小説『ドラゴンクエスト? 〜天空の花嫁〜 《第一部》』
作者:wanari()

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 いつでも飛びかかれるように四肢に力を込め、チロルは襲撃者たちを睨んでいた。敵の数は魔物を含めて六匹。種族はばらばらだが、皆相応の実力者に見えた。威嚇の唸り声を上げながら、悲壮な覚悟をその胸に抱く。
 ――せめてこの場所から引き剥がさないといけない。たとえ刺し違えることになっても。
 そう。チロルは是が非でもここを守る必要があった。余所者にこの場所を、この場所に眠る『あの剣』を奪われるわけにはいかないのだ。
 数の上で圧倒的に不利な以上、不意をついた今の機を利用し相手を攪(かく)乱(らん)すべきだった。その上で戦いの場を変える。この暗闇と不規則に入り組んだ洞窟の構造はチロルの慣れ親しむところ、地の利は彼女にある。
 しかし。それがよく理解できていながら、彼女は動くことができなかった。それは相手も同じようで、しばらく緊迫した睨み合いが続いた。
(チロル様ぁ!)
 そのとき、ビックアイたちがチロルの元に駆けつけた。乱暴者の魔物たちに邪魔をされたのか、体のところどころに傷があったが、皆無事である。チロルは安心すると同時に厳しい口調で叱責した。
(お前たち、なぜここまで来た!? 相手は本物の襲撃者なのよ!?)
(う。し、しかしですね)
「お前さんの慌てようを見れば、心配になるというものじゃ。捨て置かれる爺の身にもなってくれ」
 ビックアイが萎縮し、まほうつかいがやんわりと言う。ドロヌーバは目の前の襲撃者たちを興味深そうに眺めていた。気を取り直したビックアイが小声で進言する。
(一度撤退しましょう。このままでは不利です)
(わかってる。けれど駄目)
(しかし。彼らと戦うのはまずいです)
(なぜそう思う)
(いえ、その。上手く説明できませんが、非常にやりにくいです。何もかも見透かされているというか)
 チロル以外に対してはいつも強気な姿勢のビックアイが珍しく及び腰になっている。確かに彼は戦闘が得意なモンスターではないが、それにしても外部からの侵入者に対して始めから気を呑まれるということはない。
 正直なところ、チロルには彼の気持ちがよく分かった。
 ビックアイの視線は襲撃者の中心に立つ人間に向けられていた。チロルもまた人間に目を向ける。
 ――あの瞳ね。
 戦闘となれば闘争本能の塊になる存在であることは、自分自身がよく理解している。にもかかわらず一向に戦う気が湧いてこないのは、あの人間の瞳を見たからだと確信できた。
 この感情を何と表現すれば良いのだろうか。時折この場所までやってきて、そして自らが運んで来た『あの剣』を眺め、匂いを嗅ぎ、そしてしばらくその前で座っているときのあの感情――体の奥底から湧き上がってくる温かく、優しく、それでいて空虚な気持ちに似ている。似ているのだが、しかしどこか違う。
 チロルは無意識の内に唸り声を止めていた。襲撃者たちが戸惑ったように人間を見る。人間はチロルたちをじっと見つめながら、身振りで襲撃者たちを制止していた。どうやらこの人間が彼らの主のようだった。
 チロルは迷った。これほどの懊悩はカボチ村を襲うことを決めて以来だった。
(まほうつかい)
「なんじゃ」
(彼らに伝えて。ここから出て行くようにと。何もしないで立ち去るのなら、チロルの名にかけて出口までの安全は保障するからと)
「お前さんの名を出してよいのじゃな?」
 まほうつかいが確認する。他の魔物と違い、チロルにとって自らの名を出すことは特別な意味を持つ。彼女はうなずいた。まほうつかいは一つ咳払いをし、おもむろに襲撃者たちに歩み寄った。
「あー、ごほん。ここまで殺気立たせてすまんのだが、儂らの話を聞いてはくれんかの?」
「話し合いは我らの希望と合致します」
 律儀にスライムナイトが答える。どうやら彼が人間の代わりに交渉役に着くようだ。まほうつかいはその細い指で自らの頭を掻いた。
「結論から言ってしまえば、儂らはあんたらと戦いとうはない。この場は穏便に済ませて、帰ってもらえんかの」
「我らはあなた方を蹂躙するために訪れたのではありません。ここから近い人里、カボチ村に対する襲撃の実態を調べ、もうそのような真似をしないよう説得するために来たのです」
「……と、言っとるが。どうするね」
 まほうつかいがチロルを振り返る。彼女はうなずいた。彼らの目的はチロルの希望とも一致する。この洞窟の魔物との関係を見直す良い機会にも思えた。
「あいわかった。あの村への襲撃は儂らにとっても本意ではないでの。あんたらがそう言ってくれれば、むしろ助かるわい」
「そうですか」
「うむ。それにしても、あんたらはなかなか義理堅いのお。あの村の人間は儂も見たことがあるが、あやつらは人間の中でも相当性根が凝り固まった連中のようじゃったからの」
「ええ、まったくその通りです。困ったものです」
 あっさりと肯定されたのでまほうつかいだけでなくチロルも呆れた。
 スライムナイトが自らの主に「構いませんね?」と確認を取ると、人間はうなずいた。どうやら交渉は上手く運びそうだと思ったチロルは戦闘態勢を解き、洞の奥を見た。闇目の利く彼女の視界は、そこに眠る剣の姿をしっかりと捉えていた。
「やれやれ。とりあえずこれで落着かの。この辺りは儂らと違って乱暴者が多いゆえ、出口までは責任を持って案内させてもらおう。そこのキラーパンサー、チロルの名にかけて」
「チロル?」
 人間が声を漏らす。チロルは振り返った。スライムナイトたちを押しのけ、人間が彼女の前までやってくる。スライムナイトが言った。
「どうしたのですか、アラン」
(アラン?)
 今度はチロルがつぶやき、まほうつかいたちの首を傾げさせた。
 座り込んだチロルの眼前に人間が膝を突き、その手をゆっくりと出してくる。チロルは何も言えず、髭を細かく震わせて人間を見据える。
 人間の手が止まった。しばらくチロルと目を合わせていた彼は何かを思い出したかのように道具袋に探った。そこから出てきた物の姿、そして微かに漂う匂いにチロルは大きく目を見開いた。

