小説『ドラゴンクエスト? 〜天空の花嫁〜 《第一部》』
作者:wanari()

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 マリアもどうやら寝入ったようだ。時折うわごとのようにアラン、ヘンリー、そしてヨシュアの名をつぶやく姿が胸に痛い。
 僕も少し休むか――そう思い、アランが目を閉じたときである。
 樽の底に当てていた耳が異音を拾った。それから間もなく、樽が傾く。ヘンリーの眠る方を下に、アランがいる方を上に――
「きゃっ!」
「うお!? マ、マリア!? どうした!?」
 転がり込んできたマリアの体を受け止め、ヘンリーは素っ頓狂な声を上げた。アランは両腕を突っ張り、踏みとどまる。警告の声を出した。
「ヘンリー、そのままマリアを庇うんだ!」
「アラン!?」
「恐れていたことが起きた。急流だ!」
 そう言った直後、ふわり――と三人の体が軽くなった。足が、床から離れる。
「き……」
 濁流の音がはっきりと耳に聞こえてきた。
「きゃああああああっ!」
 マリアの悲鳴と同時に、樽は凄まじい速度で落下していった。周囲が見えない分、その恐怖はどこまでも増幅されていく。マリアを腕の中に庇いながら、ヘンリーが必死に身を固めている。
 おそらく滝だ。それもかなり巨大な滝――歯を食いしばりながらアランは額に汗を滲ませた。このまま水面に叩き付けられれば、いかに丈夫な樽と言ってもどうなるかわからない。
 それにもし、運悪く岩場に激突したら――結果は火を見るより明らかだろう。
「一か八か……!」
 眦を決したアランは大きく息を吸い込み集中した。樽に当てた掌から呪文の力を放出していく。
「――、スカラ!」
 防御力強化の呪文。本来は魔物の牙から仲間を守るためのそれを、木組みの樽に向けて使う。表面を呪文の輝きが覆う姿を想像しながら、アランはありったけの精神力をつぎ込んだ。
 かすかに流れ込んでくる空気で、漠然と察する。
「……来る!」
 直後、凄まじい衝撃が三人を襲った。


「……マリア、大丈夫か?」
「は、はい。ヘンリーさんこそ、大丈夫ですか……?」
「俺は平気だ、このくらい。……あたた」
 どうやら体を打ち付けたらしい。やせ我慢をするヘンリーにマリアが布を当てた。
 暗闇に慣れた目で、アランは辺りを見回す。ヨシュアが綺麗に整頓して積んでくれていた荷物は、無惨に散らかっていた。水を入れた容器の一部は壊れ、中身が漏れ出ている。
「アランさん……お怪我は? ああ、すごい汗」
 マリアが側に寄り、額の汗を拭ってきた。礼を言おうとしたが、疲労のためか口が上手く動かなかった。
 しかしとりあえず、無事だ。
 樽も何とか耐えきってくれたようだ。
 樽は、大きく、ゆったりとした揺れ方に変わっていた。この感覚には覚えがあった。幼い頃、父に連れられサンタローズへの帰還の途中に乗船した、あの大きな船。
「ちょっと外を見てくる」
 ヘンリーも同じことを考えたのか、立ち上がって樽の蓋に手をかけた。側面に設けられた蓋を開けると、潮の香りが一気に流れ込んでくる。陽光が差さないところを見ると、今は夜らしい。
 マリアに支えられ、アランも樽の外を見た。
 ざざん……ざざん……、どこか懐かしい潮騒の音だ。アランも、ヘンリーも、自然と目を瞑り天を向き、その音に聞き入った。
「……やったな」
「うん。出られたんだ、僕たち。あの空の牢獄から」
 目を開け顔を見合わせた二人は、次の瞬間勢い良く互いの手を打ち鳴らした。抱き合う。喜びを爆発させる二人の様子を、マリアは慈愛の微笑みで見つめていた。
 その視線が、ふとアランたちから逸れる。
「あら……?」
 外の景色をぐるりと見渡した彼女は、怪訝の声を上げた。アランたちの裾を引く。
「アランさん、ヘンリーさん。あれは」
 マリアが指差した先。
 そこにはまるで月の光を落とし込んだかのように、大きな輝きが海面に広がっていた。アランもヘンリーも眉をしかめてその光を凝視する。
 光はゆっくりとこちらに近づいてきていた。
「おいおいおい……」
 ヘンリーが声を出す。勘弁してくれという気持ちが滲み出ていた。アランもまた、その光の正体に気づいた。
 それは魔物の群れが発している光だったのだ。
 十、二十、いやもっとたくさん、下手をすれば百を越えるモンスターが潮の流れに逆らいこちらに向かってきていた。
 ヘンリーが耳打ちしてくる。
「やばいぜアラン。こっちには武器らしい武器がない。櫂もないし、泳いで逃げるわけにもいかねえ。どうする?」
「……このまま様子を見よう」
「お、おい!?」
「彼らから敵意を感じない。とにかくじっとしていよう」
 真剣な表情でアランは言う。モンスターと聞いて怯えた表情を浮かべたマリアは、恐る恐るヘンリーにたずねる。
「あの……だいじょうぶ、なんでしょうか……?」
「仕方ない。アランがああ言っているんだ。ここは信じて待ちの一手だろうな」
「あ、はい……」
 あまりにあっさりヘンリーが納得するのでマリアは拍子抜けしたようにつぶやいた。口元を引き上げ、にやりと笑った顔でヘンリーは言う。
「大丈夫さマリア。アランはこういうことにかけちゃ百戦錬磨だ。こいつが『敵意がない』と言ったのなら、本当に相手は襲ってこないんだろうよ」
「わかりました。私もアランさんを信じます」
 拳を握りしめるマリア。アランは苦笑した。モンスターの群れに視線を戻す。すでに彼らは樽まで到達していた。あっと言う間に周りを囲まれる。
 一体一体は小さな体だ。かつて地下神殿で見たホイミスライムの体を白く、半透明にしたような姿。それだけ見れば愛嬌のある目口がアランたちを見つめていた。
『しびれくらげ』の群れ――それがこのモンスターたちの正体であった。

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交響組曲「ドラゴンクエストV」天空の花嫁
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