第十三幕 マスター、意志疎通って難しいです。
「やばい…………あいつ、桁違いだわ………………」
目の前の鉛色の巨人は凛が視界に入れた瞬間に、そう呟いてしまうほど圧倒的な存在感だった。
そもそもサーヴァント…………セイバーにランサーはもちろん、普段はすっとぼけているせいでイマイチわかりづらいがアーチャーでさえ、人間離れした存在感と魔力の塊であるのだがそれ以上である。
それほどのサーヴァントを使役する、雪を連想させる白い少女はコートの裾を両手でつまみ持ち上げ、ペこりと頭を下げる。
「はじめまして、凛。それとアーチャーのおじさん?であってるかしら」
「おじさんじゃない、お兄さんと呼びなさい」
いつのまにやら回復したのか、アーチャーが白い少女の言葉のすぐ後に妙に胸を張りながら、おじさん扱いを訂正する。
いや、それにしたって自分からお兄さん呼びを希望するのもどうかと思うが。
「私としてはクラスを確認したつもりだったのよ?おじさん」
「だからおじさんではなくお兄さ」
「それは置いといて、私はイリヤ。」
再び撃沈しうなだれるアーチャー……いやさバカーチャー。
−−−あいつのおとぼけがここまでスルーされることがあるなんてね。
と、わりかしひどいことを思う凛に、先程までの圧倒的な存在感に呑まれていた様子は見当たらない。
すぐさまバカーチャーに指示を出すことが頭に浮かぶ。
「イリヤスフィール・フォン・アインツベルンっていえば分かるでしょう?」
「アインツベルン!?………そう、あなたがそうなのね」
バカーチャーへ指示をする寸前、白い少女の口にした言葉に凛は驚きと納得を込めた言葉を漏らす。
「アインツベルン…………な〜んか貴族っぽい響きすね」
やはりというべきか、緊張とは無縁な雰囲気でいつのまにか凛の隣で顎に手をやり呟くのはバカーチャーだった。
「貴族っぽいもなにも、実際貴族みたいなものよ。アインツベルンは」
そんなバカーチャーにも慣れてしまったのか、凛はそのつぶやきになんということもなく応える。
アインツベルン。
冬木の地における聖杯戦争をはじめた御三家のひとつにして、長い歴史を持つドイツに構える魔術の名家。
バカーチャーの貴族っぽいという表現も、あながち的外れというわけではないだろう。
なるほどアインツベルンの魔術士ならば、あんな桁違いなサーヴァントを従えていても不思議ではない。
とはいえ、さすがに凛もあんな小さな少女がマスターとは思わなかったが。
「これ以上の挨拶はもういいよね」
「いや待ってお願い一回でいいからおに」
「しつこいと嫌われちゃうよ?おじさん」
----これが、言葉のドッジボールって奴ですか……意思疎通がこんなに難しいとは…………と再び撃沈し、地面にのの字を書き出すバカーチャー。
ぶっちゃけ今までバカーチャーがしてきたような会話であるし、言葉のドッジボールとはまた違うのだが、それに気付く様子はない。
「どうせ死んじゃうんだから呼び方なんて関係ないのにね」
「ッ!!」
そんなバカーチャーのことなど居ないかのように、白い少女……イリヤは口にする。
そして、目の前の少女が無邪気に口にした言葉に士郎が息を呑み、圧倒的な存在感に呑まれていた意識を取り戻す。
その目にはありありと疑問が浮かんでいた。
なんでもないことのように目の前の少女が死を口にしたこと、そもそもまだ小学生にしか見えないくらいの小さな女の子がどうしてこの聖杯戦争……殺し合いに参加しているのか。
だが、しかし。
ただ疑問に思えば答えが示されるほど世界は、運命は甘くはない。
疑問に囚われた士郎などお構いなしに。
状況は、動く。
「それじゃ、殺すね」
イリヤの、まるで練習の成果を家族に見てもらうかのように軽やかな声が響き、その声とは正反対の重苦しい殺気が場を満たす。
殺気の出所は、巌のようなサーヴァント。
ランサーの殺気がまるで槍の切っ先を向けられる感覚ならば、今この場を満たす殺気はすべてを押し潰すようなもの。
「「ッ!!」」
その殺気に凛と士郎はまるで心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚える。
セイバーはその華奢な身体を身じろぎもさせず、しかし緊張と力をその身にたぎらせる。
そして、バカーチャーは。
「こっちみんな」
メンチを切っていた。
眉をしかめ、口をきれいなへの字に歪ませて。
もっとも、黒目白目が判別できないレベルの糸目のせいでイマイチ迫力にかけるが。
そんな、緊張を弛緩させるようなバカーチャーの行動など関係なくイリヤは自身の従者
に命を下す。
「やっちゃえ!!バーサーカー!!」
「■■■■■■■■■■■■ーーー!!!」
