小説『白昼夢』
作者:桃花鳥()

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 暖かい春風が吹いている中、男の子とチェレンはベルの家の前でベルを待っている。
 ベルがなかなか待ち合わせであるポケモン研究所に来ないので、男の子は純粋に心配していたのだがチェレンがまたか。と溜息をついてアララギ博士に断りを入れてベルを迎えに行こうという提案をして来たのですぐに了承して行ってみれば、ベルは大遅刻をしていたらしいのだ。
 ゲームでも出ていたベルのマイペースが発揮されたらしい。
 これには男の子も呆れてしまった。



 昨日はトウヤの部屋にあったパソコンで情報を集めたり、一晩中考えていたのだが、何も分からず仕舞いだった。
 だが、ある程度のこの世界の一般常識は把握できたのでこの世界の生活は困る事は無いだろうと男の子は考えている。
 問題は現実世界に帰る方法があるかどうかだ。
 今の所情報が少なすぎて判断がつかないので断言はできないが男の子は帰れると思っている。
 寧ろ帰れないと不味い。

 男の子はチラリと隣のチェレンを見る。
 彼は少し眉を寄せながら苛々した様子でベルが出てくるのを待っている。
 とりあえずまだ誰にも男の子がトウヤに憑依している事はばれてはいないようなのでまずは様子を見るべきだろうと男の子は思っているのだが、あと6日で旅に出ることになってしまうので悠長に構えている余裕はない。
 男の子は早くも自分が八方塞になりつつあるのを感じながら、こっそりと溜息をついた。



 男の子が溜息を吐いた後、ベルが慌てて家から出てきた。
 やれやれ、やっとか。
 男の子はそう思い、左腕に付けたライブキャスターの時計機能―――如何やら現実世界のポケモンゲームとは違い、このポケモン世界ではライブキャスターは時計機能もついていた―――の時間を確認すると待ち合わせ時間を1時間も過ぎていた。



 「待ち合わせから1時間過ぎるほどの遅刻って最高記録更新じゃないか?」

 「・・・・・・・ごめん、トウヤ」

 「謝らなきゃいけないのは俺じゃなくってそっちだよ」



 男の子は横にいるチェレンを指差すと、ギギギギギギッと言う音が聞こえそうなほどの動きでベルはチェレンを見た。
 ちなみに男の子はベルが出てきた時からチェレンの顔を見ないようにしている。
 ベルが出てきた時、チェレンから感じる気の様なモノで背筋が凍った気がしたからだ。
 男の子は日本人特有の事なかれ主義で好き好んで厄介事や危険な事にかかわる様な事はしない。
 ベルはチェレンを見たまま顔を青くして固まっている。
 ・・・・・・・・そんなに酷いのか。
 男の子はそう思ってもチェレンの顔を見ないように努める。



 「ベル、今度から遅れそうなら連絡なりしてくれよ」



 チェレンの低い声にベルは必死に首を縦に振る。
 絶対にチェレンを怒らせないと男の子はこの瞬間誓った。





 ?.思出








 「ハーイ!よく来たわね!ヤングガールにヤングボーイ!さあ、この服着てネームプレートを首にかけてね」


 俺たちが研究所に来るのを待っていてくれた特徴的なブラウン色の髪型をしたBWでお馴染みのアララギ博士は出会った途端に俺達に白衣とネームプレートを押し付けて言った。
 なんと言うかゲームやアニメでも見たり知ってはいたが職業柄なのか行動力のある人だなと男の子は思いつつ、白衣を着てネームプレートの首賭けに首を通す。

 それをアララギ博士は一通り確認して、さあ、ついて来て!と言って歩き出した。
 慌てて男の子達はついて行く。
 研究所の中はゲームよりもアニメの方の構造に近い様で、白を基準とした部屋の中には色々な機械があり、何かを印刷したりデータが表示されたりしており、研究員達があちこちで忙しそうに動いている。
 余りにも忙しそうなので、男の子は前を歩くアララギ博士に聞いてみた。



 「アララギ博士、もしかして急用でも入ったんですか?」

 「実はね、今日は知り合いの研究仲間が違う地方のポケモンの研究データを送ってくれる日なの。だから今日一日ポケモンたちの面倒を見る人が足りなくって、貴方たちにお願いしようという事になったのよ」



 ・・・・・・つまりあれか。チェレンにこの話を持ちかける前から俺達に自分達の仕事を押し付ける気だったのか。
 まあ、ポケモンを触れるから良いけど。
 男の子はそう思いながらアララギ博士に暫くついて行くと、研究所の裏に通じるドアが見え、それをアララギ博士が開けた。



