第一六幕 マスター、面倒くさいです。
驚愕。
今、この場にいる凛にセイバー、そしてイリヤの思考を占めるのはこの二文字だろう。
サーヴァントとして現界しているセイバーでさえ、戦場であることを忘れてしまったかのように立ち尽くしていた。
そしてその元凶たるアーチャーは。
「あぁ〜、痛い。死ぬかと思った」
静寂に満ちたこの場にそぐわない、能天気な台詞を口にしながら首を回していた。
つい先程までバーサーカーと死闘を繰り広げていたと誰が信じるか。いや、誰も信じない。
「イタッ、首まわしすぎたゴキッつった!!」
アーチャーの言葉通り、ゴキリと首がなった音が辺りに響く。
それほどまでに今この場は静かだった。
さもありなん。
万全ではなかったとはいえ、最優のサーヴァントたるセイバーを圧倒したバーサーカーが、今や彫像かなにかのように身動ぎもせず、両膝を地に着けダラリとその両腕を垂れ下げているのだから。
「もう、同盟の意味ないじゃない…………」
ゴキリ、と響いた音をきっかけに凛が呟いたその言葉には、様々な思いが織り交ぜられていた。
アーチャーが無事であることへの安堵とバーサーカーを打ち倒したことへの驚愕、能天気な様子に対する呆れ、そしてセイバー達との同盟交渉が無駄に終わった徒労。
「いや、そうとも限らねぇと思いますよマスター」
「えっ……?」
もっとも、アーチャーの言葉でそれらを含んだ言葉は消え去ったが。
「どういうことです、アーチャー?バーサーカーはすでに…………」
思いがけない言葉に疑問を呈する凛に助け船を出すかのように、セイバーが問いかける。その言葉は途中で区切られたがその意味するところは分かりやすく、そしてもっともだ。
「えぇ、仕留めましたよ。一回は」
「一回は……?ちょっと、その言い方じゃまるで…………」
「あははっ、すごいすごい!!よく分かったじゃない!!!!」
何回も殺さなきゃならないみたいじゃない、と続くはずの凛の言葉は先ほどまでバーサーカーを失い呆然としていたはずのイリヤの声に、アーチャーを肯定するような言葉に遮られる。
「はあああああぁぁぁぁぁぁ、やっぱりってところですかいね……。面倒くさい、あぁ面倒くさい、面倒くさい」
「一体どういうことよ、アーチャー?」
それなりの数の幸せが逃げていきそうな、というよりも逃げられたからこそ吐いたような長々とした溜息のアーチャーに、置いてけぼりを食っている凛が尋ねる。
「―――12の試練。たぶんヘラクレスにまつわる逸話でこれ以上ないってくらい有名なもんですよね?多分それがスキル、あるいは宝具にでもなったんでしょうね。途中からこっちの攻撃が通じなくなったんで、試練は乗り越えたって感じで攻撃に耐性を持つってのは確実でしょうが」
そんな凛に、アーチャーは面倒くさそうな雰囲気を隠そうともせずに言葉を返す。
「ただそれだと12って回数に意味がない。確かスキルや宝具って逸話に沿うようなもんでしたよね?出来れば12種の攻撃を乗り越えるって予想が当たったほうがよかったんですがねぇ〜。」
アーチャーはイリヤに視線を向けつつ、苦笑いを浮かべる。
「もっと大きなもん乗り越えるってことなんじゃって思ってたら、案の定って感じっすよ」
「ちょっと待って……それって、つまり…………」
「見直したわ、凛。あなたのアーチャー、なかなかやるじゃない。バーサーカーを一回殺すだけじゃなくて、宝具のことも見抜くなんて」
アーチャーの言葉から、バーサーカーが乗り越えたものに思い至った凛に追い打ちのようにイリヤが言葉を紡ぐ。
「■■■■■■■■■ーーーーーーーーーッ!!!!!!」
そして、その肯定を含んだ言葉を証明するかのようにバーサーカーが咆哮を上げ立ち上がる。
12.7×99mmNATO弾の連射を受け、口から後頭部にかけて空いていた風穴などなかったかのように。
その身体に、もう傷は見当たらない。
「バーサーカーの宝具の名前は『十二の試練』!!12回殺されなければ死なない、神からの祝福であり呪いなの!!」
「そんなッ、蘇生魔術の重ね掛けってことなの!?」
再びそびえたつバーサーカーに、イリヤの語る宝具の効果。
