小説『真弓が真由美になりました』
作者:みき(かとう みき◆小説部屋◆)

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032◆閑話10◆平穏が欲しい

☆☆☆

――平穏が欲しい。切実に……。

 原田は遠くを見つめて嘆息した。
 朝イチで先輩から通達が来た時には、既に軽く諦めてはいたが……と原田は思う。

 様々な意味で規格外の新入社員。佐倉真由美さんが、今回の会議資料の責任者になったと云われた。

「え……冗談?」

 思わず呟いたが、勿論そんな事は無かった。
 先輩にも。

『何、現実逃避してるんだ。とにかく、そういう訳だから佐倉さんからの…要請にはちゃんと応えろよ。』
「…………先輩。今、要請の代わりに何て云おうとしました?」
『……無駄に察しが良いな。』

 先輩はクツクツと嗤うと、「それ」が正解とばかりに通話を切った。明言されずとも理解する。佐倉さんの『命令』を自分は聞かないといけないのだろう。
 別に言葉を誤魔化す必要は無い。
 あの佐倉さんの命令に逆らえる気概など、自分に有る筈が無かった。

 原田はそんな事を考えつつ、朝から溜め息を零したのだ。


 もちろん。規格外な彼女は当たり前の様に原田の胃を痛めてくれた。しかし、これは予測出来ないだろう。
 佐倉さんは日々信奉者を増加させている。中には下僕と化した存在もいると原田は思う。

――役員のストーカーって。

 どうなんだろう………真弓部長もビックリな展開では無かろうか。
 佐倉さんは周囲の困惑を、そして困惑を呼び起こした存在を完全に無いものとして扱った。その図太さは外見に似つかわしく無いが、佐倉さんらしいとも云える。
 部下たちに指示を与える淡々とした様子は、彼女に終始付き纏う存在を感じさせないが、周囲は『それ』を無視し切れなかった。その発言も姿も存在感に溢れている。周囲の人間には佐倉さん並みのスルースキルは備わっていない。

 自分が出すより的確な指示を出す佐倉さんを、無心に慕う事も出来ないが、嫉妬も出来ない。
 原田は相変わらず中途半端だった。

――多分。先輩が指示を出すなら、こんな感じかな。

 亡くなったばかりの真弓先輩を佐倉さんに重ねる事に意味は無い。
 それでも重なるのは、もはや仕方ない事として原田は受け止めていた。やる事なす事が先輩に重なる。冷えた眼差しの厳しさも、容赦の無さも、その癖どこか甘い優しさも。
 この時も、甘やかされたと感じ取り、思わず赤面しそうになった。

 見かけだけは麗しい残念な思考の役員を避け、彼女は当たり前の様に原田を盾にした。
 何事も穏便に済ませたい原田はチョッピリ泣きそうだった。

――ムリムリムリ!!!

 チョッピリがガッツリになりかけた。本気で泣いて良いだろうか?原田は真面目に検討した。
 原田とて全くプライドが無い訳では無い。しかし、此処から逃げる事が出来るのなら、若い女性に泣かされるくらい然したる問題では無い気もした。

――佐倉さんになら泣かされても恥では無い気もしないでは無い。

 もちろん恥に決まっているのだが、色々と追い詰められて思考がオカシクなりかけていたのだろう。
 そもそも泣いて誤魔化す思考が男として、大人として先ず有り得ない。
 泣きそうな自分を正当化しようとしたが果たせず、原田は殆ど絶望的な気分で縋る。

「佐倉さんが連絡して下さる訳にはいきませんか?」

 もはや完全に腹を見せて降参ポーズ。部下が相手だとか建前上の力関係など意味は無い。原田は長いモノに巻かれるタイプだった。
 ストーカー役員の面前に盾としてつき出され、苦手と云う言葉では云い表せないくらい恐怖の対象である営業部長に自ら連絡しろと云う。
 原田を追い詰めた当の本人に縋るのは、全く無駄な行為としか思えない。それでも縋ってしまう程、ギリギリだったとも云える。

「………仕方ないですね。」

 苦笑して、あっさり引き受けてくれた彼女を、原田は魅入られた様に見つめた。

――真弓先輩?

