019◇小話2◇友人
※過去の話です
☆☆☆
高峰と原田からの連絡に、嘆息した真弓である。
店は目前。
後は入るだけだ。
店内を見回すと、ヒラヒラと手を振る女がいる。
圧倒的に目立つ美女。
近付けば、グラスを掲げられた。
「いえ〜♪」
「………何がイエ〜だ。お前、既に出来上がってないか?」
ご機嫌な様子に、有り得ない事を訊いた。
この女が酔うような事態は、見た事が無い。酔っ払った『振り』なら数え切れない程にある。
「まさか。あいつらは?」
「敵前逃亡。」
案の定否定して、婀娜めいた笑みを真弓に向ける女。企む眸。無駄な色気が振り撒かれ、真弓はパタパタと手を振った。
女はアハハと喉を仰け反らせた。
仰反く白い咽に、一瞬気をとられつつも、真弓は女の向かい側に腰を落ち着ける。
「弱虫さんだこと。」
真弓に向けた顔からは、既に豪快な笑いは消え、艶めく眼差しと口元に浮かぶ艶然とした笑みがある。
仕草は完璧な淑女を演じ、しかし唇を湿すようにチロリと覗いた舌ひとつで台無しだ。
「お前はそろそろ落ち着く気は無いのか?」
「あら?貰ってくれるの?」
「………。」
真弓は考えた。
一応真面目に考えて見た。
「無理だ。」
肩を震わせて、女が笑っていた。
「だ……大丈夫よ。私も無理っだからっ……」
テーブルにしがみつくようにして、プルプルと震えている。
真弓は憮然とした。
「なら訊くな。」
「っ……笑わせっ………ないでっ!」
前屈みになって声を殺して笑う。
声を上げて笑った先程のソレが、明らかな演技と知れる。
真弓はそんな事は先刻承知なので気にもしなかった。
この女の垂れ流しの色気は天然。
豪快さは後付けだ。
男としての真弓に興味が無いのも知っている。
残念だが自分も女としての興味を、この女に持つ事が出来ないと真弓は知っている。
より正確に云うなら、抱けない訳でも無いが、食指が動かない。
「高峰はダメか?」
「一晩だけならOKよ?」
だらしない言葉を選んで口にする女。
しかし、その目的が達せられる事は無い。
何処か品の良さを漂わせる仕草が、消せない物腰の優美さが、真弓の心に影を落とす。
真弓が後付けで身に付けた、マナーとそれに見合う物腰と態度。女はその育ちに拠って、出逢った当初から空気の様に身に纏っていた。
その性癖に憐憫を向けるのも。
守ってやりたいと思うのも、傲慢だと理解している真弓である。
「高峰はお前しか見ていない。」
「あら?最近結婚したばかりの新婚さんよ?」
解っていて、この女は云う。
真弓は顰めた表情で吐き捨てた。
「あんなもん。離婚は時間の問題だろう。」
軽薄そうな女だった。
ただ……高峰を愛している事は確かなようで、憐れを誘った。
高峰の好みは、本来は貞節な女だ。
上品で、雅やかな、高嶺に咲く花。
その理想が、淫らに咲く女の中に埋もれていたから、高峰は自覚も無いままに自暴自棄に走った。
見ていて可哀想だった学生時代が思い出され、真弓はそっと元凶たる魔女を見る。
淫らを清らかに置き換えたなら、高峰が惹かれるのが当然の女である。
それは暗黙の了解で、言葉にしなくとも大切な部分だった。一番の重要事項が違ったと云っても良い。
なのに惹かれた高峰は、憐れとしか云い様が無かった。
魔女はメニューを真剣な眼差しで見つめていた。
「せめて、高峰がいるところで他の男を持ち帰るのはやめろ。」
何故こんな女に惚れたのか。
高峰の不倖は趣味の悪さが源で、自業自得とも云える。
「原田を誑かすのも止めてやれ。」
酔った勢いで、誘惑に敗けたのも自業自得だ。
それでも、最愛の恋人に知られたらと、戦々恐々とする様子には憐憫を誘われた。
魔女が顔を上げて、真弓を見た。
気怠い眼差しが艶を増し、一瞬とは云え真弓すら蠱惑しようと手招きする。
「正孝はだし巻き半分で良い?一皿要る?」
「………2つ頼んでおけ。」
魔女は頷いてそうした。
真弓は真面目に考えるのが莫迦らしくなった。
「冷酒も頼む?」
