翌日−
相澤がメッセンジャーの向こうで笑っていた。
「そりゃ、菜々子さんも災難だったね。」
明良は頭を抱えている。
「恥ずかしいったら、もう…」
明良は昨日、思わぬことで香月菜々子の家に行ったことを相澤に話していた。
しかし、部屋の前で帰るつもりだったのが、結局、菜々子に腕を引っ張られるようにして、入ってしまった。
問題はそのあとだった。
玄関で、ほぼ酔っぱらった菜々子にキスをされ、倒れてしまった。
明良は、菜々子のキスで酔っぱらってしまったのである。菜々子はグラスワインを4、5杯は飲んでいたように思う。
そのままアルコールを飲んだわけではないので、さすがに急性アルコール中毒にはならなかったが…。
とにかく、救急車を呼ぼうとした菜々子を必死に止めて、ソファーを貸してくれと言った。
そして「寝室に」と言われたが必死に断り、ソファーに倒れこんだ。
目が覚めると、菜々子が自分の胸の上に頭を乗せて、寝ていたという。
「目が覚めて、どうしたんだよ。」
「…いや…菜々子さんが僕の胸の上に頭を乗せていたから…動くわけにも行かなくて…起きるまで待ってました。」
「…手を出さなかった?」
明良は咳払いをした。
「…いや…その…寝顔があまりに綺麗で…。ついキスを…そしたら目を覚ましてしまって…」
相澤は笑った。
「で、どうした?」
「とにかく謝りましたよ。向こうも謝っていたけど…。でも恥ずかしくて、そのまま飛び出してきてしまったんです。」
「え!?そのまま帰っちゃったの!?」
相澤が驚いて言った。
(俺だったら、そのままやっちゃってるなー…)
などと思ったが、それは口に出さなかった。
「…だから、どうしようかと…。こっちから電話しにくくて…でも…お礼くらい言わなきゃとは思うんですけど…」
明良が頭を抱えているのを見て、相澤は笑った。
「でも、いいなぁ…。香月菜々子さんか…。清純派女優が、そこまで大胆になるってのはなかなかないよ。」
「…からかわないで下さいよ…。もう…どうしたらいいのか…」
明良のその動揺ぶりに、相澤は苦笑した。
「そうだなぁ…。とにかく電話して…」
と相澤が言った時、明良の携帯が鳴った。
「!!」
明良は、頭を上げて、携帯を見た。
「!!…菜々子さん…!」
「おっ!出ろ出ろ!パソコン消すなよ!」
「あっちで話します。」
そう言って、明良はヘッドフォンをはずし、携帯を持ったまま立ちあがった。
「おーい!!ここで話せって!!そっち行くなー!」
ヘッドフォンから相澤の声が漏れている。
明良は気にせず、部屋を出て、電話に出た。
「もしもし…」
「明良さん?…よかった…電話取ってくれて…」
「今朝はその…すいませんでした。」
「いえ、私の方が…先に酔っぱらっちゃって…あんなこと…」
「…呆れたでしょう?」
明良がそう言うと、菜々子は何も言わなかった。
(やっぱり呆れたんだ…)
明良はそう思い、ソファーに座りこんだ。
「それはこちらの方です…。はしたない女だと思ったでしょう?」
「そんな!…そんなことはないですよ!…むしろ…嬉しかったというか…なんというか…」
「…本当に?」
「…はい…本当です。」
「じゃぁ…今夜も家に来て下さいますか?」
「えっ!?」
明良は思わず立ちあがっていた。
「…いいんですか?」
「ええ…もうお酒は飲まないですから。」
「…いえ…そんな…」
「飲まなくても、明良さんが来てくれたらそれで…」
その後が続かないようである。明良も顔が熱くなるのを感じていた。
・・・・・
「で?」
ほったらかされていた相澤が、少し不機嫌に明良に聞いた。
「行くのかよ。」
「…行くとは言いましたが…。行ってもいいものかどうか…」
「?どうして?」
「…自分の理性をどれだけ抑えられるか自信がないんです。」
「!…」
「…きっと、何かがはずれてしまうと思うんですよ。」
明良は顔を片手で伏せて悩んでいる。
「それなら、今のうちにお断りして…」
「ばかーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
相澤が突然大声を出した。明良はびっくりして、ヘッドフォンを取り去り、立ちあがって両耳を抑えた。
「先輩っ!!…鼓膜が破れたらどうするんですっ!!」
カメラの向こうで、相澤が両手を合わせて謝っている。
明良は頭を振って、ヘッドフォンをつけ直した。
「あのな…明良…」
相澤は静かに言った。
「女性の方から家に来てくれっていうのは、ほぼ100%OKってことだよ。」
「…そうでしょうか…」
「嫌だったら、呼ばねぇよ。」
「でも、それとこれとは…」
「それもこれも何のことかわからないけどさ。」
相澤がとぼけて言った。
「お前が、例えば何かが壊れて、菜々子さんを襲ったとする…な?」
「…はい…」
明良は片手を目で覆っている。
「その時、菜々子さんにけとばされるか、投げ飛ばされるか、ドロップキックを受けるか、卍固めされるか、コブラツイスト…」
「先輩先輩!」
「ん?」
「全部、想像しちゃいますから、プロレス技はやめて下さい。」
「あー…ごめん。とにかく抵抗されてから、ちゃんと謝って身を引いたらいい。今回はほぼ100%それはないと思うけどな。」
「……」
「菜々子さんが、何も抵抗しなければ、そのまま流れに任せて進んだらいいんだ。」
「…!…」
なるほど…と明良は思った。やはり相澤は経験豊富だ。
「家に誘われているのにこっちから断るなんて、菜々子さんに一番失礼にあたるんだぞ。」
「…わかりました…」
「それから!花束持っていけ。」
「花束?」
「手ぶらで行くなよ。薔薇の花束を持って行くんだ。古典的な方法だけど、嫌がる女性はまずいないから。」
「あ、は、はい。」
「自分で買うんだぞ。マネージャーに買いに行かせたりするなよ。」
「あ、その方法があった。」
「…また怒鳴られたいか?」
「いえ!!…いいです。」
相澤がくすくすと笑っている。
「あの北条明良が恥をしのんで、薔薇の花を自分で買って持ってきてくれるんだぞ。そんなうれしいことはない。」
「…先輩、女心もわかるんですね。」
「わかりますとも。」
裏声で、相澤が言った。
「じゃ、成功を祈る。がんばりたまえ。帰ってから必ず報告するように。以上!!」
相澤はそう言って、勝手にメッセンジャーを切ってしまった。
「え?ちょっと先輩!!」
相澤のメッセンジャーは、オフラインになってしまった。パソコンの電源を切ってしまったらしい。
早く準備をしろということだろう。
「…あー…こんなに緊張するの初めてだ…。」
明良は独りでそう呟いた。