それは、凛とセイバーに大きな衝撃を与えた。
アーチャーの話によれば、攻撃に対しても耐性を持つと分かるのだから凛が動揺するのも無理はないだろう。
「でも、今日はこの辺でおしまい。もうすぐ魔術師の時間は終わるもの」
魔術を秘匿すべし魔術師は、主に夜中に暗躍する。そして、東の空がわずかに白み始めている。
いつの間にか、夜明けも近い時刻へとなっていた。
「だろうね。このままじゃ間違いなく夜は明ける。それはこっちも願い下げっすよ。でしょ、マスター」
目の前の敵のあまりにも反則じみた宝具に、心が揺らぎ呑まれかけていた凛の耳にアーチャーの声が響く。
その余裕を多分に含んだ口調に、凛は心を奮い立たせる。
「……えぇ、そうね。区切りにはちょうどいいわ。」
その言葉には、先ほどよりも強い意志が宿っていた。
そしてアーチャーも口を開く。
「まぁこっちには最優のサーヴァントたるセイバーさんもいるんだからさ、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン?遠慮なんか『ぐぎゅるるるるるるるるるぅぅぅ』してくださいお願いします調子乗りましたすいませんッ!!!!」
言い終わるや否やアーチャーは直立不動の姿勢をとり、手の先を膝まで下げて前方に深く体をまげる。
所謂、最敬礼の姿勢だ。
…………………………。
空気が、死んだ。
イリヤは今まで浮かべていた不敵な笑みから一転、キョトンと年相応の困惑を顔に浮かべる。
凛はぽっかりとまるで埴輪のように目と口を真ん丸に開き、セイバーでさえ驚愕を隠すことなく顔に表していた。
やはりというべきか、セイバーの構えに一点のブレも見当たらないのはさすがである。
この場にいる、当事者たるアーチャーと狂化されたバーサーカー以外の面々は、急にお亡くなりになった緊迫感あふれる雰囲気にフリーズした。
そして、アーチャーのおとぼけにもっとも慣れている凛の身体がプルプルと震え。
「バカーチャーーーーーーーッ!!!!!!」
「うひゃいっ!?」
バーサーカーに負けず劣らずの叫びとともに再起動。
というか、うひゃいってなんだバカーチャー。
「あんたは、こう、どうしてこうッ…………!!!!」
「堪忍をッ、それもこれも腹の虫が悪いんやッ!!!!」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!!!!あ ん た は く う き を よ み な さ い よ ! ! ! ! ! ! 」
「ぷっ、くくっ、あっははははははは!!!!」
どこかひさしぶりな、凛とバカーチャーの漫才のごとき掛け合いを聞いたイリヤが吹き出す。
「あははっ、おもしろいね。気に入ったわ、アーチャー。それじゃ、また今度会いましょう。士郎お兄ちゃんにもよろしく言っておいてね。凛、セイバー」
笑いを噛み殺しどこか優雅に言葉を紡ぐ。
そして。
「それと、アーチャーのお兄さん」
ひょいと、屈みこんだバーサーカーの肩に飛び乗りながらイリヤは締めくくった。
「行きましょ、バーサーカー」
背を向けこの場を離れるバーサーカーをしばし呆然と見つめるように見送り、そして。
「よっしゃあぁっ!!勝った!!!!いろんな意味で!!!!!!何か食い物買いましょマスターっ!」
「やかましいわっ!!ていうかいろんな意味でってなによ!!!!」
ただでさえ今日は出費がかさんだのに、と割と情けない理由で凛が拒否しそれにバカーチャーが抗議しわいのわいのと騒がしい二人。
「えぇと、申し訳ないが凛、シロウのことは……?」
そこにセイバーのもっともな言葉がかけられると、ピタリと静かになる凛。
「…………ああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
そして、絶叫。なにげにバカーチャーの鼓膜にダメージを与えつつ、セイバーと凛は急いで置いてきてしまった士郎の下へと駆けて行った。
そして、聖杯戦争最初の1日は過ぎていった。
なお、遠坂凛株式市場にてアーチャー株が高騰後、大暴落を起こしほぼ元の位置になったのは余談だろう。