小説『【完結】Blue Scraper』
作者:bard(Minstrelsy)

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土日にしていたことと言えば、昼くらいまでだらだらして、夜は夜でだらだらして、夏休みの暑さ生活を満喫していたことくらいだ。
復習がどうとか担当の先生が言っていたような気がするが、真面目にやっているはずがない。
多分、僕以外でも同じことだろう。
あの子は、もしかしたらやっているかもしれない。
(赤点が勉強出来るとこ目指すんだったら、それくらいやるだろうなぁ)
恋っていうのは、そういうものだろう。メールでからかってやろうとも思ったけれど、止めた。
残念ながら、傷はまだ癒えていない。
メールで長々と彼氏のことでも書かれていたら、きっと僕は立ち直れない。
(案外、僕って駄目だったんだな)
夜だというのに、蝉が鳴いている。蛙の合唱が、こだまのように聞こえてくる。
明日から、また補習が始まる。あの子とまた顔を合わせなければならない。
眠れないのは、きっと暑さのせいじゃない。


「おっはよん……って何?元気無いじゃないの」
「多分夏バテ」
何も知らないあの子は、変わらずに明るい声で話しかけてくる。それが嬉しくて、辛い。
もし好きだとでも言っていれば、もっと気まずかっただろうか。それとも楽になれたのだろうか。
もう確かめるつもりも、気力も無い。
だるい補習が始まる。今週で終わりだ。今日を含めて、五日間。それで解放される。
終わったら気晴らしに縁日に行こう。あの子を誘った、花火大会に。
一人で散策するのも悪くない。近くで見る花火は良いものだ。時間が合えば、誰か適当な奴を誘えば良い。
そこまで考えたところで、ふと気付く。
(でもカップルばっかりなんだろうなぁー)
気の滅入る光景が頭をよぎった。そろそろ古傷になりそうなのに、真新しい傷になってしまいそうだ。
花火だけなら、家からでも見られる。もういっそ、それで良いような気がしてきた。
だるい補習が続く。それでも、気を紛らわせるには役に立つ。隣も何も意識しないでいられる。
それで成績が上がれば、受けた甲斐もあるというものだ。


それがいわゆる「やけっぱち」だったのか、ただの「現実逃避」なのかは解らない。
多分、どちらも大差ないのだろう。電車を見送りながら、僕はそう思っていた。
ぱたぱたと足音が聞こえる。彼女だ。
彼女は僕の姿を認めると、ベンチに腰掛ける。
背中合わせの、向こう側。先週は、僕の隣(とはいえかなり端に寄っていたが)に座っていたのに。
そして、違うところがもう一つ。
彼女は慌ててはいなかった。あんなに急いで乗ろうとしていたのに、今日は息一つ乱れていない。
諦めたのか、それとも、敢えて見送ったのか。
上空からプロペラ音が聞こえる。ヘリとは違う。民間のセスナでもない。
T-7、初等練習機。赤いペイントが見える。
ターボプロップ・エンジンの、戦闘機より穏やかな、しかし旅客機やセスナより鋭い音。
それが静かに、空を滑っていく。
「あなたは……男女の友情を信じているんですか?」
誰に訊いているのかと振り向きかけて、止めた。駅には、僕と彼女しか居ない。
敢えて電車を見送ったのだと悟る。きっと、僕と話す為に。
「本当に、あれで良かったんですか?」
やはり見られていたのだ。あの子との、やりとりを。
そして、僕の問いをも聞いていたのだ。
「そんなの解るものか」
「考えたくないだけでしょう」
容赦のない言葉が突き刺さる。傷に塩を塗り込まれたような、嫌な気分だった。
何もかも見透かしているような、抑揚の無い、まるで機械のような声。
彼女は続ける。
「今はただ、考える必要が無いだけです。答えは、見付かるものですから」
街頭に立つ妖しい宣教師のようだ。
何もかも知っていると言わんばかりの、態度。
トムとボムは、成り行きを離れたところで見守っている。
近付き難い雰囲気なのは、彼女のせいか、それとも僕のせいなのか。
「気に入らない」
僕はそう言い、振り向く。
彼女は微動だにしない。それが、僕の心を逆撫でる。
「人が振られるのがそんなに愉快か。それを眺めて、心の中では笑ってたのか」
あの時、何か言いたげだった彼女を思い出す。彼女は心の中で嘲笑っていたのだろうか。
だとすれば、さぞ愉快だったろう。これ以上は無い振られ方を晒していたのだから。
「違います」
表情も声も変えずに、彼女は即答する。
あの子のようで、それが僕を動揺させる。
「慰め方を知らないだけです。言葉が見付からないだけです」
ふっと、彼女の表情に影が差す。
憂いと言うよりは、哀しみ。
哀しみと言うよりは、憐れみ。
「そんなの……余計なお世話だ」
ベンチの背を掴む手に、力が入る。
そうでもしていないと、耐えられない衝動。
それと同時にこみ上げる戸惑い。
この気持ちは、一体何なのか。
自分の気持ちが解らない。こんな経験は初めてだった。
「そうですね。余計なお世話でしたね」
僕の状態を知ってか知らずか、彼女の表情はまた無機質なものに戻る。
感情の無い人形のようだ。
冷たいという言葉では生ぬるい。冷徹という言葉が似合う。
感情が無いくせに、人の心に土足で上がり込む。図々しい。
嫌な奴だ。
「だけど私は」
アナウンスが流れる。そろそろ、電車が来る。
「普通にあなたと話してみたかった。少しだけでも」
彼女が立ち上がる。僕に背を向けたまま。
陽の当たる場所に居たからか、汗でブラウスが薄く透けている。
「嫌われても、伝えておきたかった」
解らない。彼女は何を伝えたいのか。
「私の……」
扉が、僕と彼女を隔てる。
それだけじゃ解らない、と僕は心の中で叫ぶ。
嫌われてまで、何を伝える必要があると言うのか。
彼女は、嫌な奴だ。
何故僕にここまで構うのか。名前も知らない、クラスも違う、何の関係もない僕に。
感情を無くした声が頭にこびりついている。
憐れむような表情も、何もかもが離れない。
嫌な奴だ。
なのに何故、僕をここまで動揺させるのか。
あんなに嫌な奴だと思うのに、どうして、彼女を嫌いだと断言出来ないのだろうか。
そして僕は、何故ここまで動揺しているのだろうか。

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