小説『【完結】Blue Scraper』
作者:bard(Minstrelsy)

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電車がやってくる。レールを軋ませ、ゆっくりと。
車両は、見る限り満席。ドアが開くとぞろぞろと客が降りてくる。
夕方、六時を少し過ぎた頃。岬は賑やかだった。
いつも岬に陣取っているカメラマンは姿も見えない。その代わりに家族連れやカップルが岬を埋め尽くしている。
浴衣を着た女の子、甚平姿のおじさん、まだ歩き始めたばかりの小さな子供もいる。
皆、今日の花火大会にやってきた人達だ。
その人の流れに押し出されるように彼女がやってきた。
「……お疲れ」
配っていた団扇兼プログラムを差し出す。
「人、多いね」
「この日だけは、特別」
彼女は意外にも軽装だった。小さな鞄一つ。あの大きな一眼レフは持ってこなかったらしい。
「カメラは?」
「デジカメは持ってきたけど……ああ、そうだ」
彼女は鞄を漁ると、一枚の写真を渡してきた。
そこには、モノクロの空が広がっていた。
グレーの濃淡で描かれた青空に、真っ白い筋が引かれている。その先端にはF-2。
「モノクロで撮ってたのか」
「現像したのも、私」
少しばかり胸を張って彼女は言う。
何でも、自宅に暗室があるらしく、親から現像技術を学んでいたらしい。昨日の一眼レフも親から借りたものだという。
戦闘機を追いかけて、一眼レフを使い、尚かつ現像まで自前でやっている。
そんな事は、見た目では勿論解らない。他人の事は、外見が一番アテにならない。
「流石にカラーの現像は出来ないんだけど」
「いやいや……モノクロでも出来る人はあんまり居ないって」
少なくとも、僕は今までに一度も出会ったことは無い。
そう言うと彼女は困った様に笑った。
「さて、と。出店の方でも行く?」
「うん。案内、よろしく」
僕はこっちだ、と彼女を案内する。人の流れに押し潰されそうだ。
振り返ると、案の定、彼女は巻き込まれて立ち往生している。
電車もかなり混んでいたせいで、少しばかり疲れているのかもしれない。或いは、元々人の多い場所を歩くのは苦手なのか。
僕も得意ではないが、そうは言っていられない。人の流れに逆らい、彼女の手を掴む。
掴んだ相手が人違いではない事を確かめ、歩き出す。戸惑う気配。
「迷子になるなって、昨日言っただろ」
「でも……」
何か言ったらしいが、雑音に紛れて聞こえない。
「迷子になられちゃ、案内も出来ない」
僕はそう言うと、彼女の返事を待たずに歩き出す。
元々岬から堤防へ降りる道は幅が狭い。
そもそも人通りが少ない道なのだ。車も通らないし、カメラマンも降りることはない。昨日も一人で歩いた。普段は気にもしていない。
だが、この時ばかりは道の狭さを恨む。毎年、たった一日の事とはいえ、暑い上に人が密集して歩くのだ。
足下に気をつけろ、と繰り返しアナウンスが流れている。どこかで子供が泣いている。暑さで参ったのか、それとも親とはぐれたのか。
道の先、人が群れて固まっている。行く先にあるのは縁日の入り口だ。賑やかさに足を止める人が多いのだろう。
のろのろと行きつ戻りつ、人波が揺れる。はぐれたら、探すのは難しい。
僕は彼女の手を離さないように、きつく掴んだ。


出店の通りに着く頃にはへとへとだった。
狭い道と人の群れから解放され、とりあえず一息つける場所を探す。
彼女も暑さと人混みにやられたのか、ぼんやりとしている。
と、出店に見慣れた顔を見つけた。近所のおじさんだ。中々繁盛している。
やはり、暑い時にはかき氷が一番だ。
僕が顔を出すと、おじさんは僕に気付いた。
「よぉ、来てくれたンか」
「オマケしてくれる約束ですし。儲かってます?」
「上々よ」
「僕の分は?」
「おぉ、三分遅けりゃ売り切れだったな」
そう言っておじさんは豪快に笑う。
ひとしきり笑った後、僕と彼女をしげしげと眺め、ぽつりと呟いた。
「お前、彼女居たンだ」
「へ?」
「隣のお嬢さん、彼女だろ?」
「友達ですよ、ただの」
「そんなにしっかりお手々繋いで言う台詞かァ?」
言われて初めて、彼女の手を掴んだままだと気付いた。
慌てて手を離す。痛かったのか暑かったのか、彼女は軽く手をさすり、曖昧に微笑む。
「照れちまって。お前、結構ウブだな」
「だから違うんですって……」
どう説明しても聞いてくれそうにない。
早いところ忘れてくれることを祈りつつ、かき氷を頼む。
僕はブルーハワイ、彼女は定番のイチゴを選んだ。普通よりちょっと多めの盛り付け。オマケという訳だ。
「二人でゆぅっくりした後で良いから、また顔出してくれよな」
「……解りましたよ」
放っておくと際限なくからかわれそうなので、早々に屋台を後にする。
出店は大賑わいだった。
焼きそばやたこ焼きの香ばしい匂い、カステラや綿菓子の甘い香り、くじ屋台の鳴らすベルの音。
祭りは始まったばかりだ。これからまだまだ人は増えてくる。
火照った身体に、かき氷の冷たさが心地良い。
「一通り回ってみよっか」
「うん」
離れない様に歩調を合わせる。
両手が塞がった状態では手を繋ぐ訳にもいかないし、それにからかわれるのも避けたかった。
彼女は気にしている素振りも見せず、あちこちよそ見をして歩いている。危なっかしい。
「縁日なんて久しぶりだなぁ」
「それは良いんだけど、迷子にならないでよ?」
「大丈夫」
そう答えた彼女は、既に浮ついた様子だった。
「いっそはぐれたら迷子センターで呼び出してやろうか。その方が探す手間が省けて楽だし」
「それじゃはぐれたら迷子センターに行くから。それで、呼び出して貰う。お迎えよろしくね?」
あっさり切り返され、何となく負けた気分になる。
呼び出される恥ずかしさに比べれば、彼女を見失わないで歩いた方がよっぽど楽そうだ。
僕はそう諦めて、祭りに浮かれた彼女の後をついていく事にした。
最初の堅苦しさが全く無い、これが素の彼女なのだろう。
魅力的だと思ったのは、祭りの雰囲気のせいだろうか。

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