小説『真弓が真由美になりました』
作者:みき(かとう みき◆小説部屋◆)

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021◆9話◆四日目のお昼〜ひとつだけ、自覚してしまいました。

☆☆☆

 弁当を用意してもらえるのは有難い。
 そうマユミは考える。
 何故ならば、一人の時間が確保出来るからだ。
 少なくとも今のところは。

――さて。先ずは今朝の問題だ。

 義兄に用意した食事は、マユミにしてみれば料理と呼ぶのも痴がましい代物だった。
 マユミの二日酔い対策メニューなのである。
 新婚の頃は妻が作ってくれた。反抗期を迎える前に、娘が作ってくれた事もある。
 しかし、学生時代から自分で作って自分で食すのが基本の、寂しい二日酔いメニューであるのだ。妻が最初に用意した二日酔いメニューは梅干し粥だったが、マユミはそれを好まなかった。マユミが妻にレシピを伝授したのは、未だラブラブな若かりし時代だった。
 その時には何も云わなかったし、マユミが教えたメニューを何度か作ってもくれた妻だったが、何故か何年も経過した後の夫婦喧嘩の際には、その粥を拒否した事を罵倒されてマユミは驚いたものだった。
 米は米じゃないか、ほうじ茶の梅は良くて粥でイケないなんて法が有るか!………と、妻は理屈っぽいのか屁理屈なのか、微妙な感がある文句をヒステリックに叫んだ。

――あの喧嘩以来、二度と作ってはくれなかったんだよな。

 何がいけなかったのか、マユミは未だに理解出来ない。仲直りをした後も、他の面では随分と穏和な妻が、それだけは頑なに作ろうとしなくなった。
 故に自分で作るしか無かった。

――いや。そんな話は置いといて……。

 マユミは真弓であった過去を振り払い、母親の人の言葉を思い出す。

『台所に立った事も無い』

 年頃の娘が如何なモノかとは思うが、佐倉真由美の生態記録にまたひとつ追記事項が発生した。
 発生した時には失敗していたのだが、あの簡単メニューならばギリギリセーフでは無かろうか?
 マユミは内心で頷く。

――もしもこの体で二日酔いになったとしても、やはりあのメニューが欲しいし。

 マユミの料理の腕など大したモノでは無いが、それでも佐倉真由美よりはかなり「出来る」のだろう事は想像に難くない。
 マユミなりの手の込んだ料理などを作る前に、知る事が出来たのは倖いだったと云えるだろう。

――故に、アレは問題無し。

 多少。
 兄の人の視線を想起するだに恐ろしい気がしないでは無いが、マユミは気にしない事にした。

――っ。

 不意に。
 マユミは動揺する。
 それは端から窺える程の変化では無かったが、眸の奥に驚愕とも呼べる光が宿り、一瞬全身が固まり時を止めた。

 先の事を考える自分に気付いた故だった。
 些細な事では有るだろう。
『自身が、二日酔いになった時には、そのメニューが食べたい。』
 小さな希望だ。しかし未来への希望には違い無い。そこに、娘さんに対する配慮は些かも含まれなかった。
 その事実に気付いたマユミは、己が紡ぐ思考(ことば)の変化にも気付かざるを得ない。

――私……と。

 最初に、この肉体に宿ったと気付いた時には、マユミは確かに自分を「私」と称した筈だった。
 それは最近の真弓正孝が通常使う一人称であると同時に、この肉体を仮初めと断じたが故でもある。

 万が一、この肉体の持ち主から自分が見えていたら?自分が考える声が、この『娘さん』に聴こえたら?
 そんな無意識の警戒が、外面を発揮したと云っても良いだろう。
 そこに嘘は無かった。しかし明白な真実でも無かった。
 マユミは長年培った理性を、完全には放棄しないまま、驚愕の事態を乗り切ろうとしたのである。

 しかし。
 現在のマユミは未来を模索する。
 娘さんに返却する筈の未来を、自身のモノとして思考した。
 更に。
 最近は、殆ど口にしない『俺』と云う一人称を使用した記憶も確かに存在する。

――まいった。今頃気付くか?

 それは『若い』自分だった。
 魂は肉体に引き摺られると云う。
 それを考えなかった訳では無い。
 しかし、女性の肉体に引き摺られる事には恐怖と用心をしたマユミだが、まさか『若さ』に引き摺られるとは思いもよらない事態だった。
 マユミは内心舌打ちした。

――不味いな。道理でミスが多い。

 実際に有らぬ事態に周章てたのは確かだが、成熟した己がする筈の無い失態の数々を省みる。いつの間に、『そう』なっていたのか。
 変化は緩やかで、況してや心の中にしかない動きで、把握もしかねるマユミだった。

――もしかしたら、最初からかも知れない。

 マユミは真弓だった自分を顧みるが、比べようにもいつ迄が若い己で、いつからが成熟した己なのか、区別が付く筈も無かった。

――さて。この『俺』は娘さんに人生を返却する気は有るか?

 自問自答するマユミである。
 答えは直ぐに出た。

 俺と称するマユミの回答は『是』。

 否と答えない自身に、マユミは安堵した。
 しかし。
 とマユミは考える。

――現時点では俺の人生でもある。

 身勝手な考えだと承知の上で、いつか『戻って来る』ならば娘さんが苦労をすると承知で、マユミは全てに於て『それ』を前提にする事は出来かねると考えた。

――しかし善処はする。

 もしも、この『声』が娘さんに届いたならば、娘さんは決して安堵はしないだろう。
 マユミは自覚をしてしまった。

――俺も生きたい。

 既に死んだ筈の身で、しかし生きている人間としては当たり前の望みを、マユミは心の中で呟いたのである。



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