ビックアイが尋ねると、チロルはゆっくりと岩場を降りてきた。彼女の表情にはどことなく辛そうな色がある。
嘆息するドロヌーバをビックアイが殴る。まほうつかいは顎に手を当て、思案しながらつぶやいた。
「しかしのうチロル。毎度思うが、お前さんがそこまでする必要があるかい?」
殴打されて地面に広がっていたドロヌーバが言う。
チロルはうなだれた。落ち込む彼女を見たビックアイが再びドロヌーバを殴る。と騒ぐ二匹を余所に、まほうつかいが再び諭す。
「お前さんが来てから、ここはずいぶんと平和になったわい。それは間違いない。じゃがの、だからといってチロルが全てを背負う必要はないのじゃ。もっと言えば、ここに留まる必要もないじゃろうて。洞窟でキラーパンサーはお前さん一匹、じゃがほれ、お前さんぐらいの美貌なら、キラーパンサーの巣に行けばモテモテじゃぞ? 古今東西の知を身につけた儂が言うのだから間違いない」
チロルは髭を揺らして笑った。そして洞窟を振り返る。
「それは、お前さんがここに来たときに持っていた『あの剣』が関係しているのか?」
ぐるる、と我知らず唸り声を上げるチロル。その瞬間、普段は気が強くも思いやりに溢れる瞳が獰猛な獣の光を宿した。まほうつかいはため息をつき、チロルの首をぽんぽんと叩いた。
「やれやれ。困ったの。我らだけで奥の奴ら全員を相手にするわけにいかぬが、だからこそ平穏が保たれていると考えると皮肉なもんじゃ」
チロルが目を細めて職人気質のモンスターを睨む。普段強面の彼は途端に萎縮して頭を垂れた。
それから四匹は一度洞窟の住処に戻り、食糧調達の算段を始める。奥に棲むモンスターの中で比較的仲の良い者と情報交換し、必要な分をチロルが近くの人里――カボチ村まで奪いに行くというものだ。本当ならもっと大人数で行けば効率が良いのだが、村人を傷つけたくないというチロルの意志を通した結果、彼女一匹が骨を折る結果になっている。『お前の顔を立ててやるから、その分働け』というのが奥のモンスターの言い分なのだ。
大まかな調達量を把握したチロルが出発のための準備をしているとき、突然洞窟内にモンスターの警告が響いた。
チロルたちは顔を見合わせた。ここで言う『余所者』とは別地域に棲んでいるモンスターのことを指す。だがなぜモンスターが人間と一緒に攻めてくるのだろう。
「ほほう。なるほどこれは珍しい。魔物使いか」
まほうつかいが意味ありげに言った。ビックアイが大きな目を細めて怪訝そうに老人モンスターを見る。
「読んで字のごとく、ってお前さんらは文字が読めなかったな。我らモンスターの邪気を祓い、味方に引き入れる能力を持った人間のことじゃ。おそらくやってきた余所者はみな人間の味方じゃぞ」
「ま、そうとも言えるが……良いのか、ビックアイ? お前がチロルの前でそのようなことを言って」
見事に凍りつくビックアイ。チロルがかつて人間と共に冒険していたことを彼も聞き及んでいた。恐る恐るキラーパンサーを見る。彼女は怒った様子はなかったが、表情は真剣だった。
「でしょうな。大方、村が金で雇った傭兵といったところじゃろう」
チロルの口調の変化に眉をひそめながらまほうつかいは首肯する。
「そういうことをする輩もいるじゃろ」
「あるじゃろうな」
敢えてそれだけを告げる。ちょうどそのとき、さらなる警告が響き渡る。
ビックアイが声を上げたときには、すでにキラーパンサーは火炎色の鬣を翻して洞窟の奥へと駆け出していた。