 外の光が少し眩しく感じながら外に出るとそこには研究用の広大な敷地が広がっており、ポケモン達が伸び伸びと過ごしていた。
 きれい好きな性格のポケモンらしく、毛繕いをしているチンチラポケモンのチラーミィ、大きな木にとまり休んでいるのばとポケモンのハトーボー、野原を元気よく走り回っているたいでんポケモンのシママ等、多種多様なイッシュ地方のポケモンがいた。
 右隣に立っているベルが歓声を上げ、今にもポケモン達に飛び掛かりそうだ。
 頼むからポケモン達を驚かせるなよ。と思いつつ、左隣にいるチェレンを見てみると、チェレンは興味深そうにポケモン達を見ている。

 お前もか、チェレン。
 男の子はそう思ったが、沢山のポケモン達を見て自分自身も内心では今すぐに触れ合いたいと思っていた。

 世話をしていた研究員達の一人の短い茶髪で翡翠の瞳をした恐らく二十代後半の男性とアララギ博士は何やら二言三言言葉を交わして、じゃ!頑張ってね!と言って研究所の建物の中に帰って行った。
 これで思う存分に文研究データを読んだりできるわ!等とアララギ博士が言っていた様な気がしたが男の子は聞こえていないフリをする事にした。
 アララギ博士と話していた研究員が俺達の近くに歩み寄ってきて、人受けが良さげな笑顔を向けてきたが、男の子は嫌な顔だなと思った。



 「初めまして、俺の名前はイズミ。此処の新米研究員なんだ。俺はまだまだ半人前の研究員だけれど、何か分からない事があれば何でも聞いてくれ」

 「初めまして、イズミさん。俺はトウヤと言います。今日一日宜しくお願いします」

 「僕はチェレンです。宜しくお願いします」

 「べ、ベルです。宜しくお願いします!」



 少しどもってしまったベルに微笑しながら研究員のイズミは男の子達にポケモン達の相手をしてほしい。と言ってきた。
 この研究所のポケモン達は基本的に昼は研究所の敷地内に放していて、ポケモン達が逃げないように見張る研究員がそれなりにいるのだが、今日はアララギ博士の知り合いが違う地方の研究データを送ってくれる事になっているためそれにかかりきりになり必然的に見張る研究員が少ない。
 それを男の子達に手伝ってほしいらしい。

 ベルは真っ先に返事をしてポケモン達の所へ走って行った。
 そのあまりの速さに呆然とベルを見つめる男の子と研究員のイズミさん。チェレンはやれやれとも言いたげなため息をついた。





 3時間後。男の子は木陰でベルやチェレン達を見ながらポケモンのスケッチをしていた。
 1時間くらい前に研究員の人達が数人やってきてデータを処理し終えたと報告に来てくれた。
 男の子達は其処で家に帰っても良かったのだが、せっかくなのでもう少し研究所にとどまりポケモン達と遊ぶことにしたのだ。
 男の子はその時から事前に持ってきていたバックの中からスケッチブックを取り出してスケッチを始めていた。
 真剣に取り組んでいると、研究員の人達が男の子達を呼んだ。

 男の子はスケッチブックをそのまま木陰に置き、研究員の人達の方へと走った。
 走りながら研究員の人達を見ると色とりどりの何かが入った袋を一人一人数個持っている様だ。
 男の子は不思議に思ったが、すぐに思い当った。
 左腕に付けているライブキャスターの時計機能で時間を確認すると3時11分と表示されていた。
 恐らくだが、ポケモン達のおやつの時間だろうと男の子は思った。
 男の子が昨日調べた知識ではポケモンは基本的に食事は人間と同じく3回で―――種類によって2回のポケモンもいるが―――3日に一度くらいおやつを挟むと良いらしい。
 だから今日は偶然にもおやつがある日なのではと思ったのだ。
 男の子とベルとチェレンが集まったのを研究員のイズミさんが確認するした後、袋を男の子達に一つずつ差し出してきたので受け取ると、中には色とりどりの美味しそうなマカロンが入っていた。

 マカロンって、映画かよ。
 男の子は一瞬そう思ったが、すぐに頭の中から振り払った。



 「今日はポケモン達におやつをあげる日だからマカロンを持って来たんだ。ポケモン達に食べさせるのを手伝ってくれないか」



 研究員のイズミさんはにこやかな顔で男の子達に言った。
 男の子はまたしてもその顔に嫌な気持ちを抱いたが、面には出さず笑顔で対応し、了承した。
 ベルはとても嬉しそうに返事をしてからポケモン達の所へ走って行った。
 チェレンは冷静に返事をし、男の子に怪訝な表情を向けたが男の子はなぜそんな表情を向けられるのか分からず、とりあえず無視することにした。



