小説『【完結】Blue Scraper』
作者:bard(Minstrelsy)

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ロクに眠れないまま翌日の補習を受けた。
程よく調整された室温が、良い具合に眠気を誘う。寝る寸前で、隣から突かれて目を覚ます。
昼休みまでに、それを四回は繰り返したと思う。
「あんた、寝てないの?」
昼休み、あの子は呆れた様子でそう言ってきた。
「暑くてねぇ」
「クーラーとか扇風機とか、タイマーにして寝ればいいじゃん」
「僕はエコロジストなんだよ」
持ってきたサンドイッチが喉を通らない。食欲もあまり無いのだ。
「ホントに夏バテしてんの?」
「かもね」
事実、夏バテ気味だ。だけど、理由は他にある。
一つは、言うまでもなく失恋のショック。
そしてもう一つは、彼女の事。何かを僕に伝えようとした、彼女。
暑くて眠れないのに考え事をしたせいで眠れなかったのだ。
そう、彼女の事。
(どうして気になる?)
自分に問えば問うほど訳が解らなくなる。
無茶苦茶になった考えを絶つために、僕は極めつけの質問をあの子にぶつける。
つまり、ショック療法。勢いよく傷口が開くのは、もう覚悟の上だ。
「一つ聞いていい?」
「ふぇ?」
「付き合ってくれって、先輩には君から言ったの?」
むぐ、とあの子がおにぎりを詰まらせた。それを大急ぎでお茶で流し込む。
「な、な、な、な、何よいきなり?」
質問の内容のせいか、目を白黒させている。
「で、どっち?」
僕は無視して訊く。
あの子はしばらく黙っていたが、観念したらしい。ようやく口を開く。
「一応、あたし」
「そうだったのか」
失血死しそうな勢いで傷口が開いたのを自覚する。
だが、まだ斃れるわけにはいかない。本題はここからなのだ。
「嫌われる、とか、考えなかった?」
あの子が喋りかけて、一時停止する。
どうやら質問の意図が掴めないらしい。
「言ったら気まずくなるとか、嫌われるとか、思わなかった?」
意図なんて、最初から説明するつもりは無い。だから、僕は淡々と訊く。
「え、ええと……そりゃまあ……そう思ったよ? もし駄目だったら明日から顔合わせらんないなーとか、喋れないなーとか、気まずくなるなーとか」
「じゃあ、何で言おうと思ったのさ」
「そんなの簡単じゃん」
ふと、あの子の顔から笑みが消え、真剣な目になる。
「言わなきゃ何も変わらない。例え嫌われてでも、どうなっても、伝えなきゃ駄目」
その言葉は、昨日の彼女と同じ言葉だ。
「黙ってても解るとか、言わなくても解るなんて、そんなの滅多に居ないって」
「よく恋愛小説とかドラマであるね、そういうの」
「だーかーらー、そんなのは無いの! 滅多に! 普通は言わなきゃ解らないんだから」
「後悔とか、しないの?」
「そんなの知らない。だって、言った後じゃなきゃ解らないし、言った後じゃ言わなきゃどうなったか解んないし。確かめようが無いじゃん」
嫌われてでも、伝える必要。
敢えて渡る、危険な橋。
そして、その意味。
むしろそれは、賭けに近い。
けれど、大切な事。
そう思って、僕はようやく気付く。
恋愛関係以前の、至極当たり前の人間関係ではないか。
極端で解りやすいのが恋愛関係なだけだ。
余計なことを考え過ぎなのかもしれない。
それは、多分以前から、そしてこれからもきっと同じだ。
「サンキュ、参考になったわ」
僕はそうあの子に言って、食べかけのサンドイッチを頬張る。
「……変なの。やっぱ夏バテじゃない?」
「だろうね」
それでも少し、眠れない原因は無くなっただろう。
ちっぽけな僕の決断。
それは、あの子には伝えないこと。
そして、彼女には伝えること。
それがどんな結果になっても、僕はきっと後悔しない。


彼女は居た。
ただし、通り過ぎる電車の中だ。
一瞬だけ、目が合う。
驚きと、少しの気まずさ。
それがあっという間に遠ざかる。
彼女は電車に間に合ったのか、それとも間に合わせたのか、それは解らない。
ただ、僕が伝える機を逸したことは間違いない。
諦めて、ベンチに座る。
「ん……?」
ベンチに置いてある、銀色の、手のひらサイズの何か。デジタルカメラだ。
駅には僕しか居ない。間違いなく、誰かの忘れ物だ。
(誰のだろう?)
悪いとは思いつつ、電源を入れて写真を確かめる。
液晶に広がる、目の覚めるような青空。それを何かが横切っている。
点のようなそれを、じっと見つめる。
この形は、間違いない。F-15J、イーグル。
日付は、先週の月曜日。
間違いない。彼女のカメラだ。
他の写真も再生してみる。
空と、戦闘機。あとはトムとボム。
(結構綺麗に撮れるもんだなぁ……)
ようやく僕は思い出した。
イーグルを撮っていた日の、彼女の表情。トムとボムを撫でているときの表情。
昨日みたいな人形のように無表情なんかじゃない。
声だってそうだ。至って普通の、それこそ血の通った等身大の女の子だった。
ならば昨日の彼女は、何だったのか。
あの子の言葉と彼女の言葉、そして昨日の状況を考えてみる。
「嫌われても、伝えておきたかった」と彼女は言っていた。
なら、それを伝えるための、演技なのか。
違う、と僕は否定する。
伝えようとしたからこそ、表情を、感情を消さなければならなかったのではないか。
わざとじゃなかったのかもしれない。ああやって装う他になかったのかもしれない。
意図的に感情を消して、ただ、淡々と。
とはいえ、それは本人にしか解らない。
ただ、僕はそう思う。確証はない。
(彼女は何を伝えたかったんだろう?)
改めて訊く以外に無いだろう。
それこそ、言って貰わねば解らないことだ。
手の中の青空は青く透き通っていた。
僕の心よりも、青く、高く、そしてどこまでも遠かった。

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