小説『真弓が真由美になりました』
作者:みき(かとう みき◆小説部屋◆)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

027◇閑話8◇不可思議な女

☆☆☆

 会長はまだ明確な話はしなかった。もしかしたら、あの話をするのかとも思っていたが、まだ確定では無い話は仮定でも話すつもりは無いようだ。
 これが真弓や高峰相手ならば、仮定だろうが何だろうが適当に発言する会長だが、新入社員相手には一応まともな対応をすると云う事だろうか。
 高峰はそう思ったが、よく考えたら「たらい回し」を実行する予定自体が、そしてそれに耐えたら高峰を部下に据えよう等と考えている事態が既に「オカシイ」と気付いた。
 真弓と云う特例のオンパレードと付き合いが長かった為に、自身の感性が相当毒されていると高峰は自覚する。
 そもそも、会長は高峰に営業部に戻る道も示したのだ。普通ならば、こんな小娘の部下になるより、そちらを選択すべきだとも思う。
 加賀美部長が空白の営業統括部長に上がり、高峰が第一営業部の部長になる。それは、真弓に経理部に引っ張られなければ、とっくに現実になっていた筈の「もしも」の現実だった。違和感など無い筈のソレに、しかし高峰は然したる魅力も感じないどころか、妙な拒否感を覚えた。
 その未来を望んだのは、過去の高峰だ。真弓に誘われ、経理部に収まる前の、輝く出世コース。しかも、真弓と云う存在が不在の現在、高峰が経理部に属するメリットは低い。早晩営業部に戻される筈だったし、高峰もそうなるだろうと考えた筈だった。
 筈。筈。筈。

――この女が現れなかったら。

 と高峰は思う。
 微かな笑みを浮かべてはいても、迷惑そうなのが判る。その事実に気付いている人間が、結構少ない事にも、高峰は気付いていた。
 その理由にも。
 真弓正孝と、佐倉真由美は似ていた。
 何処が、と訊かれたら言葉に詰まるが、敢えて云うなら「猫の被り物」では無いかと高峰は思う。
 まだ殆ど口も聞いた事も無い相手だが、何故かその感情の機微が知れるのは、彼女が未熟な所為では有り得なかった。
 寧ろその対人能力は熟練者と呼んでも過言では無いだろう。真弓と同様に………と高峰は思う。
 真弓は人誑しの天才だった。普段丁寧な態度で、ふと見せる親しげな笑みや言葉が、抜群のタイミングで繰り出されて、相手は軽くノックアウトされるのだ。
 うっかり敬語を忘れた振りで………いや、忘れた振りでは無く、大概の場合は無意識だから天然の人誑しなのだろう。

――ちっ。

 亡くなった人間を語るのならば、そこは「だった」と云うべきだろう。そんな当たり前の事実が酷く痛くて、高峰は小さく舌打ちした。倖い誰にも気取られ無かった様子だが、職場での行為としては醜態に近い失態だった。無意識の苛立ちに、高峰はそっと深く呼吸して冷静さを取り戻した。
 その天然で人を誑し込む所が、やたらと真弓に似た若い女の後ろ姿を見下ろして、高峰は苦く思う。
 真弓はもはや存在しない。なのに、あっという間にその現実に慣れた。木崎も気付いているだろうが、それはこの女の存在が在るからに他ならなかった。

――全然似てないんだがな。

 この女がたらい回しを終えたら、部下になっても良いかも知れない。
 高峰がそう考えたのも、やはり真弓の影をこの女に見たからだろう。
 真弓以外の誰も、耐えられなかったプチ拷問コースを、この若い女が涼しい顔で通過したなら、部下になっても良い。
 会長も同じような感覚なのだろうかと、高峰は思う。佐倉真由美の所属部署が未だに確定していない、ただそれだけの事を告げる為に呼び出したらしい会長を見て、高峰は彼女に惹かれる者の気持ちの意味を考えた。
 真弓の影を彼女に見出だす者は多いだろう。そうで無くとも、惹かれる者は多いだろう。
 しかし、今のところ、木崎は別として、色恋に類する感情が介在する余地は無さそうだった。

――それも不自然だがな。

 若く美しい女を前にして、欠片もその「気」にならないのは、却ってオカシイ話だと高峰は思う。

「準備が整うまでは午前中は業務課、午後は経理部で適当にやりたい様にしてくれたら良いよ。」

 そんな適当発言をした会長も、彼女を相当気に入ったのは間違いないが、色めいた気持ちは更々無さそうだった。

――たらい回し準備か。

 本気でやるのかと、高峰は考える。それを期待する気持ちと、危惧する気持ちが有る。
 本当に真弓に匹敵する人物なのか、確かめるには良いやり方だとも思うし、その気持ちが既に彼女の迷惑だろうとも考える。