 男の子は困り果てていた。
 ポケモン達が男の子に警戒心を抱いているのだ。
 近づく位なら良いのだが触ったりマカロンをあげようとすると男の子を避ける。
 遊んでいた時はベルとチェレンが近くにいたからなのか触ることはできたのだが、ベルとチェレンが男の子の近くにいない今はそれが出来ないでいた。

 これはあくまで仮説にすぎないが男の子はトウヤの体に憑依しているからだと思った。
 何時、何処で聞いたか忘れたが、心と体が合っていないと第六感が強い動物は警戒して近づかないと聞いたような気が男の子にはあった。
 男の子の魂とトウヤの体は同じでは無いのにおさまっている。
 それをポケモン達は本能的に感じていて男の子に近づかないのだろう。

 男の子は手に持っているマカロンをポケモン達にあげるのをあきらめてスケッチブックを置いた木陰に行くことにした。
 木陰に近づくにつれて男の子は何か黄色いモノがいるのに気が付いた。
 男の子は立ち止まり目を凝らすとその黄色いモノは動いているし、スケッチブックを器用にめくって眺めている様だ。
 恐らくポケモンが男の子のスケッチを見ているのだろうと思ったが、イッシュ地方に黄色いポケモンなどはたしていただろうかと思いつつ、男の子はゆっくりと黄色いポケモンに近づいて行った。
 そしてはっきり姿が見えた時、男の子は心底驚いた。
 ウサギのような長い耳にギザギザの尻尾。頬に赤い丸がある黄色い体。
 後姿だが、どっからどう見てもアニメの主人公サトシの相棒であるネズミポケモンのピカチュウがいた。



 なんでお前がイッシュ地方にいるんだよ。お前の生息地はトキワの森だろーが!
 男の子は心の中で叫んだ。
 その思いが伝わったのか、気配に気づいたのか分からないがピカチュウが男の子の方に振り向いた。
 そしてまたもや男の子を驚かせた。
 そのピカチュウの瞳の色は黒ではなく、空を切り取ったようなスカイブルーの瞳をしていた。
 つまり色違いである。公式の色違いとは違うが。

 ピカチュウはそのスカイブルーの瞳でひたすら男の子を見ていた。
 その視線は矢が突き刺さるがごとく見られていて男の子は居心地が悪かったが、ピカチュウが他のポケモンとは違い男の子に警戒心を抱いていないように見えた。
 警戒しているときの特有の緊張感がこのピカチュウには見られないのだ。

 男の子は少しずつピカチュウに近づいた。
 ピカチュウはそんな男の子を見つめるだけで動こうとしない。
 そのスカイブルーの瞳はまるで男の子の心を見透かしているようで恐怖を抱いたが、それと同時に何故か安心できるような気がした。
 男の子はピカチュウの目の前まで来ると、ピカチュウの目線に合わせるように屈んだ。
 ピカチュウは只々男の子を見つめている。
 男の子もピカチュウに負けじと見つめ返した。



 それからどれ位の時間が経ったのかは分からない。
 10分だったか1時間だったか。ライブキャスターの時計機能で時間を確認すればよかったのだが何故か男の子はする気が起きなかった。
 ピカチュウから視線をそらしてしまえば何かが変わってしまうような気がしていたからだ。

 そして見つけあいは唐突に終わりを告げた。
 ピカチュウは突然にっこりと笑い、男の子に飛びついて来た。
 男の子は他のポケモン達とは違い、飛びついてくるとは思っていなかったので受け身を取れず後ろに倒れてしまった。
 それでもピカチュウは気にしていないらしく男の子に甘えるようにすり寄る。
 男の子はそのピカチュウに恐る恐る頭を撫でると嬉しそうな顔をした。
 他のポケモン達とは違う反応に一種の感動を覚えながら今度は袋からマカロンを差し出すと有難うとでも言っている様にピカ、と鳴いて食べ始めた。
 その美味しそうに食べる姿に男の子は微笑ましい気持ちになりながらピカチュウを無意識に優しい目で見つめた。



 男の子はその後ピカチュウと木陰でうっかり昼寝をしてしまい、ベルとチェレンに笑われたのはこの世界に来て初めての良い思い出だと言えるだろう。


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