 だが、それも一瞬の事だ。
 原田は安堵の笑みを零した。佐倉さんは、やはり先輩に似ていた。無茶振りも平気でする癖に、限界に近付いた時には頑張ったご褒美の様に頭を撫でる。
 佐倉さんが自分の頭を撫でた訳では無いが、謝罪を込めて礼を云えば、確かに甘やかす眼差しに。

『お前はお前なりに頑張ったよ。』

 真弓の声が重なった。
 原田は棒立ちになった。背を向けた佐倉さんが、器用に美形役員を避ける姿を見送って、ぐっと拳を握った。
 もはや気の所為とも云えず、深く吐息を漏らす。

――思ったより、ショックだったのだろうか。

 原田は思う。
 確かに尊敬はしていた。長い付き合いの先輩だ。好意が無い訳も無い。
 しかし、木崎の様に盲目的では無い。高峰のように、唯一に近い様な特別な相手と云う訳でも無い。
 確かに似ているが、こんな若い女性に重ねて。
 面影を重ねただけでは飽きたらず。

――幻聴まで。

 面影を重ねてしまうのは、もはや諦めていたが、これは問題では無かろうか?
 原田はそんな事を思いつつも、周囲に覚られない無いように、自分の席に戻った。謎役員と佐倉さんに注目している周囲が、原田の挙動不審に気付く事は無かった。

 もやもやとした感情は、しかし直ぐに吹き飛ぶ事になった。

「名乗り忘れましたか?それは失礼を致しました。業務課、または経理部の佐倉真由美と申します。」

 穏やかな声が響き、原田は顔を上げた。そこに不穏を感じたのは、原田ならではだろう。沈む船から逃げるネズミの様に、原田は危険を察知する能力に優れていた。
 管理課の方向に向けてスタスタと歩く佐倉さんと、彼女を追う青年の後ろ姿が視界に映る。山里さんが射るような眼差しで役員を睨み付けているのが印象的だったが、取り敢えず見なかった振りをした。
 原田は臭いもに蓋をする事なかれ主義なのだ。

「もちろんです。本来ならば、翌日には提出して然るべき書類ですから。」

 原田はほんの少し腰を浮かせた。その云い回しには、聞き覚えがあった。相手が何を云っているのかは解らないが、多分原田の予想とそう遠くは無いだろう。

――佐倉さんは真弓先輩に似ている。

 ならば、こんな時に云う台詞も、同じ様なものかも知れなかった。
 原田の視線の先で、彼女は足を止めた。原田に向けた訳では無いが、現在は正面を向いたその顔が艶やかに嗤った。
 原田は危惧が当たった事を知る。

「別に会社としては、先月でも今月でも構いません。寧ろ早く仕事を進める為には、今月の売上にして戴きたいところです。ノルマを考慮するからこそ、効率を無視してお付き合いして差し上げているのです。そちらこそ、裏方の助け無しに仕事が出来ると思わない事ですよ?」

 うわあ…と、その台詞にもドン引きした原田だったが、その笑顔に心臓が締め付けられた気がした。
 笑いではなく嗤い。嘲りを含んだ見下す笑み。普段穏やかな真弓先輩が、それでも武闘派と呼ばれ続けたのはその笑み故だろう。彼の怒りの発露は酷薄な凍る眼差しだが、戦闘準備は滴るばかりの艶を備えた獰猛な眼差しだった。

――色気の欠片も無さそうな佐倉さんなのに、そこも同じって。

 どうなんだろう。
 原田は美形役員が惚けたように彼女を見つめる姿を目にして、その執着がより強固になった事を確信した。
 多分、同じように執着を強める存在にも心当たりがある。
 その内の一人が、彼女の通話先にも存在する。

