【第一話:入学式と再会】
入学式。
それは新たな出会いの場であり、学生にとっては、これから始まるであろう学生生活の第一歩として大切な一日となることは言うまでもない。
それはどこの学校であろうとも同じである。
たとえ女子生徒の中にただ一人男子生徒が混ざっていようとも変わることはないのだ。
(はぁ……。これから大変だよな。絶対……)
教室中央の一番前。そこが織斑一夏の座席だった。
突き刺さるような女子生徒の視線。かつて味わったことのない緊張感を感じながら一夏は一人黙ったまま椅子に腰掛けている。唯一の救いが幼馴染である女子生徒――篠ノ之箒がこのIS学園に入学しており、クラスまで同じことなのだが……。
「…………」
肝心の箒はというと一夏の事を覚えていないのか、はたまたわざとそうしているのか、全く声をかけてこようとしない。
だが、今は担任の教員をクラスで待機して待つ時間である。立ち歩いているような生徒は一人もいない。男子生徒がまともにいればこんな空気にもなっていないのだろうが、残念な事に男子は一夏一人である。
これを中学時代の親友である五反田弾に――一夏としては本当に真面目に――相談したのだが、
『なんだなんだ!? ハーレムルートまっしぐらだってのに不満があるっていうのか!? おいおい、随分といいご身分ですねー。さぞかし楽しいんでしょうねー。お前一回死ねばいいんじゃね?』
という答えになっていない答え、もといただの悪口を言われるだけの時間になってしまった。
「…………」
そんなわけで、大した心の準備も出来ぬままに入学式を迎えてしまいまともに周りの生徒と交流をすることもなく今に至っている。
弾の言うようなおいしい展開には全くなっていない。どころか、一夏は今日この日を向かえて未だにまともな言葉を発していなかった。
「遅れてすみません」
突き刺さる視線に必死に耐え、気まずい雰囲気の中で過ごす一夏の心に一筋の光が差す。
今までどこに行っていたのかは知らないが、遅れていた担任の教員が教室にやってきたのである。
急いで教壇に立つ女性教師。制服を着ていないためにこの人が担任、なのかどうかは分らないが、少なくとも教師であることに間違いない。そして今までずっとこの瞬間を待っていた一夏である。嬉しくないはずがない。
が、瞬間的に一夏の頭からそれらのこと全てが消え去った。
一夏の座席は先に説明した通り中央の一番前だ。教壇に立つ教師からは一番近い距離に位置する。
「…………」
今までもずっと無言だったのだが、それとはまた別の理由で一夏は無言になってしまっていた。
視界を占めているのは目の前に広がっている神秘ともとれる光景。未だかつて一夏が見たことのないものだった。
「一年一組副担任の山田真耶です。皆さんよろしくお願いします」
名前以外にも色々と言っているが、名前以外の情報はほとんど入ってこない。緑色の髪。身長が小柄に見えるせいか眼鏡がよく似合っている。そして一番の特徴。一夏の目が離れないものがその下にあった。
(で、でかい……)
小柄に似合わない豊満な胸部から目が離せなくなっていたのである。
何が凄いのかといえばそのボリュームである。女性経験はないものの、男子校に通っていたわけではない。中学には当然ながら女子生徒もいた。その中にも異常に発達している生徒がいないことはなかったが……正直話にならない。
女性の胸とはこれほどまでに揺れるものなのかと、ある種の感動さえ覚えてしまっていたのだ。
目が離せない。じろじろと見るなど失礼極まりない行為であり、ましてやそれに感動するなど言語道断だ。
相手は教師であり、すなわちこれから自分はこの教師の授業を何度となく受けるはずだ。そんな中で『先生の胸が気になって集中できません』などということになってしまいかけない。
「――むらくん」
というより現在進行形でそうなってしまっている。
――駄目だ、駄目なんだ!! 教師をいかがわしい目で見るなんて……。
と頭では分っているものの、体が言うことを聞かない。
