最初の頃は毎朝メイクを手伝って貰った。
 休みの日にも、教えて貰った。
 悔しい事に、マユミの化粧スキルは非常に低かった。才能に欠けるマユミに根気よく付き合ってくれた優しい『兄』である。

 智輝の帰宅は入社当初から遅かった。かなり女性にモテ、その相手にも忙しそうだった。

――男にもモテるのは如何がなものかと思うが。

 男女問わずのモラルの低さは、妹にも手を出す外道ではと慄いたマユミである。
 問い質した日。
 兄の人は肩を震わせて爆笑を堪えていた。

――あの質問内容の何処に笑う要素があったのか。

 未だに疑問に思うマユミである。
 しかしマユミが警戒するのは、智輝がホモだからでは無い。
 ホモだろうと近親相姦だろうと、自分に関わらないなら知った事ではない。

――近親……は気持ち悪いが。

 正直ホモも気持ち悪いが、目の前で繰り広げられないなら問題も無い。
 マユミは差別主義者では無い。
 問題は。

 佐倉智輝の得体の知れなさ、である。

 色々助けて貰った立場で何だが……とマユミは思う。

 倦怠感に溢れた、艶が滴る眼差し。
 あの不思議な眸の色。
 見透かされているような、居心地の悪さ。
 あの若さで、マユミが気圧される程の存在感。

――いつか。話し合う必要が有るかも知れない。

 そう思いつつ、実行出来ないでいる。

 もしかしたら。

 と、考えて。

 まさか。

 と、否定して。

 結局。
 何もしないまま、触れないまま、あの眼差しの不思議を謎のまま放置している。

――何者なんだ。

 謎解きは、出来ないまま日々が過ぎる。
 唯一の理解者かも知れない存在に、マユミが感謝と警戒を忘れる事は無い。

☆☆☆


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