小説『アイプロ!(7)?才能の覚醒?』
作者:ラベンダー()

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深夜 音楽番組−

番組の冒頭から、エルガーの「威風堂々」が流れた。
スタジオに、背の低いマイクを前にした圭一が立っている。

そして「希望と栄光の国」を歌い始めた。

18歳の声とは思えない深い声。圭一は手を広げて、全身を使って歌っている。
最後は盛り上がりを見せて、力を出し切るように歌いあげた。

拍手がして、女性の司会者にカメラが向けられた。

「皆さま、こんばんは。今夜は『ライトオペラ』の世界へご招待いたします。」

女性司会者が移動し、圭一の傍に立った。そして「北条圭一さんです。」と紹介した。
スタッフから拍手が起こる。

「よろしくお願いします。」

圭一がそう言って頭を下げた。

「こちらこそ、今夜は楽しみにしていました。よろしくお願い致します。」

司会者も圭一に頭を下げた。

「珍しく歌から始まったので、驚いた方も多いと思います。またこの声にも驚かれたでしょう。」

司会者がそう言いながら圭一を見た。圭一が笑って司会者を見る。

「よく口ぱくじゃないかって言われるそうですが…」
「言われますね。」
「小さいころから、声楽をやってらしたとか。」
「はい…。実の父親が声楽家だったので…」
「『ライトオペラ』というネーミングはどなたが?」
「僕の所属している事務所のピアノの先生です。『ライトオペラ』と呼んで、まず若い方や興味のない方にも聞いてもらおうということで…。僕もまだまだ未熟ですし。」
「えー?未熟なんですか?」
「たぶん、実の父親が聞いていたら、怒っていると思います。」

圭一が苦笑しながら言った。司会者もつられて笑う。

「ずいぶん謙虚でいらっしゃいますが…。最近出されたアルバムも売れ行きがいいとか。」
「おかげさまで…。オペラと言うかクラシックに興味を持って下さった方が増えてうれしいです。」
「今日は、そのアルバムの中から、4曲歌っていただくんですが、最初の1曲目は先ほどの「希望と栄光の国」です。イギリスの第2の国歌と言われて、皆さんも耳になじんだクラシックですね。あらためてこうやって聞くと、もう1度聞きたいな…という気になります。」
「ありがとうございます。」
「そして、今日の2曲目は「アベマリア」です。」
「…はい…」

圭一の声のトーンが少し落ちた。

「あら、いきなり緊張してきましたか?」

司会者が笑いながら言った。

「…はい…」
「これはどなたもよくご存じの曲ですね。」
「…だと思います。」

司会者が圭一の顔を少し覗き込むように言った。

「急に言葉数が少なくなりましたが…」

圭一は苦笑している。

「…やばいですね…」
「やばいですか。」

司会者が笑った。

「そもそも、こうやって独りでいることがないので…」
「あー…いつもは雄一君と一緒ですものね。」
「あそこでのんびり見てるのが、なんだか腹が立ってきました。」

圭一がそう言って、自分の前方を指さした。
実は、カメラの横で雄一が見ている。指をさされて笑っていた。

「カメラの横に雄一君がいるんですが、余裕で笑ってらっしゃいます。」

その司会者の言葉に、スタッフが笑っている。

「では、準備をお願いいたします。」

圭一がスタジオ中央に向かった。

「ではお聞きください。シューべルト「アベマリア」です。どうぞ。」

圭一は「アベマリア」を日本語で歌った。メロディーは簡単なように思えるが、声の伸びと力強さが必要で体力を使う。

歌い終わり、少し息を切らした圭一の顔がアップになった。
ここでCMに入った。

圭一は、下を向いて「はーっ」と息を吐いた。緊張もあり呼吸法がうまくできていないようだ。司会者の女性が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。
圭一は微笑んで「大丈夫です。」と答えた。

雄一がミネラルウォーターの入ったペットボトルのふたを開けながら圭一にかけよった。
今日は雄一がマネージャーである。ただからかいにきたわけではない。

「ありがとう…」

圭一がミネラルウォーターを飲んだ。

「大丈夫か?」

さっきの余裕の笑顔は見せず、雄一が心配そうに圭一の顔を見た。

「うん。」

圭一はペットボトルを雄一に返しながら答えた。

「副社長は?」
「楽屋から出てこおへんで。…なんか副社長らしくなくてさ。ぴりぴりしてんの。」

圭一が笑った。

「まじで緊張してんねんな。」

雄一も笑ってうなずく。

「がんばれ」

と雄一が圭一の肩を叩いた時、ADが「CM終わります」と言った。
圭一が雄一にうなずいて、司会者のところへ戻った。
雄一もカメラ横のパイプ椅子に戻って座る。


・・・・・・
「では、3曲目はこれも有名ですね「オー・ソレ・ミオ」です。イタリア語で歌って下さいます。」
「イタリア語は久しぶりなので…厳しかったです。」
「イタリア歌曲を小学生の時に歌わされたとおっしゃっていましたね。」
「全く意味もわからず、カタカナを楽譜に書きこんでましたね。」