――この女は、真弓を知りもしないのに。

 勝手な幻想を押し付けて、勝手に試そうとしている。自分たちが、とんでもなく身勝手で一方的な事をしようとしている。
 高峰はその事実に気付き乍ら、会長を止める言葉を発する事は無かった。
 妬みとも憧憬ともつかぬ気持ちは、真弓に向けられた友情の影に隠れた。この女との付き合いは浅い故に、友情などと云う甘い気持ちがストッパーにもならない。
 別に危険が有る訳では無い。しかし、神経の細い者は、脱落したのちに自信喪失して窓際でのリハビリを余儀なくされると云う。会長が残酷な真似をしているのは間違い無かったし、それを知っていて止めようとさえしない自身も同罪だと高峰は自覚していた。
 止めて止まる会長では無かったが、それは云い訳にも成らないだろう。

 自嘲の笑みを浮かべかけた高峰の視界の隅で、一人の男が動き出し、佐倉真由美に近付いた。
 会長の傍に立っていた男だった。誰だろうと感じてはいたが、会長が何も云わないからには触れる訳にもいかず無視する形になった。
 近くで見ると、会長の身内だろかと見当が付いた。綺麗な顔は、以前何かの折りに見た、会長の奥方に似ていた。
 眦が切れ上がった大きな猫のような眸をした、冷たい眼差しの年齢不詳の………いや、年齢を知らないならば、美少女にしか見えない女性だった。
 男は彼女よりも甘い雰囲気を持っていた。

「なんて可憐な花だろう。こんなキレイな女性が義兄さんの目に止まる程に優秀だなんて!天は二物を与えたんだね!?」
「はあ?」

 佐倉が珍しく動揺して声を上げた。

――ああ、莫迦なんだな。

 高峰は第一声を聴いて苦笑した。会長の奥方に似た美貌の青年は、残念極まりない「お莫迦さん」だと高峰は決め付けた。その手の残念なタイプは、高峰にとって珍しいモノでは無かった。
 寧ろ、動揺する佐倉真由美の方が面白い。
 佐倉を悩ましく見つめる男は、美形と称して間違いは無い。
 キラキラとした王子様ヅラをしていた。
 その生き物は長身を屈めると佐倉の手を取り、手の甲にキスを落とした。

――手にキスって。

 いくら何でもそれは無いだろう。そう思って苦笑する高峰だった。
 高峰は内心で男を「残念王子」と名付けた。
 もう片方の手も添えて、残念王子は佐倉の手をそっと握り込むようにして、ニッコリと笑った。

「美しいお花さん。良かったらこれから食事でも?」

 高峰は頬を引き攣らせた。爆笑を何とか耐えた。
 直撃を食らった佐倉が固まっているのも、また愉快極まり無かった。
 真弓の動揺する姿を見た事は無いが、佐倉が固まっている姿は、真弓のそれを想像させて、妙に楽しい気分になった高峰である。
 いつも生意気な木崎がハッとして、男の手を外した。
 マユミの二の腕を曳き、背後に守る。
 必死な面持ちである。
 年相応とでも云うか、木崎の真剣な表情は真弓に対して見せていたソレとも違い、微笑ましく映った。

――まさか初恋でも無いだろうに。

 一途で真剣で必死な木崎は新鮮だった。
 高峰は新しい玩具を見付けたみたいな会長の眼差しに気付き、奇妙な共感を覚えた。
 会長は笑い出さないようにだろう。
 片手で口元を覆っていた。
 騎士(ナイト)のように、木崎は佐倉を守ろうとする。

――カッコいいねえ。

 揶揄する言葉は、流石に声には出さなかったが、若さが眩しくて高峰は気恥ずかしい心持ちと共に、笑い出しそうな衝動を耐えた。
 何と云うか甘酸っぱかった。
 佐倉が全く気付いてないのが哀れを誘ったが、だからといって笑いの誘発が収まる訳も無かった。

「佐倉さんに気安く触らないで貰おうか。」
「何だい君は?」

 残念王子は佐倉以外視界に映して無かった様子で、初めて気付いたみたいに木崎を見た。
 まるで、ゴミを見るみたいな、無関心と不快さを宿した眼差しだった。

――残念過ぎる。

 女性にだけ紳士と云うか、男は視界に映す価値無しと云わんばかりの態度は、残念王子の名に相応しい。
 名付けた自分を褒めてやりたいと高峰は思った。
 会長はとうとう耐えきれずに、机に突っ伏して笑っていた。
 高峰は釣られて爆笑しそうになり乍らも、何とか引き攣る頬を宥めて冷静な表情を取り戻した。
 全員の様子を再度眺めて、傍観を決め込んだのは云うまでも無かった。