――いや。先輩相手ならともかく、こんな生意気云われて怒り狂う可能性も高いけど。

 真弓先輩とも、何度かぶつかった加賀見を思い、原田は嘆息した。争い事は見たくなかった。
 しかし、ひとつの事実に思い至る。
 佐倉さんは業務課の通達事項を連絡した。と云う事は………と原田は血の気がひくのを自覚する。

 業務課の責任者は原田である。

 叫び出したくなった。

☆☆☆

 嵐の中心である彼女と、彼女を追う役員が消え、やっと一息ついた原田だったが。
 昼休憩中も。
 原田の受難は続行中だった。

 ストーカー役員から逃亡する佐倉さんは、弁当を無駄にしたく無いのか、何故か自分に手渡した。若い女性にお弁当を差し出され、羞恥を感じる程に若くは無いが、恐怖を感じた自分は色んな意味で終わっている。

――味がしないかと思ったが。

 美味しいと感じた自分は、存外図太いのかも知れないとも思った原田である。

 食べ終わる頃に、束の間の平穏を乱す輩がやって来た。

「……佐倉さんは休憩室ですか?」
「いや、外に……。」

 と、答えかけたところで、相手の視線に気付いた。木崎が弁当箱をガン見していた。注視する眼差しは、決して穏やかとは云い難い。
 まさしくヤカラ……破落戸の類いの視線である。
 原田は云い訳の様に、ストーカーから逃げた彼女の事を語った。と云うか、佐倉さんにストーカーしまくっていた役員の言動を洗いざらい喋らされた。

――俺は一応、役職的には上の立場。

 木崎にそんな事を告げても無意味だが。脳裏を掠めた感慨がある。
 ちょっと遠くを見つめた原田だった。

 見つめたついでに、管理課と業務課を仕切るパーティションの隙間から、あらぬ存在を見出だした原田は瞠目した。

 心臓が跳ねるのを自覚すると共に、何も云わずに立ち上がり逃亡した。
 木崎が気付いても気にも止めなかったのは、原田にとってささやかな倖いだった。
 ささやか過ぎるが。

 原田は平穏を切望したが、一人の部下が業務課に居る限りは無理な話だろう。

 本日、原田の平穏を乱した業務課への訪問者は三名だった。
 一人目は佐倉さんにストーカーする名ばかりの役員。
 二人目は佐倉さんに執着する原田が苦手とする経理部主任。
 三人目が佐倉さんが暴言……では無いけれど、明らかに喧嘩を売った営業部部長。

 その災厄を呼び込む彼女を、原田は決して嫌いでは無い。嫌いでは無いが………と言葉を濁すしか無い原田は紛れもなくヘタレだった。

☆☆☆

閑話は必要な話は決まっていても話し手を誰にしようか常に迷います。
と云うかこの人物の話が読みたいと云われたキャラ以外で書いたのは三田村七重しかいない。もしリクエスト有ればメッセなりご感想なりで是非教えて下さい。
この時は特に悩んでアンケ取りました。
下記で●がリクエスト戴いた分ですね。

●『彼女を取り巻く波紋』←メイン視点木崎。加賀見と木崎の対立
or
『喰えない女』
←高峰視点。会長との絡み。
or
『総務部の三田村ですが何か?』
←管理課の野次馬仲間と野次馬してる三田村七重の兄。脇役代表の視点。
or
●『うわさ』
←メイン視点加賀見。木崎や高峰との絡み。
or
●『新しい風』
←長瀬視点。仕事面メインでマユミを語る視点。高峰に対する考察や、木崎にドン引き気味な部分も。
済み『平穏が欲しい』
←原田視点。木崎、加賀見。

※上記アンケは必要な話が書けるとこまで決まった時点で終わってますから、●が無い話は書く予定有りません。
でも話し手候補にのぼる時にはリク多いキャラを優先しますので、今後は高峰が増えるかもですww←アンケ終わった後で増えた。
くっつけてやれよ……のご希望には、話の筋が優先なので、くっつくならくっつくし、そうでないならくっつかない……としかお答え出来かねますが。

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