小説『真弓が真由美になりました』
作者:みき(かとう みき◆小説部屋◆)

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026◇小話◇中途入社の営業マン

☆☆☆

 その営業マンは、特に問題が有る訳では無かった。明るく、礼儀正しく、営業力にも当然乍ら問題は無かった。寧ろ有能でさえ有った。
 だが、とてつもなく莫迦だ………と。
 真弓正孝に印象付けた出来事が有った。


 そんな莫迦を見たのは、彼が初めてで有り、空前なのは間違い無く、絶後でも有ると思われた。
 二人めの愚か者が現れるまで、真弓正孝は彼の為に作成した「コンナ時用」対応マニュアルが使われる可能性を否定しない迄も、同じ事をする人間は決して居まいと考えていた。二人めも営業部の人間だった事から、その時マユミが営業部にどんな感慨を抱く事になるのか。
 推して知るべしと云うべきだろうか。


☆☆☆

「………?」

 一瞬。
 相手が何を云いたいのか、何を云っているのか、真弓正孝は理解に苦しんだ。
 そして、説明を聞いた後、頭痛を堪える仕草をした。

「………愉快な部下をお持ちのようで。」
「いや、仕事は出来るんだぞ?」
「………。」

 一応、カリスマ的な営業部長の言葉なので否定はしなかったが、明らかに疑念に満ちた沈黙に、カリスマ部長がコホンと咳き込んだ。

「本当に仕事は出来るんだ。」
「別に何も申しておりませんが。」

 しかし嫌味が声に混ざり込み、カリスマ部長は真弓の物言いに嘆息した。部下の莫迦げた話を聞いた時に、言葉を失ったのは同様だが、アレが自分の部下で有るかどうかは小さくない差異だろう。

「因みにどうすべきだと思う?」
「別にどうすべきも何も。全部払うか分割にするか本人が話し合って決めるだけでしょう。ご本人はお話出来ないようですから、私が同行しても宜しいですが?」

 淡々とした真弓の口調に、嫌みの影を探りつつ頷いた営業部長だった。既に決定権は手渡している。後は云われるがままに決裁するだけだ。

「分割は判るが、全部支払う場合は?預金は無いようなんだが。」
「先ずは経理から仮払いしますが、総務課に云って共済利用も可能でしょう。」
「なるほど。共済で借りるか、一時金で借りるかって事か?」
「まあ、仮払いも結局は貸付金に振替えますから、正確に云うなら一時金で借りたものを、会社からの借金にするか共済利用の借金にするかです。」
「ん?仮払いのままじゃダメなのか?」

 営業部長が素朴な疑問を提示した。自宅の購入などで共済利用をする社員は居るが、小さな借金なら仮払いして貰えば何とかならないかと考えたのは確かである。真弓に対する気安さ以上に、明らかに愚かな借金理由が、本人評価にどう影響するか、営業部長には判断しかねたと云う理由もある。

「期を跨ぎますからね。ですが一年以内に完済するなら利息を免じるくらいは、私の権限内で収めましょう。」

 真弓はそう云うが、聞きたい事とは微妙に違い、営業部のカリスマ部長は少しばかり言葉に迷った。しかし見透かす眼差しが穏やかに微笑んで告げた。

「総務や経理ではあるまいし、営業部員のオチャメな物知らずぶりくらい、社員評価に影響はしませんよ。」

 とはいえ、総務部長もそう考えるとは限らない。ならば……と、営業部長は考える。

「で?どっちの方がより周囲に知られないんだ?」

 そこが問題だとばかりに告げると、真弓は苦笑した。
 格好付けの営業部らしい質問だと考え、真弓は当たり前の回答を提示するだけだ。

「共済利用と会社貸付なら共済利用。役所への一括返済と分割返済ならば分割返済ですね。」

 決算時の会社貸付なんて役員全員が詳細を見る上に、会議での読み上げまである。結構な晒し者だろう。当たり前だが貸付理由も記載するから、かなり恥ずかしい事態だろう。確実に何人かの役員は営業マンの名前を覚えるだろう。嫌な覚えられかただ。
 真弓は自分に許された範囲で、一番営業部に痛手が無い案も提示した。

「ただし、期を跨がずに返済するならば会社貸付です。この場合は仮払いで済ませて差し上げますよ。」

 営業部部長は最後の案の魅力に抗えぬモノを感じたらしい。返済期間にはボーナス支給も含む。払えない訳では無いだろう。しかし、家庭を持つ人間に譲れない利用予定が無いとも限らない。すぐには飛び付かなかった。

