小説『【完結】Blue Scraper』
作者:bard(Minstrelsy)

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補習を一日残しての総まとめテスト。明日はテストの返却とそれの補習ということらしい。
「出来たら解散なー」
前回より少しだけレベルアップしたテストだったが、割合早く仕上がった。隣のあの子は相変わらず苦戦しているようだった。
それを横目に、僕は席を立つ。あの子は驚いたように僕を見て、小声で訊いてきた。
「終わるの早くない?」
「実力の差」
僕も小声で返す。
前回は単にあの子を待っただけだ。待つ必要がなければ、すぐに帰る。
「こないだ一緒くらいだったじゃん。少し待ってよー……」
「やなこった」
僕はそう言い捨て、答案を提出して帰る。
誰が彼氏持ちの為に待つものか、と心で返す。半分以上は嫉妬。
勝手に惚れて勝手に振られておいてあまつさえ嫉妬している。お門違いなのは解っている。
恋しさ余って憎さ百倍という奴なのだろう。
けれど、解っていてもどうにもならない。感情なんてそんなものだ。
温室のような廊下を抜ける。割合早く退室したからか、歩いている生徒は少ない。
この時間ならば、いつもより早めに家に着くだろう。
相手に合わせる必要が無いと、気が楽で良い。
そう考えながら、一人で歩く。
「あっ」
ぱたぱたと誰かが走ってくる。それも、僕に向かって。
あの子がテストを終えるか諦めるかして追いついてきたのだろうか。
まさかとは思うが、一応立ち止まる。
この暑いのにと思いつつ振り返った僕は、足音の主とぶつかりそうになった。
「わ……っと」
「ひゃあぁぁ」
情けない声で引っ繰り返ったのは、僕ではなく相手の方。
その相手は、彼女だった。
「何、やってんの」
「す、姿見えたから、走って、追いかけてみた…」
引っ繰り返ったまま、ぜいぜいと息を切らしながら彼女は言う。
慌てて僕は彼女を引っ張り起こした。何というか、あられもない姿だった。
男として何だか見てはいけないような気がしてならなかった。
「部活、終わったの?」
「ちょっと休憩。もうちょっとしたら、戻る」
「そっか」
二筋のラインが青空に引かれていく。シルエットと、エンジン音。
あれはT-4、中等練習機。丸みのある機体は、どことなく愛嬌がある。塗装は赤。
流石に青い塗装の機体は見られない。
「カメラ持ってこれば良かった……」
「戦闘機大好きだよね」
「まぁ、うん。変わってるってよく言われる」
「だろうね」
僕が出るのを躊躇う程の陽射しの中、彼女の眼差しは機影を追う。
じりじりと照りつける太陽が肌を焼いていく。このままだと熱射病になりかねない。
「倒れるぞ。早いとこ部室戻れよ」
「え、あ、そうだね」
ぼんやりと機体の行き先を見つめていた彼女が、慌てて日陰に入る。先に日陰で涼んでいた僕と並ぶ。
「あの練習機、何処行くのかな」
「知らないの?」
かなり意外だった。
あれだけ戦闘機を追い回している彼女だったが、どうやら通り過ぎた後のことは知らなかったらしい。
「僕の降りる駅の……まあ、終点なんだけどさ。そこ、岬になってて。多分その沖合で飛行演習とかするんだろうね。帰る時に近いところを飛ぶから、そういうの好きそうな人がカメラ持って居るよ?」
「ホント?」
「うん。翼振ったりとかするよ?」
彼女の目の輝きが倍増する。本当に知らなかったらしい。
「あ、あの、あのあの……」
興奮しきった彼女は、僕に掴み掛かりそうな勢いで迫ってくる。
「案内とか、案内とか、してくれないかな? あ、暇な時で良いから! 無理しなくて良いから!」
彼女の目は一応僕を見ているが、恐らく見えているのは明後日の方向だ。
「い、良いけど……」
「ホント? 良いの? いつ? いつ?」
やたらと高いテンションに、僕は思わず後ずさる。
豹変という言葉は、きっとこの為に存在するのだろう。
猫の様に大人しい彼女が、こうも変わるものか。
僕はもう怯えていると言っていいかもしれない。
「時間が合えば……明日でも良いけど……」
「あの、えっと、部活終わるのと補習終わるのと同じくらい、だよね? 駅で待ってていいかな? その、あの、遅かったら、待っててくれると嬉しいんだけど」
「解った……」
僕の態度に我に返ったのか、彼女の顔が赤くなる。
「ご……ごめんなさい。私、つい……」
それでも、テンションの高さは隠せない。遠足前の小学生みたいな感じだ。
「いや、別に、気にしなくていいよ」
半分は自分に言い聞かせる為に。好きなものが見られるのだから、はしゃいで然るべきだろう。
「それじゃ、また明日。そろそろ部室に戻るから」
「あぁ……また明日……」
熱中症で倒れそうなテンションのまま、彼女は部室へと帰っていく。
その熱気に当てられた僕は、軽く眩暈がしていた。
(もしかして、僕はとんでもないことを言ってしまったのか?)
ぬるくなったお茶を一気に飲み干し、僕は駅へと向かう。
軽くならない眩暈は彼女のせいなんだろうなと思いながら、ふらふらとした足取りのまま歩いていく。
グラウンドの歓声が、蜃気楼のようにぼんやりと遠く聞こえていた。


練習機が帰る。赤い塗装のT-4が。
翼を振って、僕の頭上を飛び越して行く。
夕暮れと呼ぶにはまだ早い空に、その軌跡を描きながら。
シャッターの音と潮騒が混ざりながら、昼の青さが残る海に溶けていく。
何度と無く見た光景だ。僕にとっては、馴染み深い、いつもと変わらない日常。
それは、彼女にとっての非日常で、ある意味羨ましい光景なのだろう。でなければ、ああもはしゃぎはしない。
「何黄昏れてやがンだい」
声のした方を向く。近所の顔なじみのおじさんだ。
何やら機材を運んでいる。見る限り、明後日の花火大会の準備だろう。
「少しくらい青春を満喫させてくれても」
「はっはー、若えなぁ」
そう言って豪快に笑う。
「おじさんも店出すんですか?」
「おうよ。夜店の定番のかき氷だ。お前さんも来るだろ?」
あの子を誘うつもりだった花火大会。少しだけ胸が痛む。
「まー、そのつもりです。予定が合えば友達とかと一緒に行きますよ」
誰かを誘う予定は今のところ無い。当日になれば、近くの友達には会うだろうけど。
「そん時ァ、ウチの氷喰ってけよ」
「オマケしてくださいね」
「ちゃっかりしてんなー」
じゃあな、とおじさんは作業に戻る。
堤防沿いを覗いてみると、出店の機材が所々並べられている。幾ら人も車も通らない場所だとはいえ、流石に準備が早すぎるような気もする。
けれど、年に一度の行事、しかも普段は滅多に人の集まらない場所だからか、気合の入れ方が違うということなのだろう。
水平線のすぐ近く、水色に塗装されたC-130Hが飛んでいく。
四発のターボプロップ・エンジンの音は、潮騒に紛れて聞こえない。
その姿が空と海の間に消える頃には、祭りの準備も一区切りを迎えていた。

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