司会者が笑う。

「あの…舌を巻くようなのも、小学生の時にさせられたんですか?」
「やりました。…父は厳しかったですから。」
「その時の様子を見たかったですー。」

圭一が笑う。

「たぶん、笑っちゃうと思いますけど。その頃は背も低かったですし。」
「え?今、180近くありますよね?」
「177です。」
「小学生の時は低かったんですか?」
「はい。中学の時に一気に伸びました。」
「へえー…中学生ではもう声楽はやめられたのですか?」
「…はい。」

圭一が少し言葉に詰まった。

「もったいないですよね…」
「でも、またこうやって歌うチャンスをもらえたことを感謝しています。」

圭一は話をそらそうとしている。

「そうですね。ほんと、才能が埋もれるところでしたものね。」
「…才能というほどでもないんですが…」

司会者がADから指示を受けて「では、準備をお願いします。」と言った。
圭一は少しほっとしたように、椅子から立ち上がって、スタジオの中央に歩き出した。


「オー・ソレ・ミオ」は本来は原詞のナポリ語で歌うが、圭一はイタリア語で歌った。そのため「オーソレミオ」ではなく「イルソレミオ」と歌う。
最後のフレーズは、全身を使って歌いあげた。出来る限りの声量を振りしぼり、できるだけ長く伸ばした。
…歌い終わってから、圭一が息を切らし少し眉をしかめる表情が映った。
そこでまたCMに入ったのを悟ると、圭一は体をかがめて膝に手を乗せた。
雄一がタオルとミネラルウォーターを持って、駆け寄ってきた。

「圭一!…大丈夫か?」
「…最後の最後で無様なところ見せてしもたな。」
「そうか?すごかったで。」

その雄一の言葉に、圭一は「ありがとう」と言って体を起こし、タオルを受け取った。そしてミネラルウォーターを飲んだ。


……


「では、今日最後の曲です。」

司会者が言った。圭一が少しうれしそうな表情になる。

「最後の曲は「モルダウの流れ」です。…昨年、北条明良さんが引退される際、このスタジオで歌っていただいた曲ですね。」
「はい。」
「それを聞いて、北条明良さんが副社長をされているプロダクションのオーディションを受けられたって本当ですか?」
「本当です。…その時は合格しようとかじゃなくて、会いたかったんです。」
「北条さん…あ、明良さんに?」
「そうです。」
「実際に会われた時どうでした?」
「…怖かったです。」

司会者が「え?」と言った。

「怖かったんですか?」
「はい…何しろオーディションだったので、副社長がすごく厳しい表情をされていたんですよ。」
「あー…なるほど。」
「その表情を見た時、もう駄目だと思っていました。」
「…でも、合格されたんですよね。」
「はい。なぜだか自分でもわからないんですけど…」
「では、ご本人に聞いてみましょうか。」

司会者がそう言うと、圭一は笑った。

「今日久しぶりに歌われるとのことで、圭一さんより緊張されています。北条明良さんです。」

スタッフの拍手の中、明良が入ってきた。圭一が立ち上がった。
そして、何か2人で照れ臭そうに笑い合っている。

「よろしくお願いします。」

明良が頭を下げた。圭一が司会者から離れ、明良は打ち合わせ通り圭一と司会者の間の椅子に座った。

「…大丈夫ですか?」
「いや、無理です。」

司会者が明良の言葉に笑った。

「先ほどの話なんですが、どうして圭一さんの採用を決められたのでしょう?」
「…一般的な言い方をすると「オーラ」があったんですね。」

圭一が少し顔を背けて照れくさそうに笑った。

「圭一がオーディション会場に入ってきた時に、つい目で追ったくらい目立っていたというか…。」
「何か、他の人とは違うものを持っていた…とか?」
「ええ。ただ、その時はオペラが歌えることは知りませんでしたので、どうやって売りだしたらいいのかは未知数でしたが。」

