第八幕 マスター、世の中は理不尽なのが常です。
「悪かったな、取り乱しちまって」
つい先程まで、まるで見えない誰かに訴えるかのように吠えていたランサーが槍を構え直しながらセイバーに対し口を開く。
「いや、構わない。だが一体なにがあったのだ?」
「……………………………………………………………………………………………知らない方が、いい」
「そ、そうか。ならいい、仕切り直しといこう」
ようやく先程までの武人らしい落ち着きを取り戻したランサーが、再びぶっ壊れてしまいそうな雰囲気を漂わせながらボソッと呟くので敵であるにも関わらず思わず気を使ってしまうセイバー。
…………………………………………やはりあのおとぼけ弓兵がどこまでもおとぼけなだけで、他のサーヴァントは違うようだ。
「ああ、それもいいが」
ようやく完全に元の調子に戻ったらしいランサーである。
その口は軽い。
「お互い初見だし、ここらで分けっていかねぇかい?」
「断る。貴方はここで倒れろ」
ランサーの申し出をセイバーは叩き斬る。
その言葉に、具体的には断るという一文にランサーがピクリと反応したのは、おとぼけ弓兵の元を去る時のことを思いだしてしまったからか。
しかしすぐに顔を引き締め言葉を紡ぐ。
「こっちはもともと様子見が目的だったんだ、サーヴァントが出たとあっちゃ長居する気はなかったんだが……………しょうがねぇ」
言葉とともにランサーの紅い槍に魔力が凝縮される。
それを感じ、油断なく構えていたセイバーもその手に力を込めランサーの挙動を一瞬も見逃さぬために意識を集中させる。
そして、ランサーが飛び上がる。
「その心臓…貰い受けるッッ!!!」
その勢いのままセイバーに飛び掛かる。
もちろんセイバーもその突きを避けるが、ランサーは構わず体勢を素早く整え。
そして。
「刺し穿つ(ゲイ)・死棘の槍(ボルグ)!!!」
放たれた突き。
「ッッ!!!!」
踏み込もうとしたセイバーは、魔力の解放を感じ、飛び上がる。
だが、しかし。
足元へと放たれていたそれは、その軌跡は。
有り得ないほどに捩曲がり、飛び上がり宙にあるセイバーの身体へと吸い込まれるように突き刺さる。
「グッ、クウゥ……」
セイバーが左胸を押さえ、苦しげに呻く。
押さえる右手からは血が滲み出ている。
「今のは呪詛……いや、因果の逆転か」
因果とは簡単に言えば物事の原因と結果のことだ。
もちろん、本来は原因があってこそ結果が生まれる。
それが逆転することとはすなわち、ある結果が決められておりその結果を在るからこそ原因があるということ。
例えるのならば、本来の因果は計算式の答えが空白になっている状態で、逆転した因果は答えの部分がすでに決まっている計算式だ。
本来の因果は答えに至る道筋がすでに定まっているが、逆転した因果は答えに至る為の道筋、中間が空白で最終的に定まっている答えになるのならばどんな過程でも成り立つ。
有り得ない。
そう、普通ならば有り得ない。
物理常識に反するそれは、魔術として見ればたしかに有り得ることである。
そしてランサーは、サーヴァントは魔術に置いても最高位に位置づけられる神秘だ。
因果の逆転を成してもおかしくはない。
「かわしたな、我が必殺のゲイ・ボルグを」
セイバーの言葉に対し返答するかのようにランサーは自身の槍の銘を口にする。
「ゲイ・ボルグ!!御身はアイルランドの光の御子か!?」
やにわに驚くセイバーに思わずセイバーの顔を見遣る士郎。
「それがクランの番犬が持つ、呪われた紅い槍か………!」
「ドジったぜ、こいつを出すからには必殺でなけりゃヤバいってのに………全く、有名過ぎるのも考え物だ」
その割には獰猛な笑顔を浮かべているのは余裕の表れか、はたまたアーチャーと対峙した際とは違う闘争に対する無意識の興奮が故か。
「己の正体を知られた以上、最期まで殺り合うのがサーヴァントのセオリーだが」
ランサーは言葉を紡ぎながら背を向け、歩む。
「生憎、うちの雇い主は臆病者でな。かわされたのなら帰ってこいだなんて抜かしやがる」
「逃げるのかッ!?」
セイバーは離れていく背に問い掛ける。
「追って来るなら構わんぞ……………ただしッ!!!その時は決死の覚悟を抱いてこいッ!!!!」
その答えにセイバーはグッ、と言葉を詰まらせる。
いくら必殺の槍を避けたとはいえ決して浅くない傷を負っている。
そも、無傷の状態で一進一退の攻防だったのだ。
追いかけるとすれば、ランサーの言う通り死を覚悟しなければなるまい。
無言という返答をその背に受け取ったランサーは跳躍。
そのまま姿を夜の闇に文字通り消した。
その直前、セイバーに覚悟を問い掛けた時に小さくガッツポーズを決めていたことは自身の不覚を責めていたセイバーには気付かれなかった。
無論、その方が双方にとって幸せであるのだが。
「待てッ!!!」
セイバーの制止の声に今の今までこの世の物とは思えない人間離れした武の極致に見惚れ、我を忘れていた士郎の時が動き出す。
「…あいつッ」
そのまま目の前の少女、セイバーに向かって駆け出す。
それに気付いたセイバーはこちらを振り向き、その美貌に再び士郎は見惚れてしまった。
だが、その少女の左胸の傷が目に着きそれが瞬く間に塞がったことで自身を取り戻す。
「お前、何者だ……」
人とは思えない身体能力の青い男と張り合えるほどの身体能力と、同様に高い武の技術。
おまけに直ぐさま塞がる傷。
さすがにお人よしと呼ばれ、自覚している士郎であっても不信感を感じざるを得なかった。
「何者もなにも……セイバーのサーヴァントです。貴方が私を呼び出したのですから、確認するまでもないでしょう」
−−−セイバー、サーヴァント、呼び出した………?
