小説『【完結】Blue Scraper』
作者:bard(Minstrelsy)

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明日はまとめのテストだという担当先生の言葉を背に、僕はある場所へと急いだ。
行く先は、美術室。全く縁のない場所なので、とりあえず職員室で場所を聞いてから向かう。
駅に近い補習教室とは違い、美術室は最果てにあった。電車に乗り遅れるのも無理からぬことだ。
美術室に近付くにつれ、油絵の具の匂いや造形に使う粘土の匂いがしてくる。美術室独特の匂いだ。
廊下はしんと静まり返っている。
本当に誰か居るのだろうか。
「失礼しまーす……」
恐る恐る覗き込むと、二人の生徒と先生が居た。
一人は熱心にキャンバスに筆を走らせ、もう一人は何かを作っている。美術部員で間違いないだろう。
ならば、先生は顧問のはず。
比較的暇そうな先生に話しかけてみる。
「あのぅ……」
「どうしたの?」
「ここの部員さんの忘れ物を届けに来たんですけど…」
「えーっと、誰の?」
そういえば、彼女の名前を知らない。どう説明したものか。
名前は知らないんですけど、と前置きして彼女の特徴を述べる。
「デジカメ持ち歩いてて空とか飛行機の写真撮ってる子なんですけど」
「ああ、あの子ね」
通じたらしい。
やはり美術部内でも目立つ特徴の持ち主だったらしい。
「ちょっと前に帰ったわよ」
「え、帰っちゃったんですか」
「五分か十分か……そのくらい前かな。探し物があるからって、いつもより早めに出てったわ。擦れ違わなかった?」
「いえ……」
行き違いだった。
「まぁ、今ならまだ駅の辺りに居るかもしれないけど……。どうする? 良かったら預かっておくわよ?」
「えっと……追いかけてみます。駄目ならまた明日届けに来ますんで」
失礼します、と美術室に背を向ける。
慣れない場所は、中々に居心地が悪い。
それよりも彼女を追いかけなければ。
まだ帰っていないことを祈りつつ、急いで駅へ向かう。
学校の最果ての地である美術室から、駅へ向かって走る。
なるほど、ここから急げば息も切れるはずだ。


幸い彼女は駅にいた。
その顔には、焦燥と諦めの色が浮かんでいる。散々探し回ったのだろう。
僕に気付きはしたものの、構っている場合では無いらしい。
「あのさ」
肩を落とす彼女に、昨日のカメラを差し出す。
「多分、君のじゃないかなって思うんだけど」
彼女の目が驚愕に満ちている。
「何故あなたが……」
「昨日ベンチにあって、悪いとは思ったけど写真見たんだ。君の撮ってた写真だって解ったから」
「……」
「で、美術室に寄ったらもう帰ったって言うから、急いで駅まで来た」
少し、息を整える。
汗で濡れたシャツが肌に張り付く。今すぐにでも脱ぎ捨てたい気分だ。
「あの……ありがとう、ございました」
カメラを受け取ると、彼女はホッとした表情になった。
僕もそれを見て、少し安心した。
「駅員さんに聞いても無いって言われたので……諦めてたんです」
届けなかったのは、彼女に直接渡そうと思ったからだ。
週末までにもし逢えなければ勿論駅員に届けるつもりだったし、見当たらなければ顧問の先生に渡すつもりだった。
「拾った相手が良かったんだよ」
ネクタイを緩めながらそう冗談を言うと、彼女も笑う。
「他の人だったら、帰ってこなかったかもしれませんね」
「敬語は止めてくれないかな……ただでさえ暑いのに、その上堅苦しいのは嫌だし」
同年代に敬語を使われるのは、正直よそよそしくて好きではない。
全く知らない相手やそれ程仲が良くなければ使うだろうが、それでも多少は砕けた口調になるものだ。
彼女のようにきっちりと敬語で喋られると、どうも居心地が悪い。
「だって……その……名前も知らないし」
「お陰で顧問の先生に、写真好きの部員さんは知りませんかって聞くハメになったよ」
「ご、ごめん……」
彼女はようやく少し砕けた口調になる。
大人しめなのには変わりない。けれども、今までよりは明るい雰囲気だ。
快活というよりは、柔らかな明るさ。これが、本来の彼女なのだろう。
そう考えると、一昨日の彼女はまるで別人だ。
打ち解けていないにしても、あまりにも不自然な態度だった。
「先週と……あと一昨日のこと」
「あ……」
「やっぱり、見てたの?」
沈黙。彼女が視線を逸らす。
しばらくして、こくりと頷いた。
「その、見るつもりもなかったし……聞くつもり無かったんだけど」
それに関しては僕が全面的に悪い。気付いたのは、しばらくしてからだ。
人通りが少ないとは言え、往来でやりとりしていたのだ。見られても聞かれても、文句は言えない。
むしろこっちが文句を言われる方だ。
「別に怒ってないけどさ…その、あの後」
「……あの、後」
「気になるじゃん。何で声かけてきたのかって」
「……それは……」
言いにくそうに彼女は続ける。
「その、すっごい落ち込んでたし……えっと、週明けたら少しは大丈夫かなって思ってたけど、やっぱすっごい落ち込んでたし……」
よっぽど酷かったらしい。つまり、見ていられなかったのだろう。
黙って見ていられないし、かといって猫を構うだけというのも限度がある。
それで、話しかけてきたということらしい。
「飛び込み自殺するかと思った」
あんまりな一言だが、傍目にはそう見えていたということだ。
それこそ、彼女が何か言わなければやりかねないような雰囲気だったのだろう。
「それはそれで凹むな」
「そ、そんなつもりじゃ……」
「気にしないでってば。一々反応しすぎで逆におもしろいけどね」
む、と彼女がむくれる。少々機嫌を損ねたらしい。
「で、本題なんだけど」
そう、僕には聞かなければいけないことがある。
「僕に嫌われてまで伝えたいことって、何だったの?」
彼女がはっと息を呑む。今までとは違う沈黙。
嘘をつくとか誤魔化すことが苦手なんだろう。
そして、本音を言うことも苦手なのかもしれない。
もしくは、ただ嫌われることを恐れているのか。
「別に、嫌ったりとかしないし……」
「そんなの、解んないじゃん」
「それは、聞いてないから僕も同じだよ」
「そんなの……」
消え入りそうな声で彼女は呟く。
問いつめるつもりは無かったのにな、と今更ながら後悔する。
言ってしまった後悔。後戻りは出来ない。
その気まずさを打ち破るように電車到着のアナウンスが流れる。
彼女は口を閉ざしたまま、線路を見つめる。
お馴染みの、金属音。耳が潰れそうな程の、甲高い悲鳴のような音。
ゆっくりと彼女が首を振る。言えない、と唇が動く。
これ以上問い続ける事は出来なかった。
「解った。でも、これだけは教えてくれないか」
強張った横顔。
発着ベルが鳴る。
「君の名前は?まだ、聞いてなかったよ」
強張った横顔に、驚きの色が浮かぶ。安堵している様に見えたのは、気のせいだろうか。
ベルに掻き消されそうな声で、彼女は名前を言う。
そして、僕も名乗る。
扉が閉まり、車両が軋む。
遠くなるホームで、ぎこちない自己紹介を見届けたトムとボムが電車を見送っていた。

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