まるで呪縛にかかったかのように、真耶の胸を目で追いつづける。
「織斑君!!」
「えっ!? あっ、はい!? なんですか!?」
「えっと今自己紹介をしてるんだけど『お』まで終わって次が織斑君なの。だからその……怒らないで」
真耶の一言で我に返る一夏。今までの自分の行いを反省するとともに、脳に刻み込んでいた映像を抹消していく。徐々に涙目になっていく真耶に慌てて謝り勢いよく立ち上がる。
入学式始まって以来最初の、そしてもしかすれば最後になってしまうかもしれない『男性』の自己紹介の始まりだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
秋穂は前を向いたまま一人の生徒を観察していた。否、おそらく一組の生徒はその生徒を除いて同じ事をしているはずだ。この雰囲気の中で後ろを振り向く勇気はない秋穂だがその確信があった。
相手はもちろん『世界で唯一ISを使える男』織斑一夏である。
好奇、恐怖、動揺など生徒の心にあるものは全て異なっていたが、その中でも秋穂のものは他の誰も抱いていないことだった。
(……どっかで見たことあるような気がするんだけどなぁ)
茶色を帯びたセミロングの髪には青のカチューシャが着けられその仕事を無言で行っている。右側だけの三つ編みを指で絡めながら必死に記憶を辿っていく秋穂だが、その答えにはたどり着いていない。
そもそも一夏がISを起動させここIS学園に入学してくることは以前よりニュースで全世界の人間が知っていた。
『女尊男卑』などと一部では言われている今のこの世の中、彼の存在は世界で唯一女性と対等な立場にいるのだ。
大々的に放映され、今や彼の名前を知らぬ者はいないだろうとされるほどだ。
だが、いや、だからこそと言うべきだろう。秋穂はその顔に見覚えがあるような気がしてならなかった。
ニュースで初めて見るのではなく、確かに感じた懐かしさを簡単に捨てられずにいたのだ。しかしこうして直接彼の姿を見ても何も思い出すことはない。
懐かしいと感じる以上、彼との間に何かしらの関係があるはずなのだが……。その様な経験はしたことがない。
「うーん……何でだろ……」
思わず漏れてしまった言葉にさっと辺りに目を配る。幸いなことに全員の視線が彼に集まっているために秋穂の声を聞いた者はいなかった。
はぁ、と一息ついた秋穂はその視線を一夏から横へずらす。
篠ノ之箒。このクラスにおいて唯一と言っていい。一夏のことを見ていない生徒だ。黙ったまま前を向いているため、秋穂からその表情は伺えない。
だが。
(なんだがわざとらしいんだよねー。『見てない』というよりは『見れない』って感じかな?)
なんにしても。と秋穂は心の中で思う。
一夏との関係があろうとなかろうと、所詮その程度のものでしかないということだ。
大切な思い出を忘れることはないだろう。
(篠ノ之さん覚えてくれてるかな?)
一夏の事は一先ず置いておくとしても箒の事はそうはいかない。本当に短い間の事で、向こうにとっては何でもないことなのかもしれない。
それでも、自分が覚えている。
あの日、あの場所で。
彼女が差し出してくれた手を。
彼女がかけてくれた言葉を。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
許してほしい。俺はそんな凄い人間じゃないんだ。女子に突き刺さるように見られる中でペラペラと話せる人間じゃないんだ。
「織斑一夏です」
急に当てられさっきまでの映像を振り払った俺に言えたのは、自分の名前だけだった。
気の効いた台詞なんて全く出てこない。
あぁ、何だよこの沈黙。『もっと話せ』なんだがそんな風に聞こえてくる。いや、誰も話してないんだけどさ……圧力って言うか、無言だからこその威力があるというか。
パシーンッ!!
「痛いっ!!」
「お前はもうちょっとましな挨拶ができないのか」
不意に頭に感じた強烈な痛み。
た、確かに俺の挨拶は酷かったもしれないけど……って。えっ!?