真弓は頷いた。
「俺なら、お前が他のどんな男と付き合おうが、気にならないんだがな。」
魔女は失笑した。
「正孝は私に惚れてないからね。」
「それは大事か?」
「普通はね。」
やはりそうか、と真弓は思う。
「だから無理なんだな。」
「……そこは多分、正孝が私に欲情しないからじゃない?」
少し考え、納得した真弓である。
この天然色気魔神を目の前にして、如何なる誘惑にも屈さない。
それは自制心がどうのと云う問題では無かった。
友人に欲情する趣味は無い。等とキレイ事を云うつもりも無い。
清楚とまでは云わないが、垂れ流しの色香より、内に秘められたソレの方が、確実に真弓の男を唆すだけだった。
「だって好みじゃねえんだもん?」
「可愛く云っても、極めて失礼な発言をした事実に変わりは無いわよ。」
より可愛く首を傾げて見せた。
「いや、似合わないから。正孝は自分のキャラを把握すべきじゃ無いかしら?」
「俺のキャラ?」
「落ち着いた男性キャラ。」
「……そうかあ?」
疑い深く声を上げる真弓に、女は深く頷いた。
「丁寧な口調を心掛け、一人称も私にして見なさいな。今まで以上にボロボロ信者が増えるから。」
「面倒だろ。それ。」
「そう?割と、現実的な未来だと思うわよ。」
そして、親しい相手にだけ見せる態度や口調が、容易く相手の自尊心を擽る。
少なくとも、自分はそうだったと女は思う。
人たらしに自覚を促したつもりだが、真弓は自分の言動が周囲に与える影響など想像もしなかった。
自覚を持つか、持たないか。魔女と真弓の大きな差はその点だった。
何にせよ似た者同士と人は云う。
欠片も似ていないと云う者も少なくない。
例外は勿論有るが、真弓は万人受けするタイプだ。
対して、女は魔女と呼ばれる嫌われ者だった。
彼女に惹かれても、その評判の悪さに尻込みする者が当たり前になる程に。
真弓が噂に惑わされる事は無い。女の奔放さに感心しないと眉を顰める事は有っても、周囲の評判や忠告の嵐に影響される事は無かった。
欠点は誰にでも有るものである。
女性としての魅力は生憎感じなかった真弓だが、友人としては得難く思った。
そして。
真弓が女に惹かれるように、女も真弓に魅せられた。
――手を出そうとは、思えないくらいに。
そう女は思った。
見境が無いとさえ云われる程に、気に入った相手は一応誘ってみるのが魔女である。
そこで軒並み陥落させるのが、魔女の呼称の所以だろう。
真弓と女が喩え関係を持ったとしても、特に変わるモノなど何も無いだろう。
それでも、真弓の中にある潔癖さを汚すのは勿体ない気がして、気が引けた魔女である。
肉体の関係を介在しない友情は、女には珍しい事だった。
「あなたは云わば、人ホイホイの花。」
「ホイホイ?」
「いえ、むしろハエ取り紙。」
「え?それ何?」
「もしかしたら落とし穴、いや底なし沼。周囲はいつの間にか深く嵌まり、抜け出せなくなるでしょう。」
なんだそれは……と。
魔女の予言じみた台詞に、真弓は取り合わず苦笑した。
結局他のメンバーは誰一人来なかったが、真弓が持ち帰られる事だけは無かった。
☆☆☆
真弓の魅力は、その平凡さにある。
明白な迄に垂れ流される、魔女の魅力とは違う。
真弓は何ひとつ特別な存在では無い。少なくとも表面上は。
そして、何ひとつ特別な事もしない。少なくとも本人の中では。
それでも二人を取り巻く友人達は云う。
「根っこが同じだ。」
魔女と真弓が似た者同士だと告げて、二人が連む姿を当たり前とした。
将来、二人が別の場所で、相次いで死亡した日。
友人たちは呟いた。
「そんなところまで、似なくても良いだろう。」
生前は対極の評判だったが、死者に意地を張る者もいない。
真弓を偲ぶ光景は、予想を裏切るものでは無かったが。
魔女は自らの死に向けられたその慟哭を、意外だと感じたかも知れなかった。
とはいえ。
普通。
死者がそれを知る事は無い。
☆☆☆
◆魔女……ある会社で、……いや云うまい。