――外の喧噪が細くなり、やがて消え、夜が来る。
パパスとアランが案内された部屋は、親子二人が寝るには少々広いくらいだった。良い部屋が空いているというおかみさんの言葉は、なるほどその通りだった。
だからこそアランはなかなか落ち着けず、寝台の中でしきりに寝返りを打っていた。
何度目だろうか。パパスに背を向けるように寝返りを打ったとき、入り口の扉がゆっくりと開いた。
「……アラン」
ビアンカがゆっくりと寝台に近づき、声をかけてきた。アランもまた音を立てないように注意しながら床に降り立つ。
アランの手をビアンカが握る。
「さあ、行きましょう。お化け退治に北のお城――レヌール城へ。猫ちゃんを助けなきゃ」
「うん」
連れだって部屋を出る寸前、アランは父の寝台を振り返った。パパスは目を覚ます気配がない。ごめんなさい、と心の中で謝る。
すると不意に、父の口からか細い寝言が漏れてきた。
「……マーサ……私たちの……アランは……元気に……」
きゅっ、とアランはビアンカの手を強く握った。
部屋を出て、慎重に扉を閉める。他の宿泊客やビアンカの両親を起こさないよう、息を潜めて歩く。重い正面扉を開けると、肌を刺すような冷気が吹き付けてくる。
「うぅっ……やっぱり夜は少し寒いね」
「……うん」
「……」
無言。やがてビアンカが意を決したように口を開く。
「ねえアラン。さっきのおじさまの寝言……だよね? マーサって」
「僕のお母さん……だと思う」
「思う?」
「お母さんは僕は小さいときにいなくなっちゃったんだ。僕はぜんぜんおぼえてなくて、でもお父さんはお母さんをさがして旅をしているって。ずっと」
「……ごめん! アラン。私、いけないこと聞いちゃった……」
「ううん」
アランは首を振る。
気まずい空気が流れた。
アランは夜空を見上げた。冷たく、けれど澄み切った空気の向こうには、藍色の空を埋め尽くすほどの星が瞬いていた。
確かに、アランにははっきりとした記憶はない。けれど身体が、心が、薄ぼんやりと母の姿を思い起こさせるのだ。温かい、優しい、そして清らかな母の気配――いのち。
この世界のどこかで母は同じ空を眺めているのだろうか。
いつか、パパスとともに再会することができるだろうか。
いや――きっとできる。
パパスが探し求め、そして母が自分の思うとおりの人ならば、いつか必ず――
「ありがとう、ビアンカ。でも僕はだいじょうぶだよ。……それより、僕が昼間言ったことおぼえてる?」
「え?」
「お化け退治するならきちんと装備をととのえてから行こうって話」
気分を入れ替え、アランは懐から財布を取り出した。そこにはサンタローズの洞窟で得たお金(ゴールド)が詰まっていた。ビアンカが「わあ」と声を出す。
「これで買い物しようよ。お店が開いているか、わからないけど……」
「街の人は働き者だから、まだ大丈夫だと思うよ」
それから二人は武器屋、防具屋、道具屋を見て回った。アランの手持ちは少なかったからろくな買い物はできなかったし、何よりこんな時間に子ども二人で出歩く姿にお店の人は驚いていたが、ビアンカが持ち前の大胆さで無理矢理納得させてしまった。
「何だか本当の旅に出るみたいだね」
ビアンカが言う。浮かれているのか、声が弾んでいる。
アランはうなずき、それから自らの腰に手をやった。
そこには真新しい『銅の剣』が鞘に収められていた。スライムにもらった『かしの杖』を手放すのは気が引けたが、これから向かう先のことを考えて思い切って購入した。
ついに自分も父と同じ『剣』を持つ――そう考えると首の後ろがふつふつと沸き立つような錯覚を抱く。
ちなみに隣のビアンカは『くだものナイフ』を持っている。「本当は『いばらのムチ』が欲しかった」と彼女はぼやくが、お金が無い以上高望みはできない。
夜のアルカパの目抜き通りに人の姿はほとんどなかった。時折、酒場の方へ向かう男たちとすれ違うくらいだ。その先、街の出入り口にさしかかると、そこには昼間と同じ門番の男がいた。
ただし――木の幹にもたれて居眠りをしている。
「この寒いなか、よく居眠りができるね。まじめなのか、ふまじめなのか、よくわからないわ」
ビアンカが呆れた声を出す。二人はそっと、門番の男の脇を通った。
街を出る。森と、草原と、遥か先には高い山々と、それらすべてを覆い尽くす広大な夜空が広がっていた。
ビアンカが拳を握る。
「待っててね、猫ちゃん。私たちが必ず助けてあげるから……いざ、レヌール城へ!」