「その方法なら総務には知られないか?」
「ええ。私の権限内ですから。知るとしたら会長くらいです。経理部では高峰と一部部下ですかね。」
「解った。本人と確認する。」
「早めに連絡下さい。回収日じゃ無いと現金も金庫には無いですよ。」

 引き出すとなると、内情を知る人間が増えると云う事にもなる。真弓の発言の含みを正確に読み取り、営業部長は頷いた。

☆☆☆

 総務嫌いなのは営業部だけで無く営業部員もなのか、総務には知られたくないと発言した営業マンに真弓は頷いた。
 総務の助け無しには会社は成り立たないのだが、何故に現在の総務は嫌われ者なのだろうか?総務部部長は真弓が尊敬する人間の一人だが、社内の敵は真弓以上に多い人物だった。
 普通総務部は煙たがられても敵対する部署では無いのだが。そう思う真弓も知っている。
 まだ財務部が存在した時代に、真弓の指導員であり上司でも有った堺部長は、結構な嫌われ者だった。総務部が、では無い。総務部部長が嫌われ者なだけだ………とも云い切れないのは、やはりトップに感化された部下がいる所為だろうか。
 真弓もその意味では同類だったが、総務部部長と真弓との大きな違いは、人当たりの良さかも知れなかった。

「では、こちらにサインを。」

 莫迦な営業マンに真弓は穏やかに微笑んだまま、今回の仮払いの説明と返済条件を告げた。営業部部長に向けた説明より丁寧なのは、当事者相手だからに他ならない。
 既に自身の上司から説明を受けていた「お莫迦さん」は、神妙に頷いた。そして、上司同様に今期内に返済する事を選択し、いつもより緊張する仮払い申請書にサインをした。
 返済条件が添付されたその文言もキチンと読む。
 そんな様子を眺めて、真弓が浮かべた感想は。

 お莫迦さんは想像したよりも凄まじいお莫迦さんでは無いようだ。

 である。
 申し訳なさそうな、そして恥ずかしい事を仕出かした自覚が有る様子に、真弓は事務的にしかし穏やかに接した。それは優しげでも有り、あくまでも事務的な真弓の慰めの言葉も、誠実に響く。
 お莫迦サンは真弓に感謝の眼差しを向けた。

「お手数をお掛けしました。」

 そこまで莫迦では無かったお莫迦サンは、営業部らしくキチンと頭を下げて退出した。
 迷惑をかけた自覚もちゃんと有るし、礼と詫びが云える。当たり前の礼儀が出来る。

「そんなに莫迦にも見えませんね?」
「………だから仕事は出来るんだって。」

 真弓はダメな子に向けて、そんなにダメでも無いのかと評価を下したが、加賀見の部下は非常に優秀な営業マンなのだ。営業部でも期待の……と口に出来なかったのは、営業部全体へ真弓が向ける視線を考慮した故である。
 一部始終を見ていた加賀見は溜め息を零した。自分の部下が真弓に傾倒したのを目の当たりにした彼の機嫌は決して良くは無かったが、真弓は自分が目を掛けた後輩でも有る為、心中は複雑だった。

 莫迦にしまくった行為を、誰しも失敗はするだの、苦手な事は誰にでも有るだの、仕事をちゃんとしている人間が恥じる必要は無いだのと………加賀見の部下に真弓は告げたが、その後輩の本音を営業部部長はよく知っていた。

「あんな有り得ない莫迦な失敗をする人間には見えませんね。」
「失敗は誰にでも有るとか云って無かったか?」

 案の定、真弓は失笑した。加賀見が知る後輩らしい、悪意は無いが辛辣な意見が披露された。

「苦手とか云う問題じゃ無いですよ。服を一人で着られない大人が、苦手だから……と云って大人扱いされますか?」
「………そこまで云うか。」

 穏やかな笑みに救われた様な面持ちだった部下に哀れを催す上司だった。

「普通はね、ああ云うのは確信犯でやるんですよ。莫迦じゃ無い奴は。」
「ん?莫迦じゃ無くてもやるのか?」
「民間と国相手なら国は後回しにするのが賢い返済です。基本的に税金を払えない人間は屑ですが、民間だと下手したら不味いところに権利を売られて自分も売られた、なんて洒落にもなりませんからね。」

