だが、少し歩いたところで、愛実にガシッと腕を掴まれた。
「愛実?」
「戻るわよ」
「は? 何で?」
俺の疑問を無視して、愛実は今来た道を戻っていく。すると、ついさっき斎姫と別れた場所に、誰かいるのが見えた。
黒いパンツスーツを着た黒髪を結った女。
俺の頭に一人の人物が浮かぶ。そして、愛実の言葉に、その人物が間違いでないことがわかる。
「明留(あくる)先生、何をしてるんですか?」
愛実に声をかけられて、英語の明留先生は驚いた様子でこっちを見てきた。
しかし、すぐにいつもの温和な笑みを浮かべた。
「何って……私も帰る所ですよ?」
先生の返事に、愛実は腕を組んで楽しそうに問いかける。
「先生の自宅って、この辺りじゃないですよね? 学園から電車で五駅ほどいったところのはずです。まず歩いて帰れる距離じゃないですよ。しかも、猟奇殺人事件で騒がれているこの辺りじゃ、こんな薄暗くなってから、歩いて帰ろうなんて思わないですよ」
何で、こいつは他人の自宅を調べつくしてるんだよ?
まあ、それを差し引いても、先生がこんな住宅街にいる理由はわからねえけど。
「困りましたね、黒冴さん。教師は寄り道してはいけないのでしょうか?」
「こんな住宅街に?」
間髪入れずに追求する愛実に、明留先生は不安そうな、戸惑ったような表情を浮かべている。確かに愛実の言動も奇妙だが、先生の様子も何かおかしくないか?
「先生、『完璧を求めるクラウさん』って知ってますか?」
突然愛実が話題を変えた。
俺も先生も何を考えているのかわからなくて、眉を寄せる。
「……生徒たちが噂している怪談ですよね」
明留先生も、あの悪趣味な噂を聞いたことがあったらしい。愛実は少し不服そうに頬を膨らませた。
「都市伝説って言い方してほしいです。最近作った中では、結構な自信作ですので」
「あのくだらない噂を広めたのは、あなたですか……悪趣味とは思わなかったんですか?」
「思いませんよ。むしろ秀逸だと自負しています」
こいつ、悪趣味さに関しては反省してねえな。
だが、何で明留先生にそんな話をする必要があるんだ?
俺の疑問など置いてけ掘りにされて、愛実は先生への追求を続ける。
「逃げようなんて思わないでくださいね、先生」
「逃げるつもりはありませんよ。というか、どうして私が逃げなければいけないのですか?」
「噂って不思議なものなんです。広まっていくうちに、どんどん尾ひれがついて、最初のものと大きく変わっていくのが、また面白いんですよね」
俺は楽しそうに語る愛実と、どこか不安そうな明留先生を交互に見ることしかできない。