小説『【完結】Blue Scraper』
作者:bard(Minstrelsy)

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翌日、薄曇り。
それが涼しさとは無関係なことは、暑さの代わりに増えた湿気が証明してくれる。
蒸し暑い。
快適とは程遠い。
それでも敢えて良いところを挙げろと言われれば、直射日光が無いくらいのものだ。
鬱陶しいを通り越して不快な感触は、夕立の気配を感じさせてくれる。
事実、遠くに見えるのはどす黒い雨雲だ。あと十分もすれば、土砂降りの雨になる。
湿気た空気を掻き乱して、今日も戦闘機は飛んでいく。
そして、それを目で追う女子生徒が一人。
彼女は今日も電車に乗り遅れていた。
昔の小説やドラマでありがちな「ごっめーん! 遅くなっちゃったー!」とか言って走ってくるタイプなんだろうな、と思う。あまり待ち合わせはしたくないタイプだ。
特に、夏。
数分でも待たされれば、きっと干上がる。
ホームの隅で、トムが仕切りに顔を洗っている。猫が顔を洗うと雨が降る、とは昔のことわざだったか。
ボムは顔を洗うのすら放棄したらしい。トムの倍の身体を横たえ、尻尾だけを苛立たしげに動かしている。
彼女は戦闘機を眺めた後、何枚か二匹の写真を撮っていた。
電車が少し遅れている。
ややあって、アナウンスが遅れを伝えてきた。土砂降りの雨で視界不良の為徐行運転、だそうだ。
遅れているのは、僕の方の路線だ。
彼女側は、辛うじて通常運転。滑り込んだ車両はびしょ濡れだった。
「やば……傘忘れた……」
彼女はトムを撫でて、慌てて電車に乗り込む。
その数分後、バケツを引っ繰り返したような雨がホームを襲った。
反対側のホームも見えないくらいの雨だった。


僕らの利用しているこの駅は、二つのプラットホームと四本の線路がある。
その内の三つが「本線」と呼ばれている。
僕の友人と、さっきの彼女が利用しているのがこの「本線」だ。
二本は上りと下り、一本は快速待ちやら普通電車が使う退避路線だ。
残りは僕の使う路線。
「本線」が街中を通っているのに対し、僕の路線は海沿いを走っている。
そして、この駅が始点であり、終点でもある。
ちなみに僕は、始点から終点まで利用している。
一応運営会社は同じなのだが、本線に対して見れば「ローカル路線」。相応の待遇、つまり本数が少ない。本線の半分程度だろうか。
よって、待ち時間は長い。お陰で、待つことには慣れている。
雨が止めば、そのうち電車は来る。どうせ、すぐに止む。
小降りになってきた頃、電車がやってきた。
遅れが出たせいかいつもより人が乗っていたが、僕には関係ない。人の流れが途切れれば、すぐに乗れる。
待っているのは僕だけだ。混まない事は解りきっている。
雲の切れ目から、日が差している。
その陽射しを浴びながら、電車はゆっくりと動き出した。


三日目ともなれば、パターンも読める。
電車が出て、ちょっとしてから彼女が走ってくる。
「ええー……うっそー……」
案の定。
ここまで予想通りの人間は初めて見た。多分、これから先もこんな感じなんだろうなぁと思う。
やはり、待ち合わせはしたくないタイプだ。
パターンのついでに、顔も覚えた。
同じ学校に居ながら、この先一生顔を合わせない奴も居るだろうし、そう言う意味ではちょっとした収穫だ。
そう、この補習を受けていなければ間違いなく顔を合わせる機会は無かった。
本日、快晴。
ベンチの日だまりではステーキが焼けそうだ。
トムが、水入れの水を舐め、嫌そうに身体を震わせる。幾ら日陰とはいえ、水もぬるいだろう。
もしかすると、お湯かもしれない。猫舌には辛いだろう。
そう言えば、と隣の彼女に目をやる。
初日に逢ったとき、彼女は部活だと言っていた。
格好と時間からして運動部では無いことは解った。だとしたら、文化系。
思考を遮ったのは、またしても轟音。
電車より、少し早めに聞こえてきたその音。
「……ファントム?」
F-4EJ、多分改。胴体左右のエアインテークが、ちょっとずんぐりとしたシルエットを形作って飛んでいく。今日は、三機。
そして、機体の名前を呟いたのは、やはり彼女。
戦闘機の名前を知っていて、見ただけで判別が付いて、尚かつカメラに収める彼女。
そういう生徒が所属していそうな部活を、僕は知らない。
戦闘機関連の同好会も無いし、写真部も無い。もし彼女が撮影しているのが鉄道なら、何となく想像は付くのだが。
或いは、単なる彼女の趣味かもしれない。
「……部活、何なの?」
電車に乗る直前、僕は思い切って彼女に聞いてみた。
「美術部」
そう答えて、僕と彼女は別れた。
ドアが閉まる。
(確かに、写真も美術ではあるな……)
終点の駅で降りて、展望台のある岬へ行ってみる。
何人かカメラを携えた人達が居た。
残念ながら、如何にもカメラ慣れしたオジサンばかりで、可愛らしい女の子なんて居るわけがない。
彼らの目的は、ただ一つ。
「あぁ、帰ってきた!」
演習を終えて帰投する、戦闘機の撮影。
そこかしこでシャッターの落ちる音がする。
(あの子が来たら喜ぶかもしれないな)
何となく、そう思った。
次に逢うことが出来れば、話してみようか。
そこまで考えて、ふと自分が可笑しくなった。
僕はどうして、彼女の事を気に掛けてやっているのだろう。
ファントムが旋回をして、翼を振る。
轟音。
途切れた思考。
そして、歓声。
僕も帰ることにしよう。

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