あ……あいつが、こっちを見る。動いて、動いて、動いてよ、私の体!
その瞬間、私の腕が乱暴に引っ張られた。声を上げそうになったけど、口もふさがれてしまう。
ギリギリで大男の視界には入らなかったみたいで、角に隠れた私と何者かを襲ってくる気配は無い。
「行ったみたいだな」
そんな声が聞こえて、口をふさいでいた手が外される。
「悪かったな。苦しかったろ」
私は振り返って、口をふさいでいた人物を見つめた。
明るい茶色の髪をした高校生だった。その制服は、有名な黒曜学園のものだ。このベッドタウンの近くに学園があるから、学校帰りなのかな。
本来だったら、私も通っているはずの学校だ。
失ってしまった日常が過ぎったが、すぐに振り払う。
「今、ここは危険だから、安全な場所まで送るよ」
私の様子になんて気付かないで、そう言って彼は立ち上がった。そして、私に手を差し伸べてくる。
その手を見つめていると、困ったような顔をして言う。
「えーっと、俺、怪しい者じゃないです。――って言ってもおかしいか。えー、見ての通り、黒曜学園の学生で、たぶん君と同い年ぐらい。笹塚(ささづか)宝楽(たから)っていうんだ。よろしく」
まあ、さっきの大男の仲間じゃないのはわかるけど……
私も名乗るべき、なのよね?
「私は、津軽(つがる)留衣(るい)です」
「んじゃ、早く逃げようか」
そう言われて、私は笹塚君の手を取った。
彼に手を引かれながら、私はベッドタウンを歩いて行く。
「あの、さっきの大男は何なの?」
「あー……『ベッドタウンの斧男』って奴だよ」
「……何それ?」
私が聞くと、笹塚君が振り返った。その目は少し驚きに包まれている。
「都市伝説だけど、知らないのか?」
「その、そういうの、疎(うと)くて……」
「ああ、気にすんなって。別に知らなくたって、人生の全然必要ないから」
そう言って、笹塚君は『ベッドタウンの斧男』という都市伝説を教えてくれた。
掻い摘んで言うなら、さっきの大男は、ヤクザの拷問のせいで、精神的に壊され、殺人狂になってしまったらしい。ベッドタウンで獲物を求めて徘徊しているそうだ。
さっきの勇者は、その獲物にされてしまったってこと?
ふと、背筋に寒気が走った。
何か嫌な予感がして、後ろを向いた。
何も無い。大男だっていない。でも、何かが引っかかる。
私は笹塚君の手を振り払って、来た道を戻っていた。笹塚君が何か言ってるけど、無視して角を曲がる。
そして、見てしまった。
そこに倒れている勇者だった中年男性の体が、光に包まれているのを。
そのまま、光の粒子になって、最初からそこに存在していないかのように、消滅してしまったのだ。
確かに地面に広がっていた血痕まで、綺麗に消え去っているのを。
どういうこと?
何が起こったの?
私は、何を見たの?
どうして……?
だって、あんな消滅の仕方……まるで、私たち勇者が、ゲームのキャラクターみたいに消去されたみたいじゃない。