裏路地の奥に消えていったスライムナイトを確認して、アランは大きく息をついた。
まだ心臓がドクドク鳴っている。
本当に強い者と対峙するとこういう気持ちになるんだとアランは思った。――が、感慨に耽る間もなく、デボラによって胸ぐらを掴まれる。
「ちょっとアラン! あんた、あたしの下僕でしょ。何でご主人様に立てついたモンスターを逃がすのよ!」
「いや、だけど」
「口答えしない!」
ぴしゃりと言われ、アランは目を丸くした。するとすかさず、フローラが間に入る。
「姉さん、そんな言い方はないわ。アランは私たちを助けてくれたのよ。きちんとお礼を言わなきゃ」
アランに向き直る。穏やかな微笑みを浮かべながら、彼女もまた興奮冷めやらないのか、血色が良くなっている。
「ありがとう、アラン。あなたのおかげで助かりました。でも驚いたわ。アランがこんなにも強かったなんて。私、目の前で攻撃呪文を見たのは初めてです」
「ああ、あたしもそれ思った」
デボラもうなずく。
「今度あたしに教えなさいよ。下僕だけが覚えているなんてとても癪だわ」
「駄目よ、姉さん。呪文はたゆまぬ研鑽と勉学の果てに身に付けられるものですからね」
「相変わらずフローラは小難しい言葉を使うねえ。心配しなくても、この私が身に付けられないはずないじゃない。そんなたいそうなことをしなくても、なるようになるわよ。ねえアラン?」
思わずうなずきそうになってアランは苦笑した。自分の経験から言えば、どちらかというとデボラの言葉の方が正しい。ただ、外の世界に出ずモンスターとも戦った経験がない人が呪文を覚えようとしたら、それはやはり、努力や勉強が必要なのだろうと思う。
「それにしてもあのスライムナイト、少し変わったお方でしたね」
「どういうこと?」
「いえ、書物で読んだ限りですが……片腕しかないスライムナイトは希少種なんだそうです。それに私たちに対しても丁寧な言葉遣いで話されましたし。何より、こんな人里に単騎で、しかも民家を荒すような真似をするなんて」
「きっと事情があるんだよ。とても大切ななにかが」
「はは、まっさか」
「あるよ。あの人はそういう目をしていた」
スライムナイトが去っていった方を見て、アランは言う。フローラとデボラが口を閉じて、互いに顔を見合わせた。
「アランって、不思議な人ですよね……」
「変な顔で変な奴で、おまけに言うことまでおかしいとなると、さすがのあたしもお手上げだわね」
デボラが両手を挙げる。呆れたような口調ながら、その表情には笑みが浮かんでいた。再会した当初のような、見下す態度が薄れている。フローラの顔にも柔らかな微笑みがあった。純粋に尊敬の眼差しで、アランを見つめている。
何となく居たたまれなくなって、アランは言った。
「そろそろ戻ろうよ。お父さんたちが心配してる」
「そうですね。遅くなってしまいましたし、お父様たちに謝らなければ」
「なに言ってんのよフローラ。あのパパのことだもん、黙ってりゃ気づかれないって」
相変わらずのデボラを先頭に、アランたちは宿へと戻って行った。
翌日。
パパスのもとに早速、城から許可が下りた。ルドマンたちはしばらくラインハットに滞在するため、ここで別れることになった。
フローラとデボラを両脇に従えた彼の見送りを宿の入り口で受ける。昨日のことはやはりルドマンは気づいていたようで、彼女らふたりは叱責を受けた。殊勝に反省するフローラの手前か、小言だけで済んだ様子をアランは見ていたが、今このときのデボラのふて腐れた様子を見ると、どうやら彼女だけ後々盛大な雷が落ちたようだ。
ちなみにパパスはもう、アランにどうこう言うことはなくなっていた。フローラやデボラと親しく話している様子を見ただけで納得したようである。
パパスが頭を下げた。
「ではルドマン殿。此度は大変世話になり申した」
「いやいや。私の方もあなたと非常に有意義な会話ができました。元は十分過ぎるほど取れたと思っていますよ」
「恐縮ですな」
「儲けの話に関して、商人は嘘はつきませんぞ。はっはっは」
豪快に笑うルドマン。パパスを気に入ったというフローラの話は本当だったんだなとアランは思った。
そのフローラ。しばらく父の隣で大人しく控えていたが、いざ出発というとき、やおら駆け出した。アランの前に立ち、その両手を握る。
「また逢いましょうね、アラン。それまでどうかお元気で」
「うん。フローラもね」
「はい」
「ほんとは下僕としてあたしの身代わりをさせたかったけど、仕方ないわね」
デボラも側にやってきて、アランの背をどんと叩く。彼女は、うつむいて今にも泣きそうな妹に声をかけた。
「ほらフローラ。そんなめそめそするんじゃないよ。別にこれっきりってわけじゃないんだから。同じラインハットにいるんだし、またばったり会えるわよ。つーかアラン、速攻で用事を終わらせてこっちに来なさい。これは命令よ」
「姉さんたら……」
「はは」
彼女らなりに別れを惜しんでくれているとわかった。この見た目も性格も異なる可憐な少女たちに、情けない顔は不要だとアランは思った。
「それじゃあ、またね」
爽やかに言う。フローラとデボラは揃って頷いてくれた。