「これは、驚いたわい」
ようやくのことで口にできた、というようにまほうつかいがつぶやく。
「お前さん、まさか十年前にチロルと旅をしとったという人間の子か!?」
「僕を知っているのか?」
チロルから体を離し、アランは尋ねた。当のキラーパンサーは彼の傍らで腰を落ち着けている。まるでずっと昔からそうするのが当然だったように。その様子を見たまほうつかいはうなずいた。
「うむ。チロル自身から聞いていたよ。儂は彼女の相談役だったからの。ああ、ついでに紹介しよう。後ろにいるでっかいのがビックアイ、ドロドロなのがドロヌーバだ。同族くらいは見たことがあろう?」
驚きの次は実に飄々とした表情を見せるまほうつかい。好々爺というより抜け目のない変わり者といった風体の老人の頭を、ビックアイが二度三度と小突く。どうやら彼の方は事態の進展についていけず随分と混乱しているようだった。ドロヌーバに到っては何を考えているのかもわからない。
「『一体何がどうなってる』とビックアイはまくし立てています。まあ無理もないでしょう」
アランの隣でピエールが剣を収めた。他の仲間たちも各々警戒を解いていた。
ピエールがチロルの元に進み出る。
「チロル。私のことも覚えていますか。ラインハットでの折、貴女に言いましたね。良き主に恵まれたと」
「がるぅ」
まるで礼を言うように小さく喉を鳴らし、チロルは瞑目した。
「今では私もアランの従者、いえ、彼の言葉を借りれば友です。道中、よろしくお願いしますよ」
「がるるるっ」
「やはり行かれるか」
まほうつかいが言う。彼の台詞にビックアイとドロヌーバが固まる。アランは彼らの瞳を順番に見た。微笑を浮かべ、チロルの頭を軽く撫でる。
「さすがにチロルが選ぶだけはある。皆、綺麗な瞳をしているよ」
「ほっほっほ。生まれてこのかた呪文の腕は褒められても瞳の美しさで褒められたことはありませんぞ」
まほうつかいは実に気持ちよさそうに笑った。あまりに無警戒なためか、ビックアイが戸惑ったようにアランとまほうつかいを見比べる。彼の背をぽんぽんと叩きながらまほうつかいは尋ねた。
「稀有な力を持つ魔物使い殿、ここらでお前さんの名を聞いてもよろしいか?」
「僕はアラン。まほうつかい、もしよければひとつ、僕からお願いしたいことがある」
「なにかな?」
「君に、いや君たちに名を付けさせて欲しい」
チロルとピエールがアランを見る。まほうつかいは笑みを浮かべたまま探るように言った。
「それは、お前さんの仲間になれということかな?」
「強制はしないし、できない。ただ僕は君たちに一緒に来て欲しいと思ってる。チロルの良き友人である君たちに」
「と、仰っているが。どうするねお二人さん」
「オオォオ」
ビックアイが視線を彷徨わせた。一方のドロヌーバは液状の体を大きく上下に動かして何事か鳴いている。喜んでいるようにアランには見えた。
するとチロルが進み出て、ビックアイの前に立った。そして静かに頭を垂れる。
「ぐるる、がう」
「オオ……」
何事か言葉を交わしあう二匹。どうやらチロルがビックアイを説得しているようだった。
やがてビックアイが声を大にした。今までの、どこか周囲の空気に呑まれていた雰囲気が消えている。さっぱりした瞳をアランに向けた。それを見たアランはうなずいた。
「ありがとう。君は……ガンドフ。どうかな」
「オォ」
返事をするビックアイ――ガンドフに微笑み、次いでドロヌーバを振り返る。何か期待を込めているような仕草を見せる彼に「君はヌーバだ」と伝えた。万歳をするように体を上下させるヌーバ。
「そして」とアランはまほうつかいを見た。
「君はマーリン。まほうつかいのマーリン」
「ほっほ。こうして聞いてみると、なかなかこそばゆいですな。チロルの心が少々わかる気がしますわ」
頭を掻きながらまほうつかい――マーリンは言った。
「アラン殿。これからはこの老骨の知識、存分にお使いなされ。このマーリン、その方面に関してはなかなか自信があるますゆえ」
「ああ、期待してる。けれど無理はしなくていい」
「はあ。何とも主らしからぬお言葉ですなあ」
「それがアランという人物です」
骨と皮だけの顔面に呆れた表情を浮かべてマーリンがつぶやくと、すかさずピエールが言葉を補った。「いや失敬失敬」と頭を掻き、それから彼は短く呪文を唱えた。掌に灯り代わりの炎が点く。
「さて、と。ここを出るなら『あの剣』のことも伝えねばならぬでしょうな。よいですかな、チロル」
「がる」
ひとつうなずくと、彼女はアランの裾を噛んで引っ張った。洞の奥へと導く。首を傾げるアランに「ほら、あれですじゃ」と言いながら、マーリンが洞の奥を照らした。
光を受けて、何かが輝く。一瞬目を細めたアランは次の瞬間瞠目し、立ち尽くした。
「ま、さか」
アランの視線の先――洞の奥まった場所に一本の剣が突き刺さっていた。深い鋼の色を見せる表面、鍔から先端にかけて一切の無駄なく流れる刀身、そして何より握り部分の紋章にアランは見覚えがあった。
間違いない。あれは父パパスが愛用していた剣だった。ゲマとの戦いの中で失われてしまったとばかり思っていたのに――
アランはチロルを振り返る。
「そうか、君が父さんの剣を」
「にゃうぅん」
答えたチロルの声はどこか悲しそうだった。突然訪れた別れに加え、十年前の小さな体でこの剣を運ぶ辛さはいかほどのものであっただろう。しかも彼女は今日(こんにち)までの長き間、この剣を守り続けてくれていたのだ。
チロルが剣の側に立つ。のそりと前足を上げ壁に突き、巨体を器用に支える。雄々しく突き出た牙で傷つけないように慎重に剣の握りをくわえ、引き抜いた。そのままアランの元まで持ってくる。
アランは言葉を失ったまま、ゆっくりとチロルからパパスの剣を受け取った。ずっしりと重い。まるで父の願いと決意をすべてその身に吸い取ったかのようだ。だが持ち続けているうちに不思議と手に馴染んだ。十年も放置されていた剣とはとても思えない。
ピエールが感嘆の声を上げた。
「かなりの業物ですね」
「さよう。儂の目から見ても相当なもの。おそらく、人間の基準では値が付けられないほどのものじゃろうて。惜しむらくは手入れが不十分だったことじゃが、それでも輝きが失われていないのはさすがと言うべきじゃ。アラン殿。その剣、お前さんが手にしてこそ相応しいと思いますぞい」
「ああ……ありがとう。ありがとう!」
アランが感極まったように柄に額を当てる。そこでマーリンはガンドフを呼んだ。さらに意外な者にも声をかける。
「そこのお嬢さん。えー」
「……ブラウン」
「うむ、ブラウンよ。お前さんにも頼みたい」
剣の前に立った二匹は互いに顔を見合わせた。マーリンは指を立てて得意げに言う。
「このような業物が汚れたままなのは非常にもったいない。そこでじゃ、お前さんたちにこの剣を鍛え直してもらいたい。何、難しいことはない。ちょこっと埃と汚れを払えばよいのじゃ。儂の知識とガンドフの器用さ、そしてブラウンのおおきづちがあれば、剣にかつての輝きを取り戻させることもできるわい!」
そう言って彼はふぉっふぉっふぉっと笑った。