明良が圭一に振り返りながら言った。圭一は照れているのか下を向いて目を合わさない。
司会者が言った。

「さて、今日一緒に歌われるとのことですが、圭一さんからお話があった時は、すごく嫌がられたとか。」
「正直、もう引退した身ですし、それも「テノール歌手の卵」と一緒に歌うなんて、無理な話ですから。」
「副社長、逃げたんですよ。」

明良の言葉に、圭一が口を挟んできた。

「逃げたんですか?」

司会者が笑いながら言った。

「逃げたわけじゃないけど…まぁ…逃げたことになるか。」

明良がそう言うと、司会者が笑った。圭一が言った。

「最初お願いして…「ちょっと考えさせてくれ」と言われたので、また翌日副社長室に行ったんです。そしたらいなくて…社長に聞いても「今日は出張はない」と言われるし、プロダクション内をトイレまで探し回ったのにいなかったんですよ。」

圭一の言葉に明良が笑っている。

「え?結局どちらにいらっしゃったんですか?」
「出勤してなかったんです。」
「えー?」
「遅刻しました。」

明良が笑いながら言った。司会者が「えー!」と言って笑った。

「副社長さんが、遅刻したんですか?」
「そうです。」

圭一も隣で笑っている。

「前の晩から、はっきり嫌だと言うのも圭一には悪いし…でも、OKをだすこともできないので、寝られないくらい悩んでいたら、いつの間にか出勤の時間が過ぎていましてね。」
「え?でも、奥様も確か一緒のプロダクションですよね?」
「妻は出張でしたから、先に家を出ていました。」
「なるほど。」
「結局、僕が家まで行ったんです。」

圭一が言った。

「家まで!?」
「そうです。携帯がつながらなかったので…。」

圭一が明良の顔を見ながら言った。

「すごいあわてぶりでしたよ。…インターホンで「今何時だっ!」って副社長が…。」

圭一が思い出して笑っている。

「え!?それまでわからなかったんですか?」
「いつの間にか寝ていたらしくて…」

明良が照れ臭そうに言った。

「えーーー!」

司会者が笑いながら驚いている。スタッフも笑っている。

「結局、逃げ場がなくなって、車で一緒にプロダクションに向かったんですが、その車の中で仕方なくOKしたんです。」

明良が笑いながら言った。圭一も笑っている。

「すぐにOKしてくれたんじゃないですよ。運転しながらずっと悩んでて、もう事故るんじゃないかというくらいの困りようでした。ずっと考え込んでいるから、前ちゃんと見えてる?みたいな。」

司会者が笑っている。圭一が続けた。

「信号が赤になってないのに、横断歩道の大分手前で止まってしまったり…。曲がらなくちゃいけないところで、曲がれなかったり。」
「あぶなーい!」

司会者が口に手を当てて言った。圭一が明良の顔を見ながら言った。

「クラクション、何度鳴らされたか。」

明良は笑って何も言えない。

「で、結局、腹をくくられたと。」
「そうです。」

司会者の言葉に、明良が言った。司会者が笑っている。

「もっといろんな逸話がありそうですが、お時間のようです。スタンバイをお願いします。」

司会者にそう言われ、明良がため息をついた。圭一が笑って明良を見ている。

「ほら、副社長。」

圭一が明良をうながし、明良はゆっくりと立ち上がった。
司会者が笑いながら、2人がスタジオに移動するのを見送っている。

「では、北条明良さん、北条圭一さんで「モルダウの流れ」です。」

イントロが流れた。

最初は明良が歌いだした。変わらない声量と優しい歌声。緊張していたのがうそのようである。
2つ目のフレーズから、明良の斜め前にいる圭一が『ライトオペラ』で声を重ねた。
明良が圭一の声量に負けるように思えたが、明良は圭一のハーモニーとなり質の違う歌い方にもかかわらず、うまく融合していた。逆に相乗効果を出しているようにも見える。
明良は最後まで、メロディーを歌う圭一のハーモニーに徹していた。最後に向かうにつれ盛り上がるが、最後のワンフレーズでは2人とも急に声を落として静かに歌った。
曲が終わっても余韻がしばらく続いて、拍手が起きた。

圭一の笑顔がアップになり、嬉しそうに明良に振り返った。明良もほっとしたように笑顔を見せている。
圭一が明良に駆け寄って抱きついた。明良が圭一の背中を叩いている。そして体を離して握手をした。

雄一もカメラの横で立ち上がって、拍手をしている。


……

後日談だが、結局これも話題になり、相澤が調子に乗ってシングル収録を薦めた。
だが、さすがに明良は最後まで首を縦に振らず、シングル収録は実現とならなかった。

それでもこの時の映像は、相澤プロダクションに大事に保管されている。

(終)

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