 ――なぁお……なぁお……なぁお………………――

 十年前の記憶が、あのとき自らの上げた声が、脳裏に甦ってくる。
 完全に固まったチロルの鼻先に、人間は手を差し出してきた。握られているのは人間たちがリボンと呼ぶ髪留めの布だった。ところどころ破れ、色褪せし、匂いも薄れて、過ぎ去った年月を否応なく感じされるそれを掲げて、人間はゆっくりと言った。
「わかるかい、君が付けていたものと同じリボンだ。ビアンカがくれたものだよ。覚えているかい。僕だ、アランだ。君と一緒に冒険した、アランだよ」
 一言一言噛みしめるように、どこまでも優しく、彼は言った。
 アラン。ビアンカ。
 その名を忘れてはいない。
 忘れようはずもない。
 チロルは引き寄せられるようにリボンに鼻先を当てた。匂いを嗅ぐ。その瞬間、この人間を見た時に抱いた感情の正体に、あの剣を見た時に抱く気持ちとの違いに気づいた。
 チロルは一歩踏み出す。そのまま自らの額を人間の――アランの胸に押し付けた。一度、二度、三度とこすりつける度にチロルの全身が熱くなってきた。アランの手が頭に乗せられる。ゆっくりと一撫でされると、この十年、一度たりとも感じなかった心地よさが胸の奥まで駆け抜けた。
 我知らず喉を震わせ、チロルは泣くように鳴いた。
(兄さん、アラン兄さん!)
「チロル!」
 ――十年ぶりの再会に、彼らは震えた。

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