「ち、千冬姉……」
パシーンッ!!
「織斑先生だ」
「だから痛――」
パシーンッ!!
「……すみません、織斑先生」
「分かればいい」
問答無用の実力行使。暴力による圧政。傍若無人の四文字が俺の知るなかで最も当てはまる人間。そして、俺のたった一人の家族。
織斑千冬がそこには立っていた。
パシーンッ!!
「お前、何か失礼なことを考えていたな?」
くそっ……ばれてる。何でだか俺の考えてることってばれるんだよな。
こうなったら仕方がない。何とか切り抜けるためにも……正直に言おう。
決して後でばれた時が怖いわけじゃない。断じて違う。
「すみません。傍若無人だと――」
パシーンッ!!
「ずいぶんと正直だな。このくらいで許してやる」
許してやるって……千冬姉、世間ではそれを許したって言わないんだよ?
立派な社会人なんだから知ってるよね?
「諸君、私が織斑千冬だ。君たち新人を一年で使い物になる操縦者に育てるのが仕事だ。私の言うことはよく聴き、よく理解しろ。出来ない者には出来るまで指導してやる。私の仕事は弱冠十五才を十六才までに鍛え抜くことだ。逆らってもいいが、私の言うことは聞け。いいな」
やっぱり傍若無人じゃないですか。
なんてことは口が裂けても言えない。さっき言ってこれだったんだ。本気で殴られたらたぶん頭を潰される。比喩表現ではなくて、わりとマジで。
はぁ……。一言言ってくれればいいのに。俺がどれだけ心配したと思って――。
パシーンッ!!
「織斑、早く席に着け」
「……はい。織斑先生」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
うわー。痛そう……。
ここに来て初めに千冬さんを見た今、思った事はそれだけだった。だって織斑君本気で痛がってるし、なんだかちょっと涙目な気もするんだけど。
初めて会った時に「黒い!!」なんて言わなくてよかった。言ってたら私、今頃どうなって――。
パシーンッ!!
「春日、なにか言いたいようだな。言ってみろ」
「……すみません。何でもないです」
うぅ……。何で? これ痛い。凄く痛いよ。絶対駄目だって。一発で脳細胞五千個ぐらい死んでそうなんだけど。
織斑先生、もとい千冬さんが話し始めたせいか、周りの所謂『黄色い声援』は一応影を潜めている。織斑君はもちろんの事、私まで何故か受ける破目になってしまったあの出席簿アタック(私命名)。
尋常じゃない痛さだった。それはもう、石で出来てるのかと思ってしまうくらい。
そんな光景を見た後だから皆怖がってしまっているんだと思う。まぁさっき見たあの様子だと、怒られたいからわざと余計なことを……なんて生徒がいないとも限らない。
千冬さん、凄い人気だったし。っていうか千冬さんの事知らなかったの私だけだったみたい。入学前の参考書を頑張って読んでおいてよかった。何度捨ててやろうかと思ったか数えていないけれど、捨てなくてよかった。
この空気の中で『千冬さんってどんな人?』なんて質問をすると多分怒られる。知っていることを何から何まで全部話してきそうだ。
お喋りは嫌いじゃないし寧ろ好きなんだけど、さすがに千冬さんのことだけで何時間も話をしたくない。
それは千冬さんが嫌いだからじゃなくて、私が話すことがないから。
でも。
「さあ、SHRは終わりだ。諸君らにはこれからISの基礎知識を半月で覚えてもらう。その後実習だが、基本動作は半月で体に染みこませろ。いいか、いいなら返事をしろ。よくなくても返事をしろ。私の言葉には返事をしろ」
こんな事を平然と言う千冬さん、なんだか素敵だしこうしていると何時間でもいい。私が話せなくてもいい。千冬さんの事がもっと知りたい。
もっともっと知って近づきたい。
少しだけ、そんな風に思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