 だから、と真弓は続ける。

「ナチュラルに国相手に払うの忘れて放置とか、有り得ないですよ。と云うか、本当に国だけで良かったです。」

 引き落としされていると思い込み、封筒を開けもしなかった莫迦は、妻にしこたま怒られたと云う。開けないなら自室に持って行くなと云うのが、莫迦に嫁いだ女性の台詞だったそうで、普通に正しい。
 しかし、普通に正しい意見を云える頭が有るなら、自分で何とか出来なかったのかとも真弓は感じた。
 市民税から年金まで全く払わずに新築に近いマイホームの差し押さえ。しかも健康保険が含まれるから、年金がその差し押さえ額に含まれない事さえ気付いていなかった。仮払い額が追加されたのは真弓の指摘あってこそである。年金はまだ猶予が有るが、全部支払っておくに如くは無いだろう。

「正直に云うなら、会社に相談しただけでアウトですがね。」
「そうなのか?お前ならどうするんだ?」
「役所の窓口で返済予定組めば良いんですよ。差し押さえとか言葉は怖いですが、国は暴力団とは違って返済の方を優先しますからね。」

 返済能力が有るのに、会社に恥を晒す必要など全く無いと真弓は思う。

「…………なら何でそれを奨めなかった?」

 胡乱な眼差しの営業部部長に、真弓は笑った。

「俺はあいつを知らないので、信頼性の問題ですね。」

 人が悪い笑みに見えるが、魅力的なのは間違いない。自分は真弓が本音を晒す相手なのだと、優秀な後輩に慕われる立場は、カリスマ営業部部長などと呼ばれる加賀見をさえ浮き立つような気分に誘う。ある意味で同類なだけに、無意識に惹かれる事は無く、加賀見は真弓の持つカリスマ性を評価する。
 冷静に評価しつつ、怒る気にならないのは同じ事で、苦笑しつつ加賀見は先を促した。

「取り敢えず、金銭で莫迦な真似をする社員は監視対象です。暫く観察して、問題が無い様なら、返済と同時に問題児扱いはやめますよ。」
「……まあ良いだろう。」

 尤もな話でもある。加賀見が部下に対して下した評価を無視された事実を面白く感じる筈も無かったが、真弓の立場も解らないでは無かった。
 総務の堺と経理の真弓、そして人事部部長の結城は、営業部部長の加賀見とは違う役目を人事の部分で担っている。それが役職上の延長にあるのか、別の役職名を持つのかは、加賀見は知らないが知る必要も感じなかった。

「堺には知られないんだな?」

 そのほうが余程気になる加賀見は、総務部部長が本気で嫌いだった。
 真弓は大丈夫だと微笑った。

「問題人物だと認定されたら別ですが、単なるウッカリ莫迦ですからね。ギャンブルや女が原因でも無いですし。すぐに終わると思いますよ。」
「解った。面倒かけたな。」
「はい。貸し一つです。」
「………。」

 いいえ……と笑って頷いてくれると思っていた訳でも無かったが、ハッキリした言葉で借りが増えた事を知らされて憮然とした。
 だが、実際に助かったのは事実である。こんな莫迦をするとは信じられない程に優秀な部下に、傷が付かない方法を選んで貰えたのも確かだった。
 仕方ない、と加賀見は頷いて笑いを零した。

 うっすらと微笑む後輩は、人使いが荒いが回してくる面倒事は、大抵楽しいものでもあった。真弓の潰したい敵は、大概自分も気に入らない相手だったし、これからもそうだろうとの奇妙な信頼感も有る。
 寧ろ楽しげに笑って、加賀見は経理部の打ち合わせ室を後にした。

 真弓は、珍しく怪訝な眼差しで加賀見を見送った。

「堺部長と加賀見部長はやっぱり手に余ると云うか………。」

 やり難い……と小さく呟いて、有能だが読み難い元指導員たちに協力を依頼する面倒事が起きない事を祈った。

 そんな相手にこんな簡単な仕事で貸しを作れたのは、単純にラッキーでもある。取り敢えずはその事実を喜んでおこうと、気を取り直して真弓も打ち合わせ室を出て仕事に戻った。

 真弓が加賀見への貸しを取り立てる日は、結局永遠に訪れない事になったが、真弓の記憶を持つ人物が取り立てる可能性は否めない事実として未来に残っている。
 もしかしたら、覚えのない借りを返す加賀見が未来に存在するかも知れなかった。

☆☆☆

※↑中途採用です。採用前の時期にやらかしてますので、勘違い注意です。暫くノンビリしてたらやっちまいましたのね……ププ。みたいな感じです。
いえ。何故に社保や厚生年金なくて組合の……とか云われたので。有ります。この会社保険充実してますよ。
因みに実際に居ました。


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