部屋を出た二人は、さらに廊下の奥を目指した。あの女性の幽霊が指し示した先に、何かがあると思ったのだ。
「けほ、けほ」
ビアンカが咳き込む。「何だか空気が重いね」と彼女は言った。それはアランも感じていたことだった。足元と天井の両方から、淀んだ気配が漂ってくる。
突き当たりに扉があった。ゆっくりと開ける。
「……?」
最初、それが何なのかアランにはわからなかった。
目の前に広がる赤くて白くてふわふわしたもの。目を凝らしても形が曖昧で、煙のようにぼやけた何か。
やがてそれが豪奢な服であると気付き、それを身に付けているのが恰幅の良い男だと気付き、さらには男が目の前に『浮遊』していることに気付いて悲鳴を上げた。
「うわぁっ!?」
「きゃあっ!?」
ビアンカも同時に声を上げる。すると男は滑るように部屋の奥へと飛んでいった。
奥の扉を『すり抜ける』。
呆然と立ち尽くすアランたちは、やがて各々の武器を取った。唾を飲み込み、一歩踏み出す。あれがこの城の幽霊の親玉か――二人は無言でうなずきあった。
さっきよりもずっと慎重に扉の前に立つ。そっと押し出すように扉を開いた。途端、強い風がアランとビアンカの脇を走る。
そこはベランダになっていた。城の外壁に沿うようにゆるやかなスロープを描いて上へと続いている。
突き当たりに、さきほどの男が浮かんで待っていた。
恐る恐る、二人は男の前に立つ。武器を構え、その切っ先を向けると、男はどういうわけか感心したような声を出した。
『おお。勇気のある子どもたちじゃ。まさかここまで付いてくるとは』
「え?」
予想外の言葉にアランの手が止まる。すると男は満足そうに何度もうなずいた。
『わしはこのレヌール城の主、エリック。……といっても、ご覧の通りの有様。もう死んでからずいぶんと経つ』
「あるじ?」
「じゃあレヌール城のお化けの正体は、おじさま?」
『いや』
ビアンカの問いかけに、レヌール城主は小さく、しかしはっきりと否定した。
『少し前からこの城に親分ゴーストとやらが棲みつきはじめてな。わしや后(きさき)、それにこの城に眠る多くの使用人たちは奴らに縛られ、安らかに眠ることができなくなった。今もなお、下の階ではゴーストたちが好き勝手にしている。みな、ほとほと困っておったのだ』
「じゃあ、噂で聞いた『人が泣く声』って」
『我が后を含め、囚われた霊たちには女性も多い。彼女らの悲痛の叫びが君たちの住む場所まで届いたのだろう。それは申し訳ないと思っている。だが、わしらとしてはどうしようもないのだ』
沈鬱なエリックの表情にアランとビアンカは口を閉ざす。
すると突然、エリックが目前に近づいてきた。
『そこでだ君たち。噂があるにもかかわらずこの城までやってきて、なおかつこんなに奥までたどり着けた君たちの勇気と力を見込んで、ひとつ頼まれてくれないか!』
「わわっ!?」
『親分ゴースト! こいつさえ倒すことができれば、他の子分たちも諦めて出て行くだろう。そうすればわしらは安心して眠りに入ることができる!』
「え、えっと?」
『だいじょうぶだ! 君たちはまだ小さいが、その勇気は本物であるとわしは信じる。きっと親分ゴーストを退けることも可能だろう! 頼まれてくれないか! な!』
「あ、あの。エリックさん、ちょっと近すぎ……」
『な!』
うぅ……と困惑の声をあげるアランとビアンカ。しかしエリックは一向に引く気配がない。このままではエリックに身体を乗っ取られるか、さもなくば呪われてしまいそうな勢いだった。
やがて腹を決めたのか、ビアンカが拳を握った。
「おちついて、エリックおじさま。わたしたち、この城のお化けを退治しにきたの。おじさまの言うように悪いお化けがいるのなら、わたしたちがやっつけるから」
「うん」
アランもうなずく。するとエリックは大げさなほどに喜んだ。
『そうか、そうかそうか! いやありがとうっ! 親分ゴーストはこの城の最上階にいる。ただその部屋に行くためには一度一階まで下りなければならないのだ。さあ、こちらへ来たまえ』
ふわふわ、とアランたちの頭上を越えてエリックが扉の前に降り立つ。
『この城の厨房にたいまつがある。ただのたいまつではないぞ。わしらの生きていた頃、儀式用に使っていた聖なるたいまつだ。それを使えば、途中の階にある不自然な闇も祓うことができるだろう』
厨房は地下にある、とエリックは付け加えた。ところが一向に動こうとしない彼に、アランは念のため尋ねる。
「あの、せめてたいまつのありかまで一緒に来てもらうことは……?」
『わしでは闇を越えられない。なにせ縛られてしまっているから』
自信満々に言われてしまった。
肩をすくめたアランとビアンカは、気を取り直して来た道を引き返し始める。
目指すは地下の厨房、たいまつが保管されている場所だ。