士郎にはまるで覚えのない言葉が目の前の少女から紡ぎ出される。
「セイバーの…サーヴァント……」
「はい。ですから私のことはセイバーと」
「そ、そうか。変な名前だな……」
…………………………………どうやら、前言を撤回する必要があるようだ。
そういうことではないだろう、普通。
「俺は衛宮士郎。ええと、つまり、聞きたいことが……………」
「わかっています。貴方は正規のマスターではないのですね?」
「マスター………?」
知りたいことはまるで話してもらえずにいる士郎。
若干哀れである。
「しかし、それでも貴方は私のマスターだ。契約を交わした以上、私は貴方を裏切りはしない」
セイバーもセイバーで、そのまま話を継続する。
どうも言葉の節々から少々頑固な部分が垣間見える。
「ちょ、ちょっと待て!!俺マスターなんて名前じゃないぞ!!」
いや、だからそういうことではないだろう。
「そうですか、ならばシロウと………ええ、私にはこの発音の方が好ましい」
……………どうやらセイバーの方から詳しい説明をする気はないようである。
「ぐっ、痛ぇ」
突如左手を押さえる士郎。
その左手の甲にはいつのまにか複雑な模様が刻まれていた。
「なんだ、一体?」
「シロウ、傷の治療を」
周りを見渡していたセイバーが声を掛ける。
「えっ、まさか俺に言ってるのか?悪いけどそんな難しい魔術は知らないし、それにもう治ってるじゃないかその傷」
その言葉にセイバーは眉をひそめ前へと顔を向け。
「ではこのままで臨みます。自動修復は外面を覆っただけですが、後一度の戦闘なら支障ないでしょう」
そう口にしたセイバーはそのまま前へ、衛宮家の門へと駆け跳躍する。
「あっ、おい待て!!」
門の前、そこにはセイバーを含め三人の人影があった。
「ハアアァァァァッ!!!!」
セイバーは残る二人の人影のうち、180?はある一目で男とわかる方へと自身の見えない剣を振り下ろす。
「みぎゃああああああぁぁぁぁ!?」
その見えない剣を情けない声を上げながら転がるように回避する男。
「バカーチャー!!くっ」
赤い上着を着た女性らしい影は、男に声を掛けると悔しげに声を漏らし懐からなにかを取り出すとセイバーに向かって投げつける。
転がるように回避した男に意識を向けていたセイバーだが、振り向いた際になにか……いや、赤い宝石だろうか。
避けることなど出来ないタイミングでセイバーが気付いたそれは、セイバーのすぐ目の前。
なにもない空中で砕け散る。
それを目の当たりにした赤い女が息を呑む。
そしてセイバーは女の方へと駆け出し、腕を…見えない剣を振りかぶり。
「止めろッ!!セイバー!!!!!」
士郎の声に反応し、動きを止める。
「彼女はおそらくアーチャーのマスターです!ここで仕留めておかなければ!!」
振り返り士郎へと言葉を返すセイバー。
「マスターだのなんだの言われても、こっちはてんでわからないんだ!!!」
一瞬の空白。
「俺はまだ、お前が何なのか知らない…………けど、話してくれるのなら聞くから、そんなことは止めてくれっ!」
「……………そんなこととはどのようなことのことか」
「……えっ?」
「そのような言葉には私は従いません。敵は倒す物です!」
「女の子が武器なんか振り回すもんじゃない!!怪我をしているならなおさらだろッ!」
セイバーと士郎の問答。
その問答は。
「……いつになったら剣を下げてくれるのかしら?」
赤い女の声で中断される。
「敵を前に剣を下げる道理などありません」
凛とした声が、明確な敵意を持って告げられる。
その言葉を受けた赤い女は口を緩ませる。
「ふふっ、セイバーともあろうサーヴァントが主に逆らうって言うんだ………」
その口をついて出たのは皮肉めいた言葉。
それを聞き、渋々と言った様子で剣を下ろす。
「なっ、お前……」
士郎の目に目の前の赤い女の全貌が映る。
「………遠坂」
「こんばんは、衛み『ぐぎゅるるるる』……バカーチャー?」
「いや、だって夕飯抜きでめっちゃ動いたんすもん。腹も減りますって」
気の抜けるような腹の音と台詞で緊張の糸がちぎれる。
それと同時にぶちりと太い糸がちぎれるような音が響いたのを聞いたのは果たして士郎だけだったろうか。
「あんたは…あんたは……あんたは………毎度毎度なんちゅうタイミングで腹の音鳴らすのよッっ!!!!!」
「世の中ってもんは理不尽なのが常なんですぜ、マスター」
「元凶がドヤ顔で偉そうな口を……………聞くなッッっ!!!!!!」
「久方ぶりのガンドオチ……アッーーーーー!!!!」
−−−えっあれさっきセイバーに切り掛かられてたっていうか青い男ランサーだったっけかあいつにも校庭で殺されかけてた奴じゃねていうか遠坂だよなあれ遠坂って容姿端麗文武両道才色兼備の優等生だよなそれじゃ目の前で口汚い言葉で男のこと罵りながら指から黒いなにか出してるあれって誰だ遠坂だよなうん遠坂だあれ俺の目がおかしくなった訳じゃないよな遠坂だ遠坂ていうかセイバーもキョトンとしてるよ綺麗だなていうかアーチャーバカーチャーマスターあれ遠坂って魔術師だったのかそうかそうかうんとりあえず一言だけ。
「……………………なんでさ」
そう一言呟いた士郎はそれっきり考えることを止めた。