「明留(あくる)先生、ちょっといいですか?」
廊下に出たところで、後ろから声をかけられた。
振り返ると、腰まである黒髪を惜しげもなく垂らした美少女がいた。黒冴愛実だ。
「何か質問ですか、黒冴さん?」
それはないとは思ったのだが、一応質問する。
そして、予想通り黒冴の用件は別だった。
「さっき斎姫の手を褒めたそうですね」
「褒めましたけど、セクハラとか言わないですよね?」
「言いませんよ。大体、斎姫がセクハラされたって訴えても、私は別に構いませんし、むしろガンガンやっちゃえとか思っちゃいます」
なるほど。仲が悪いという話は本当らしい。
「そんなことより、先生。八件目の殺人事件が起きた現場って、先生の自宅の近くですよね? 警察の事情聴取とかあったんですか?」
私は表情をなくして黒冴を見返した。
確かに、連続猟奇殺人事件の八件目の現場は、私の自宅の近くだった。目撃情報を得るために、警察が事情聴取に来ている。
だが、私はそれを吹聴したことはない。
それなのに、何故知っているのだ?
不意に黒冴が笑った。
「どうして知ってるんだって顔、してますね」
目を細めてクスッと笑う姿は、妖艶で気味が悪い。まるで心を見透かされているような気分になる。
「ちょっと調べればわかりますよ。これでもコネは多いんです。今回の連続猟奇殺人事件を担当してる刑事さんと、ちょっとした知り合いだったりして」
だからと言って、調べている事件を軽々しく口にするとは思えない。
「それで、先生、何か見たんじゃないですか?」
黒冴の灰色の瞳を見て、私は心底気味が悪いと思った。
そこにあるのは好奇心と期待だった。
陰惨な事件であるのはニュースで騒がれているのに、恐怖など感じず、どんな事件が理解した上で、好奇心と期待を持って問いかけてきている。
変わり者だと思っていたが、それ以上に異質で気味の悪い少女だ。
「申し訳ありませんが、私は何も見ていません」
そう答えるのが精一杯だった。
黒冴は残念そうな表情を浮かべて、もう興味がないという様子で、こちらに背を向けた。
だが、思い出したように振り返ると、嬉しそうに笑いながら言う。
「先生、斎姫の勧誘、頑張ってくださいね。努力次第で、綺麗だって賞賛した手を、身近で鑑賞出来ると思いますよ♪」
「鑑賞するために、引き抜こうしたわけじゃありませんよ?」
私の返事に、黒冴は楽しそうに笑った。
そう。心底楽しそうに、笑った。
「先生って、嘘吐(うそつ)きですよね」
私は、走り去る黒冴の後姿を見つめていた。いつまでも見つめていた。
見つめることしかできなかった。