IS学園は日本にあるここ一校である。それはつまりIS操縦者を育成する学校が一つしかないことを意味し、結果何が起こるかというと。
(……授業、分んないよぉ)
入学初日、一時間目からの普通授業である。
秋穂は一限終了のチャイムが鳴ったと同時に机に突っ伏した。理由は単純。授業が難しいのだ。
机に頭を預けた状態で周りを見渡してみるが、秋穂と同じ状況の者はあまりいない。ともすれば、『意外と簡単だったね』などという戯言が聞こえてくる。
「はぁ……」
大きなため息をつくも、その状況が変わることはない。大きく変化した事といえば授業が終わり休み時間になったことで我先にと一年一組に大人数が詰め寄せていることだろう。
直接自分には関係のないことだが、そんな光景を見ながらそれでも秋穂は思ってしまう。
(こんなところに男子一人だなんて、大変だねぇー。まっ、でも男子にとっては嬉しいことか)
普通の公立中学に通っていた秋穂である。他の生徒よりも圧倒的に男子に対する耐性があった。
そんな彼女が思うことはあまり心配した様子ではないが、周りの『あんた話しかけなさいよ』なんていう言葉を聞いているとこのままではあの男子生徒は一人ぼっちになってしまうのではないか。
一人でいることに恥ずかしさを感じ、結果、屋上から身投げするのではないか。と様々な妄想が膨らんでいく。
そうでなくても。
――便所飯。
そのワードが頭の中に一際大きく現れ、自身がそうなってしまわないかと身震いさせてしまう。
「っと、こうしてる場合じゃない。篠ノ之さんに挨拶行かないと……」
大切なことを思い出し、頭を上げて立ち上がろうとする。
しかしそこで前方から声が聞こえてきた。今まで音の聞こえることがなかった一夏の席の方からである。
「……ちょっといいか」
あまりの驚きで秋穂はそちらの方向に顔を向けた。一夏が気になる、というのはもちろん理由の一つである。ニュースで見て、さらに直でも見て、覚えがないにもかかわらず一種の懐かしさを感じさせる少年。気にならないわけがなかった。
がそれはそれとして、もう一つ。こちらの方が本命だ。
つまり『誰が先陣をきったのか』ということに多大なる興味がわいたのだ。
別に悪いことではない。一夏はIS学園の生徒であり、自分たちもまた同じ学校の生徒なのだ。交流を持つことなどいたって普通のことだろう。
だが、相手が男子となれば女子生徒にとっては例外である。
まずもってどのように接していいか分からない。
ISは一夏を除けば女性にしか反応しない。ゆえにIS学園に通っている生徒のほとんどが女子校出身なのだ。男が学んだところで、ほとんど意味がない。
そんなわけであるからして、男子生徒に話しかけられる人物がいたことに驚きだった。
(って、篠ノ之さん!?)
「廊下でいいか?」
会話の細部までは聞こえないものの、どうやら箒が一夏に声をかけたらしいことは周りの雰囲気で察することが出来た。先導していく箒、慌てて後についていく一夏。箒の顔つきが険しいせいか、その場にいた生徒が左右に広がり道を空ける。
(凄い……モーゼの海渡りだ)
そんなくだらない事を考えた秋穂だが、その後ろ姿にまたしても懐かしさを感じた。
今回は漠然とした予感ではなく、はっきりとした記憶として。
「あーっ!!」
その叫び声にほとんどの者が反応する。一夏と箒のやり取りを見ようとしていたのだ、後ろからの突然の叫びに驚かないはずがない。
(そうだ。そうだよ。織斑君じゃない。何で忘れてたんだろ――)
あまりの叫びに皆が反応したが肝心の秋穂はというと周りのことなど全く見ておらず自分の世界に浸っている。
なぜ忘れていたのか。理由はたくさんあるだろう。だが、仕方がないといえば仕方がない。恋する乙女は一直線であり、周りのことなど気にしていられないのだ。
手を組み、頬をピンク色に染め、にやけた顔で無意識のうちに秋穂は叫んでいた。
「弾さんの親友じゃない!!」