自身の主人の命を受け、鉛色の巨人…………バーサーカーがその脚力で文字通り、アスファルトを踏み砕き、跳躍。
内臓を震わせ、戦意すら揺らがせるような咆哮を響かせ凛達に迫る。
「シロウ、下がって!」
その巨大な鉛色の砲弾のごときバーサーカーを迎え撃つべく、セイバーは駆ける。
アーチャーから借り受けたジャンパーを脱ぎ捨て、代わりに自身の鎧を身に纏いバーサーカーの一撃を受け止める。
「セイバ……」
「はいはい、士郎さん落ち着いて落ち着いて」
セイバーの行動に思わず声を上げる士郎の肩を、アーチャーが掴み落ち着かせる。
「ハアアアアアッ!!」
「■■■■■■ーーー!!」
その視線の先には、まるで巨大な岩をそのまま削り出したような斧剣を振るうバーサーカーと、不可視の剣で切り結ぶセイバー。
いや、実際にはバーサーカーの一方的ともいえる攻撃を必死に防ぎ避けるといった方が正確か。
バーサーカーの嵐のような猛攻を、セイバーはその身軽な動きで避け続けているが攻めに入ることができない。
「あんな馬鹿でかい剣を……まるでおもちゃみたいに…………」
凛の驚きも当然だ。
バーサーカーの振るう斧剣はバーサーカー自身の身長とほぼ同じ。
それを片手で、しかも身軽に動き回るセイバーがギリギリで避けなければならないほど正確に振るっているのだから。
「やっちゃえやっっちゃえ〜」
イリヤの可愛らしい声とはかけ離れた死闘が続く。
「でりゃあああああぁぁぁぁ!!!!」
セイバーは電柱を駆け上り、バーサーカーに向かって跳躍し大上段で剣を振りかぶる。
「■■■■■■ーーッ!!」
バーサーカーもそれに合わせ斧剣を薙ぎ払う。
甲高い、金属同士が衝突した際の特徴的な音が響く。
結果勢いよく弾き飛ばされたセイバーが音を立ててブロック塀に衝突する。
「バーサーカーそこよ!!一思いに仕留めなさい!!!」
「セイバーーーーーッ!!!」
その様子に士郎が叫ぶ。
ドンッと、その叫びに応えるように埃を巻き上げ青い風のようにセイバーが飛び出す。
勢いはそのままにバーサーカーの頭上を飛び越え、電線の上という常識はずれな足場を駆ける。
目指すはバーサーカーのマスターたるイリヤ。
例えどんなにバーサーカーが屈強であっても、マスターがいなければ現界し続けることは不可能。
無論そのままにするバーサーカーではなく、その巨体に見合わぬ速度で追い縋る。
振るわれた斧剣が一瞬前にセイバーのいた電線を断ち切った。
だがセイバーはすでに跳躍し、イリヤに迫っていた。
交わるイリヤとセイバーの視線。
「■■■■■■■■■ーーーー!!!」
その一瞬は、バーサーカーが追いつきセイバーに向けて斧剣を振るうには十分な時間だった。
「グッ、クゥゥッ……」
咄嗟に不可視の剣を斧剣の軌跡に挟み込み、直撃を避けたセイバーだが弾き飛ばされた地点で膝をつき左胸を押さえる。
「まだ、治りきってないのかッ…………!!」
その様子を見て、士郎は思い出す。
自身を守るためにランサーと闘った際に、セイバーは左胸に浅くない傷を負ったことを。
だがバーサーカーにはそんなことは関係ない。
いや、むしろ好都合だろう。
うずくまるセイバーに押し潰すような殺気をぶつけながら、その足を進める。
「セイバーーー!!!」
思わず駆けだしそうになる士郎を引き留めたのは、凛だった。
士郎の肩を掴み引き留めた凛はそのまま人差し指をバーサーカーに向ける。
凛のガンドは、バカーチャーに対するツッコミに使われてしまっているため忘れがちになってしまうが本来は呪い。
凛の場合は、フィンの一撃という本来ならば体調不良しか引き起こさないガンドに物理的威力を持たせるに至ったものである。
サーヴァント相手にまともに通用するとは思わないが、少なくとも時間稼ぎにはなるだろうと凛は判断した。
もともと、凛は傍観を続けるつもりだった。
もはや士郎とは敵同士だから、という理由もあったが曲がりなりにも最優のサーヴァントたるセイバーがパートナーである。
へっぽことしかいえない士郎の魔術の腕でステータスは多少減少してしまうだろうが、そう簡単に敗退するとも、死に直面するとも思えなかった。
しかしその前提は崩れた。
相手がバーサーカーとはいえ、一方的に押されているといっていい状況に若干の違和感があった。
セイバーが膝をつき、胸を押さえたときにその違和感に突き当たった。
ステータス低下以外にもなんらかの要因で弱体化しているのではないかという疑問。
すぐに思い当たる点が見つかった。
自分たちはランサーが士郎を抹殺するのを防ぐために衛宮邸に向かったのだ。
そのランサーとセイバーが闘い、セイバーが負傷したなら?
