小説『【完結】Blue Scraper』
作者:bard(Minstrelsy)

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水平線の向こうから現れたそれは、最初は小さな点だった。
空に穿たれた、針の穴のような点。それがみるみる大きくなる。
ヒバリの様に高いところを舞うそれは、しかし美しい歌声ではなくジェットノイズを鳴り響かせる。
甲高い音が激しく空気を震わせ、岬を、僕らを突き刺す。
F-2、支援戦闘機。VIPER ZERO。駅で、僕らの頭上を飛んでいった機だろう。
F-2は高度を取りながら向かってくる。
僅かに機体を傾け、緩く旋回。
機体に施された洋上迷彩と日の丸のマーキングが、光を浴びて煌めく。
立ち上がったレンズが、機関銃のようにシャッター音を連続させる。まるで銃撃だ。
向こうからこちらは見えているのだろうか。
幾つものカメラに狙われるのは、僕ならあまり良い気分ではない。
機体がバンクする。ギャラリーへのちょっとした挨拶だろう。
甲高いエンジン音が、ギャラリーとカメラの存在を掻き消していく。
その一瞬を、彼女は逃さなかった。
デジカメから一眼レフに持ち替え、一枚。レバーでフィルムを送り、最後に一枚。
彼女が狙撃手の様に構えたレンズを降ろした。
それを最後に、シャッター音が止む。F-2の姿は、既に遠い。
ばらばらとカメラマンの群れが散っていく。
彼らはこの僅かな時の為にここに来ている。ほんの、数分にも満たない瞬間の為に。
あっという間だったが、彼女は満足しただろうか。ちらりと彼女の様子を伺う。
彼女は人の流れに背を向け、ぼんやりと突っ立っていた。
何かを待っているのか、それとも余韻に浸っているのか。
「待ってても次はもう来ないけど」
「うん、知ってる」
彼女はもう一度空を見上げ、それから海岸に目を移した。
祭りの準備を眺めているらしい。
「何かのお祭り?」
「うん。明日、花火大会あるから」
「そっか、花火大会あるのか……」
かたかたと電車が過ぎる音が聞こえる。
岬には、僕と彼女だけ。
カメラマン達の姿はもう無い。さっきの電車に乗って帰ったのだろう。
「電車、行っちゃったけど」
「別に。急いでないし」
諦めたような、疲れたような口調で彼女は言う。
ぼんやりと祭りの準備を眺めたまま、動こうとしない。
波の音が聞こえる。
潮を含んだ風が、彼女の髪を撫で、日に焼けた肌を滑っていく。
「写真、上手く撮れた?」
「多分。現像してみないと解らないけど」
「そっか。近くで見た感想は?」
「初めてだったから、ちょっとびっくりした」
「だろうね」
岬は静かだった。
遠雷の様なジェットノイズも、とうに消えている。
「明日」
「え?」
「明日の花火大会、来ても良いかな」
「ああ、うん。時間有るなら、来ると良いよ」
祭りの賑わいをカメラに収めるつもりなのだろう。
「この辺り来たこと無いから……予定合えば、案内して貰えると嬉しいんだけど」
彼女の頬が、ほんのりと染まっている。
陽の加減だろうか。それとも、さほど親しくない僕に頼むのに緊張したからだろうか。
「構わないよ。五時半くらいだったら、電車も混まないで乗れると思う。終点までだから、簡単に来れるだろ?」
「うん」
「明日は休みだから、ここで待ち合わせ」
「解った」
彼女の顔がほころぶ。水面の様に眩しい。
これが、彼女の本当の笑顔なのだろう。
あの子とは違う、柔らかで眩しい笑顔。飾らない、真っ直ぐな瞳。
何となく照れくさくなって、視線を逸らす。
レールの軋む音が聞こえる。電車が来た。
彼女はしばらく海岸を眺めて、ゆっくりと歩き出した。
「じゃあ、また明日」
彼女が駅へと向かう。
「迷子になるなよ」
僕はその背中に言う。大丈夫と彼女は笑い、手を振って電車に乗り込んだ。
程なくして、電車は来た道を戻り始めた。
小さくなる車両が見えなくなるまで、僕はその姿を見送っていた。


岬から、家へと続く坂道を降りていく。
祭りの準備で賑わう堤防を通り越し、路地へ。
あの子を誘うつもりだったのが、思わぬ話になった。
結果的には一人ではなくなったから、良しとしておこう。
特に予定が無ければ、友人達でも誘おうと思っていたところだ。
もっとも、彼らは誘わなくても来るだろう。人混みの中で顔を合わせるかどうかは、また別の話だ。
道の端を、猫が歩いている。トムとボムに似た毛色の猫だ。
そう言えば今日は構ってやらなかったな、とふと思う。
ひと撫でしてやろうと近付いたが、猫は僕に気付くと、首の鈴をちりんと鳴らして茂みに飛び込んだ。
鈴の音が一旦止まって、遠ざかる。
長い昼の残り陽が、猫が逃げた茂みを暗く浮き立たせていた。
その茂みを一瞥し、ぐっと猫のように身体を伸ばし、僕はゆっくりと歩き出す。

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