カボチ村の西。峻厳な山々に囲まれた一角に、歪に口を開けた洞窟がある。地下水の浸食と地殻変動により長い時間をかけ形成されたもので、間口は広く奥行きは深い。埋蔵資源も豊富だったが、ここを訪れる人間は絶えて久しかった。
近くに人間が住む集落が少ないことと、何よりここが『魔物の巣』と呼ばれるほどモンスターの巣窟になっていたからだ。
隔絶された環境の中にいるためか、この洞窟に棲みつく者の多くは周辺の魔物とは毛色の違う。個々人が持つ気質も様々であるから、当然、軋轢もあった。
だが今はそうしたモンスターたちの対立は小康状態にあり、平穏を保っている。
理由は、数年前にこの巣へとやってきた一匹のモンスターにあった。
魔物だけに通じる声にしても、際立って間延びした口調で一匹のモンスターが言う。全身が半固体の泥でできた『ドロヌーバ』だ。お調子者のくせに荒事は避ける性格のため同族からは煙たがられているが、本人はまったく気にしていない。それというのも、彼には心を許せる仲間がいたからだ。
その一匹、岩場の陰に座り込んで黙々と作業に没頭する大柄なモンスターがドロヌーバの声に振り返る。大きな一つ目が鬱陶しそうに細められた。『ビックアイ』である。
ドロヌーバから鉱石をひったくり、一つ目を輝かせて真剣に検分するビックアイ。職人気質な彼は、見た目に反して手先が器用なことで知られていた。日がな一日、こうして鉱物を加工しては道具を作る作業に没頭している。
彼が今作っているのは、鉱物を鋭く尖らせた爪だった。数本のそれを組み合わせ、洞窟の外で取れる丈夫な蔓で結びつければそれなりの見た目になった。しかしビックアイは気むずかしそうに唸る。
相変わらず緩い口調だった。だがビックアイは、それこそドロヌーバの親愛の表われなのだと理解しているためため息ひとつで済ませた。
「なんじゃおぬしら。まだやっとったんか」
唐突に人の言葉が聞こえ、ビックアイたちは振り返る。しわがれた声の持ち主は骨と皮だけになった顔を緩めた。
「それにさっき人間という言葉が聞こえた気がするが、どれ、人間のことならこの爺に何でも聞いてくれい。こう見えて儂は古今東西、さまざまな知を身につけた『まほうつかい』じゃからな!」
薄汚れた青緑のローブを震わせ、『まほうつかい』は呵(か)々(か)と笑った。この大言を吐く無闇にかくしゃくとした老人も歴とした魔物、そして心を許せるもう一人の仲間であった。さっそくビックアイが尋ねる。
「ほほう。なかなか見た目はよくできておるが、まだまだじゃの。使っている鉱石の種類がばらばらではないか。それではすぐ使い物にならなくなるぞ。それに爪を固定するものにその蔓を使ってはいかん。確かに丈夫じゃが、長く皮膚に付けていると痛くなる。そういう作用があるものじゃからな、それは」
「あとで儂が爪に相応しい鉱物が採れる場所まで案内しよう」
「お主も来るんじゃよ。そこは暴れ者が多い区域じゃ。か弱い儂がどうなってもいいと言うのか?」
「ちなみにお主は盾じゃ。その身体のくせに無駄に頑丈なのだから、ちっとは働けい」
「おお、そうじゃったそうじゃった。この歳になると忘れっぽくていかんのう」
からからと笑い自らの頭を小突く。
「お主らを呼びに来たのじゃ。ちくっと相談があるそうじゃよ」
作業を放り投げ、ビックアイは立ち上がった。洞窟内は天井も高いが、それでも彼が立ち上がると壁がせり立ったような威圧感がある。彼らはまほうつかいの先導で洞窟の外へ向かった。
長い年月で自然にできあがった斜面を登り、地下深くから地表に出る。爽やかな風が吹き抜け、日中の強い陽光が降り注ぐ。「干物になってしまうわい」と軽口を叩き合いながら、入口外縁に広がる岩場をさらに登っていく。この先には周囲の景色が一望できる場所があった。
やがて視界に一匹のモンスターの姿が見えてきた。岩場の先端に立ち、蒼穹を背景に東の方向をまっすぐに見据える四足獣。黄金に見まがう体毛と炎のような鬣(たてがみ)、力強さと美しさを兼ね備えたしなやかな体付きは、人でなくても思わず見とれてしまうほど強い魅力を秘めていた。
ビックアイが進み出て頭を下げる。
チロル――この魔物の巣の中で唯一、人により与えられた名を自ら名乗る女豹。『地獄の殺し屋』キラーパンサーは、気の強そうな瞳を緩めて振り返った。
尊敬する彼女からそう言われてもビックアイは首を振った。このキラーパンサーの力がなければ今の平穏はないと彼は信じて疑っていないからだ。チロルがその類い希な力と強い意志でモンスターたちをまとめ、あるいは威圧していなければ、自分たちのような戦いに興味のない者たちは簡単に葬り去られてしまっていたであろう。
ビックアイの思いを悟ったのか、チロルは苦笑するように喉を鳴らした。
――ビックアイたちは知る由もなかったが、かつて彼女が主とも家族とも想った者と、その仕草はとてもよく似ていた。