☆☆☆

「何だアノ宇宙人は!?」 

 会長室を出てから、佐倉真由美が我に返ったように小さく叫んだ。
 乱暴な口調は真弓にやたら似ていて、高峰は眸を瞠った。

「確か……名ばかりの役員ですよ。」

 木崎は丁寧に解説したが、高峰は佐倉の聞きたい事はそんな話では無いだろうと考えた。

「そんなのはどうでも良い。……あのイキモノは何だと訊いてるんだ!」

 案の定、佐倉は木崎の返答に不満を提示した。思い出すだに不快らしく、佐倉は鳥肌でも立ったのか、宥めるように自身の腕をさすっている。
 恐らくは、あの手合いと接した事が無いのだろうな、高峰はそう思って苦笑した。
 あの手合いとの初邂逅が残念王子と云うのは、ハードルが高いかも知れないと、ほんの少し同情もした。

「あの手のイキモノはな?佐倉さん。女性と見れば口説き、しかも口説いてる相手の話さえ聞かないものなんだよ。」

 愉しげに、しかし親切に高峰はあの手合いの説明をした。佐倉は納得が行かない表情で高峰を見上げた。

「だが高峰………部長は、…………失礼。何でも有りません。」

 残念王子への嫌悪が冷めやらぬまま、何かを云いかけて、佐倉は口を噤んだ。
 気不味そうに視線が逸らされ、高峰は先程とは違う意味で頬を引き攣らせた。

「…………。その謝罪は……アレと俺を同列に置いたと云う事か?温厚な俺も怒るよ?お嬢さん?」

 高峰は物騒な笑みが浮かびそうになるのを堪えた。

――この女。いくら何でもアレと俺を並べるとか有り得ないだろう。

 我に返るまでの乱暴な口調は、許容範囲だが、残念王子の同類扱いは見逃せなかった。

「逆ですよ。失礼なのは確かですから言葉を慎んだだけです。」

 佐倉は誤魔化す口調でやんわりと云ったが、高峰はニッコリと笑い乍ら厳しく追及した。

「逆なら許すから何を云おうとしたのか、はっきりと云って欲しいね。」

 誤魔化しは許さない眼差しに、佐倉は諦めた様子だった。
 実際に佐倉が何を云おうとしたか、口にしない限りは解放する気も無かったので、佐倉の見極めは正しいと云えた。

「高峰部長も女性を見れば口説くタイプの方に見えますが、アレと違って普通に人間に見えると云いそうになりました。そちらが追及為さったのですから、失礼をお詫びする気は有りません。」

 確かに失礼では有ったが、気になる程では無かった。

――普通に人間に見えるって………。

 どういう言語選択だよ……と高峰は思い、笑い出しそうになった。会長室で堪えた笑いが甦り、何とか苦笑を浮かべて抑え込んだ。
 更に怒気を露にした木崎に睨まれた高峰である。

「何故知ってるんですか?口説かれたんですか?」

 佐倉に向かっては労る眼差しだが、詰め寄る姿勢には変わり無く、佐倉は疲れた様に息を吐いた。

「違う。」

 面倒臭そうに吐き捨てた後、一応は木崎が上司だと思い出したのか、佐倉はとってつけた丁寧語で続けた。

「単なる観察の結果です。」
「本当ですね?」

 うんざりとした佐倉の表情にも、その乱暴な口調にも木崎は怯む事は無い。もはや当然と捉えている様子に高峰は更なる苦行に晒されていた。
 笑いを堪える高峰を木崎は鋭く睨み付けた。

――俺の方が上司だけどな?その女じゃなくてな?

 佐倉も似た様な感想を抱いたのか、疲労を浮かべて頭痛を耐えるかのような表情だった。
 もはや佐倉の番犬と化した木崎に睨まれつつ、高峰は佐倉に少しだけ同情した。

「まあ。人間扱いされてるなら良かったよ。」

 残念王子は宇宙人で、木崎も佐倉にとってはある種の人外だろうと予測される。
 普通に人間の言葉が通じる相手だと思われているならば、取り敢えず上々の扱いだと思えてきた高峰だった。
 佐倉は胡乱な眼差しで高峰を見上げたが、暫く高峰の表情を見つめた末に、諦めた様に嘆息した。

☆☆☆


-27-
Copyright ©みき All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える