「旦那様! お坊ちゃん! お帰りなさい!」
「サンチョ! 今戻ったぞ!」
パパスが破顔一笑する。アランも満面の笑みで手を振った。
丸々と太った身体を揺らしながら走ってきたのは、パパスの召使い、サンチョである。口ひげに小さな丸い目が印象的な、とても人の良い男だ。どちらかというと孤高の人のイメージがあるパパスが唯一、彼だけは従者として認めている。サンタローズの家を留守にしている間は、彼が自宅の一切をきりもりしていた。
外見からは想像できないようなてきぱきとした動きでサンチョはパパスらから荷物を受け取った。久しぶりに逢えた嬉しさからか、目にはわずかに涙まで浮かんでいる。
「サンチョ、泣いてるの?」
アランが尋ねる。すると途端にサンチョの顔がぐしゃっと崩れた。
「おお、おお、アラン坊ちゃんも! 大きく、逞しくなられて。このサンチョ感激ですぞ」
「僕は元気だよ。サンチョはあいかわらず、すぐに泣いちゃうんだね」
「こら、アラン」
パパスが小声で叱り、アランが首をすくめる。涙を拭ったサンチョはパパスたちを自宅へと招き入れた。
簡素だが手入れと掃除の行き届いた居間。そこには先客がいた。
「あら、パパスさんじゃないかい」
「ダンカンとこのおかみさんじゃないか。お久しぶりです」
意外な来客にパパスが驚く。サンチョに負けないほど恰幅の良いおかみはからからと笑った。
するとその影からひとりの女の子が顔を出す。
「こんにちは。おじさま」
「……?」
パパスは首をかしげる。見覚えがない女の子だったからだ。
「この子は」
「ああ。あたしの娘だよ。ビアンカってんだ」
おかみが紹介する。ビアンカと呼ばれた女の子は再び頭を下げた。柔らかそうな金髪を三つ編みにした彼女がにっこりと笑う様はとても明るく愛らしかった。どことなくお転婆そうでもある。
パパスとサンチョ、それからおかみが話を始めた。父の隣で所在なげに立っていたアランは、ふと裾を引かれて振り返る。ビアンカがすぐそばに立っていた。
「ね。おとなたちのお話が長そうだから、向こうに行かない?」
「う、うん」
「行きましょ!」
言うが早いか、ビアンカはアランの手を引いて二階へと上がっていく。元気の良い子だなあ、と思うと同時に、どこか懐かしい感じをアランは抱いた。
二階はパパスの書斎もかねた部屋だった。壁際にぎっしりと本が詰まった棚が置かれている。アランとビアンカは、少し高い椅子によじ登った。
「じゃあ、あらためて自己紹介ね。わたし、ビアンカ。あなたはアランでしょ?」
「え? 僕のこと知っているの?」
「うん。でも、おぼえてないのもしかたないよね。前に会ったときは、アランとっても小さかったもの。知ってる? わたしはあなたよりも二さいもおねえさんなのよ!」
自慢げに胸を張られた。アランが今六歳だから、ビアンカは八歳ということになる。だから懐かしく感じたんだとアランは思った。
「そうだ! ご本読んであげる。ちょっと待っててね」
ぽん、と手を打って、ビアンカは椅子から降りた。本棚から一番薄い本を取ってきて、机の上に広げる。が。
「えーと。…………? …………?」
読めない。かろうじてふりがなの部分だけは拾い拾いして読んでいたが、それ以外はさっぱりのようだった。首を傾げ、むつかしそうに眉根を寄せて、何分もしないうちにビアンカはさじを投げてしまった。
「だめだわ。このご本、むずかしすぎるもの」
「そうだね。でもすごいや。僕はまだ、文字がぜんぜん読めないもの」
「だってわたしはおねえさんだもの。えっへん」
胸を張る。それからふたりして声に出して笑った。
「ビアンカー、そろそろ宿に戻るよ!」
階下から呼ぶ声にビアンカが「はーい」と答える。丁寧に本をしまってから、ビアンカはアランを振り返った。にぱ、と笑う。
「しばらくはサンタローズにいるから、またお話ししようね! アラン!」
「うん。またね、ビアンカ」
手を振り合う。とんとんとん、と軽やかな音を立ててビアンカは一階へと下りていった。