022◆10話◆四日目の午後〜入社三日目の新入社員でしたよね?
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――何故迎えにくる。
マユミは胡乱げな眼差しと自覚しつつ、元部下に視線を向けた。
爽やかな笑顔である。
まったくもってキラキラしい笑顔である。
真弓に向けていた笑顔よりも、気合いを籠めてキラキラしているかも知れない。
――うわあ。
マユミはうんざりした。
可愛い部下に失礼な話では有るが、マユミは倖いな事に女性の肉体に引き摺られて妙な趣味に走る気配は無かったので、素直に気持ち悪いと感じた。
物凄く好意を抱かれていると理解する。
見ただけで明白である。
とは云え、警戒をしているつもりでも、女性の意識が希薄なマユミが前日の『告白』無しに気付けたかどうかは疑問ではあった。
その辺りの自覚は未だ乏しいマユミだが、数日前までオッサンであったマユミにそこまで期待するのは酷と云うものだろう。
マユミ自身は特に自覚に乏しいと云う事実にさえも、無自覚であった。
「今日もお弁当なんですね。きっと料理もお上手なんでしょうね。」
「母の手作りです。私は料理をしません。」
今度是非食べさせて貰いたい……等の台詞は先手をもって封じたマユミである。
空の弁当箱を仕舞いつつ殊更に冷たく告げたのは、早々に諦めろと教える武士の情けである。
しかし敵は手強かった。
「そうなんですか?俺は割と料理が好きなんです。もし結婚したら、毎日食べさせて差し上げたいですね。」
「………。」
息がツマッタ。
お茶を飲み終えたところで良かった。
マユミは思った。
――飛びすぎだろうよ。
一足飛びにも程がある。デートの誘いの次は普通デートの実施であろう。
デートの後でも、結婚はまだ時期尚早だ。
マユミは息を整えて、思い切り莫迦にした眼差しで元部下を見上げた。
「そのIFは、決して現実にはならない妄想ですね。因みにセクハラです。私は午後の時間は経理部に所属すると聞きましたので、一応、上司、とも呼ぶのなら、パワハラでも有りますね。」
一応。上司。と、丁寧に強く発音して、侮蔑を籠めた視線で冷たく突き放した。
木崎は自尊心が強い男だ。自負と誇りに満ちたこの男は、他人を莫迦にする事は多々有れど、自身が莫迦にされる事に我慢出来る性格では無かった。
こんな視線を向けられて、なおマユミに執着する事は無いだろう。
マユミはそう考えたのだが。
「プロポーズがセクハラですか?でも確かに急ぎ過ぎましたね。それに休憩時間と云えども、公私の区別が無い発言でした。」
「………。」
反省されてしまった。
マユミが知らない反応を木崎は見せた。
しかし反発さえ覚えない様子を見れば、このまま反省だけで済ませる木崎では無いだろうとも思う。
マユミは部下が何を云い出すか、それを予測出来る自分が少し切なかった。
「だから、社外で逢う時間を下さいませんか?」
「絶対に嫌です。」
「なら仕方ないから、社内で口説く自由は下さいね?」
間髪いれずに拒否したら、予測されたかの如く云われた。
流石に少しイラッときたマユミである。そのイライラを意識した口調と声で反撃した。
「面倒な人ですね。嫌がられてるのが解りませんか?莫迦ですか?近寄らないで下さいと云わないと理解出来ませんか?」
これから部下に成ろうと云う女性の立場として、有り得ない台詞だとは思った。
やり難くなるだろう。そう思いもしたが、男に、しかも元部下に云い寄られるよりは余程マシだと判断を下したのだ。
そして、それは不毛な思いなど早期に捨てるべきだと、上司として木崎の為を思うからこその言葉でもあった。
木崎の眼差しが、スッと冷えるのを………マユミは待った。
マユミの予想は真っ向から否定された。
木崎はユルユルと笑みを深めた。
そして。
暴言を吐くマユミにドン引きした周囲を物ともせず、マユミの耳元に顔を寄せて………囁いた。
「あなたが本当に怒っているなら、多分そんなイラついた云い方はしませんよね。」
カッとした。
女性ならば、その低音の甘い声音にトキメキさえ覚えただろう。
マユミは鳥肌ものの気持ち悪さと、部下に見抜かれた不覚に対する腹立たしさを抑えかねた。
「てめえ………巫山戯るのも大概にしとけよ?」
それは若い女性の眼差しでは無く、若い女性の声音でも無かった。低く静かに恫喝する声は、確かに女性のものだったが、女性であるから迫力が無いなどとは誰にも云えないモノだった。
その声は、囁きよりは大きなものだったかも知れない。しかし決して、室内に響く程では無かった。
通常の状況ならば。
生憎。
室内は前述のマユミの苛立ち演技にて、静まりかえっていた。
マユミ。
何度目の過ちであろうか。
木崎はマユミの恫喝に、一瞬怯み………しかし次の瞬間。
懐かしそうに破顔した。
周囲は、その嬉々とした笑顔に何を感じただろう。
取り敢えず、マユミの無礼は問題にもされなかった。
問題になれば成ったで、それなりに対処するつもりだったマユミには肩透かしの結末だった。だが少なくとも………マユミが暴言として意識して口にした台詞に、最後の恫喝が含まれなかったのは確かである。
☆☆☆
憮然とした表情を隠しもせずに、マユミは経理部に同行した。
少しだけ、以前の可愛い部下に殺意を覚えたマユミだが、それは責められる事では無いだろう。
紹介をされる時には穏やかに笑みを浮かべていたのは、年の功と云うべきだろうか。
そんなところも素敵だとばかりに向けられる、木崎のキラキラな視線を非常に煩わしく感じたマユミだった。
「佐倉真由美さんだ。変則的ではあるが、当面は午前中は業務課、午後は経理部に所属する事になる。経理業務ともに解らないところは指導を仰げ、代わりに当社独特の仕様は教えて差し上げろ。」
どういう紹介だ。
マユミは笑みが固く強張るのを自覚したが、周囲に露呈する程でも無いと認識した。
内心を押し隠したまま。
マユミは柔らかく微笑み、元部下たちをぐるりと見渡した。
「佐倉真由美です。宜しくお願い致します。」
一応上司である木崎の発言を翻す訳にもいかず、まだ高峰の説明も聞いていない為に、余計な事は口にしなかったマユミである。
無難に名前だけを名乗ったが、それで誤解するなと云う方が無茶な話だった。
経理部でのマユミは、『あの』木崎主任が尊敬の眼差しで見つめる、凄い人材がやって来た………と、囁かれた。
新入社員である。
入社三日目の。
佐倉真由美は新入社員の筈…………だった。
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◆ドン引きな貴方に◆
木崎にドン引きした方がいらしたなら……大丈夫。ちゃんと理由有ります。フォロー有ります。
それだけお伝えしておきますww
まあ……それでも引くかもだけど………