005◆4話◆どうやら死んでいた様ですが
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清潔になったからと云って、落ち着いて過ごせる訳では無い。
昨日から一晩過ごしただけの仮の宿だった。
少なくとも、完全に希望を失っていた訳ではない。
異常な出来事に遭遇して慌てたが、異常過ぎて悲観的になるのも難しかったのだ。
――選択肢のひとつでは有ったが。
可能性として、有り得ないとは云えない。勿論、そこまで楽観視もしなかった。
真弓が真由美になっただなどと、言葉にしたら冗談みたいな出来事だが、実際に起きたからには現実と受け止めるしかないだろう。
だが。
一度有ったなら、次も無いとは云えない。真由美が真弓に戻れる可能性は0パーセントとは云えない筈だ。
限りなく低い可能性だとしても、0でないなら信じたかった。縋りたかったのだ。
何故なら、既に0で無い有り得ない事態に陥っていたのだから、無謀な夢とは思いたくなかった。
しかし。
真弓は死んでいた。
同僚や部下が、自分の葬儀に向かうのを見送ったマユミである。
マユミは真由美の身体を丸めて、布団を被り固まっていた。
――例えば、この身体の持ち主が元に戻るとして………その場合、私は死ぬのか。
死んだのだから当たり前だが、自分の死に実感する事は難しい。
着替えもせずに布団に篭れば少し暑く、汗ばむ身体が今はある。
だが、それは己の身体では無い。性別も年齢も違う、通う会社が同じで、知り合いと顔を合わせても自分が自分だと気付かれる訳も無い。
――どうしよう。
何度考えても、同じ言葉を繰り返すだけだ。
進歩の無さが情けない。
もはや自分に戻る選択肢が消えた現在、焦燥にも似た苛立ちは消えたが、だからといってこのままと云う訳にも行かないだろう。
――死んだなら死ぬべきだ。
しかし、生きている。
マユミは困惑した。
この身体の持ち主は、一体何処に存在するのだろうか。
考えても、答えが得られる筈も無く、マユミは重くため息を吐いた。
――そして空腹にもなる。
マユミは若く健康な身体が恨めしい。
ベッドから抜け出して、シワになった服を脱いでシャワーを浴びた。
赤く染めた髪の手入れの仕方は、兄からメイクと一緒に叩き込まれた。
兄である青年は、不思議な眼差しでマユミを見つめた。
まるでマユミが真由美ではないと気付いているかの様だった。
――まさかな。
誰かに話したい。
相談したい。聞いて貰いたい。
教えて欲しい。
――私は私のまま、この身体で生きて赦されるのだろうか?
色々と不満は有るが、若い身体は体調も良い。痛みもなくて、身体が軽い。
性別の差を差し引いても、充分魅力的な第二の人生だった。
――いやいや。それじゃあ尚更悪い幽霊だ。
死んだ人間が生きた人間として存在する。
その事実には、取り憑いたとか憑依とか乗り移るとか、余り良くない表現しか浮かばない。
――早く娘さんが戻らないと、未練ばかりが募りそうだな。
割と順応性が高かったマユミは、それなりに昨日からの生活に満足していた。
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夕食の席で、母親は上機嫌だった。
兄が就職したと聞き、マユミは素直に祝いを述べた。
多少身体が弱くとも、働けるなら働いた方が良い。
マユミは自堕落な人間が嫌いだったから、兄たる人物がキチンとしたスーツで帰宅した姿にも満足した。
――良かった。ダメな奴だったら、いつかキレて説教したかも知れなかった。
身体が弱いのに働く意志は素晴らしい。一応働かずとも生活出来る家に生まれた青年は立派であるとマユミは思い、ニッコリと笑いかけた。
「無理せず頑張って下さい。」
「ありがとう。」
兄妹は笑顔を交わしたが、渋い顔をした義兄がぶつぶつと云う。
「せめて、もう少し落ち着いてから。」
「まあまあ。良い事でしょう?智輝も体調が悪かったら直ぐに病院に行くのよ?」
「………ご馳走さま。」
兄の人は病院が嫌いらしかった。
――好きな人も居ないか。
どうやら初日の印象は随分と間違っていたらしい。
マユミは家族として暮らす人達が、好ましい人物ばかりなのを心底有難いと感じた。
――きっと、この娘さんも良い娘なんだろうな。
多少だらしなくて、部屋が汚いが、欠点は誰しも有るものだ。
――早く戻っておいで。
でないと、色々と娘の苦労が増えるだろう。
少なくとも、マユミは会社では既に失敗した。
せめて家の中では娘さんを演じたいが、知らない娘の振りなど出来る筈もなく、ただ大人しく口数を少なくするくらいが精々だ。
――どんな娘さんなんだろうな。
自分の娘がある日中身がオッサンだったら、マユミは間違いなく泣くだろう。
そんな不倖を彼らに味あわせていると思えば申し訳なくて、胸の内でそっと手を合わせた。
死にたくは無い。元に戻れないならば、娘として生きている方が死ぬよりは余程マシだと思う。
娘自身に出会った事が無いから、娘に対する罪悪感は浮かび難かった。しかし、それが家族を奪う行為と思えば、許されない仕儀と思い至る。
しかし、娘に身体を返したくとも、娘が現在どんな状態なのかも解らない。
自分の意思は全く関係なく「こう」なってしまったのだ。
――どうしよう。
ただドチラに転んでも大丈夫な様に。
会った事もない娘が迷惑しない様に、考えるくらいしか出来ないマユミだった。
マユミは嘆息して、ご馳走さまと手を合わせた。
取り敢えずは地味に日々を過ごすしか無いと考えて、力無い自分にウンザリとした。
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