へっぽこ魔術師な士郎との不完全な契約できちんと傷を癒すことができていなかったら?
すべての推測は、確かな説得力を持って今の状況へとつながった。
そして凛は傍観から士郎との共闘へと方針を変更することに決めた。
バカーチャーは異世界の英霊、ゆえに知名度補正などないに等しく、それゆえに戦力としては心許ない。
いくら弱体化しているとはいえ、セイバーを一方的に攻め立てることのできる相手と単独で闘うなど愚の骨頂だろう。
セイバーとの闘いで弱ったところを………………という方針をとれなくなったからこその共闘を魔術師遠坂凛は、合理的な思考の元選択した。
もっとも、見捨てられない……という合理的とは程遠い理由も、ないことはないが今は関係ないだろう。
魔力を魔術回路に流し込み、ガンドをバーサーカーの巨体へと叩き込む。
それらは見事バーサーカーへとぶち当たるが、しかし。
「なんてでたらめな身体してんのよ、こいつ…………!!」
ダメージはおろか、怯むことさえしない。
「アーチャーッ!!!」
「あいさ、マスター!!!!」
アーチャーが普段の間延びした雰囲気を帯びない返事をし、構える。
その手には黒く、鈍く光る拳銃。
それの名はデザートイーグル50AE。
自動拳銃の実用弾丸として最大の口径、威力の50AE弾を使用する大型拳銃。
腹の底を揺さぶる大音響とともに4発の弾丸がバーサーカーへと直撃する。
しかし、熊をも撃ち倒す弾丸を受けてなおバーサーカーは怯むことはなかった。
「だめだ……ぜんぜん効いてない………………逃げろッ!!セイバーーーッ!!!」
士郎は叫び、セイバーに駆け寄ろうとするがセイバー自身の手で制される。
「こちらに来てはだめです、シロウ!!私は大丈夫ですから」
「大丈夫って…………そんなわけないだろッ!?」
よろめきながらも立ち上がり剣を構えるセイバー。
その姿は、しかし心許ない。
「どうして………」
士郎の呟きにも耳を貸さずにセイバーは眼前の敵……バーサーカーへと意識を向け続ける。
その目に諦めは、ない。
「勝てるわけないじゃない、私のバーサーカーはギリシャ最強の英雄なんだから」
イリヤの言葉は明るく軽やか、まるで自慢のおもちゃを披露するような様子で、やはりどこか場違いだ。
「ギリシャ最強の英雄…………まさかッ……!!」
「そうよ、そこにいるのはヘラクレス。あなたたち程度が使役できるものとは違う、最強の怪物なんだから」
「ヘラクレスッ!?」
凛の悲鳴のような言葉も当たり前だろう。
ヘラクレスといえば、半神半人にして12の試練を乗り越えた世界に名だたる英雄。
知名度も逸話も申し分ない最強クラスのサーヴァントであろう存在だ。
「いいわ、バーサーカー。止めを刺しちゃって」
主人の命を受け、いままで止めていた足をセイバーへと向けるバーサーカー。
凛も少しでも時間を稼ぐべく、ガンドを撃ち込み続けるがてんで効果がない。
そしてバーサーカーはその身の丈ほどもある斧剣を振り上げる。
「……ろ」
士郎は、震えていた。
「………………めろ」
恐怖のせいではない。
何もできない自分への怒りのせいだ。
正義の味方になると。
誰かを救うと誓った自分が女の子に闘わせ、何もできずに……何もせずにいることへの怒りだ。
そして、それは。
「…………………………やめろおおおおおぉぉぉぉぉぉ!!!!」
爆発し、その足をセイバーのもとへと。
今にも大質量の斧剣をその身に受けてしまうであろう少女へと向けた。
「なっ…………衛宮君ッッ!!!」
凛はガンドを撃ちこむことに集中していたために反応が遅れ、もう士郎はセイバーを押しのけ斧剣の軌跡から逸らすことに成功していた。
傷の影響からか反応が遅れてしまったセイバーを自身の身体を使い押しのけ、自身をその軌跡にさらすことで。
「シロオオオオオオッ!!!!」
セイバーは自身の全身全霊の気力をもって士郎を庇おうとするが、その行為に意味はなく。
轟音と共に、斧剣は叩き込まれた。