トクン、トクンと優しい音がする。それに柔らかい温(ぬく)もりも感じる。
ゆっくり目を開けると、白いシャツが見えた。私が動いたのに相手も気付いたみたい。
「ああ、起きたか、留衣?」
薄暗いどこかの路地裏みたいだった。私は金髪の幼馴染を見つめた。
四ヶ月ぐらい離れていただけなのに、もう百年以上も離れ離れになっていたような気分だった。
「美鶴……?」
「ん?」
私は笑った。久しぶりに声を上げて、笑っていた。
「何で笑うんだよ?」
「変わらないなぁって思って」
笑いながら言うと、美鶴がどこか動揺したような様子を見せた。
「俺、変わってないか?」
「変わってないよ。何も変わってない」
甘えるように美鶴の体に頬を寄せた。肩に添えられた美鶴の手が、緊張したように力が入る。
「俺は、お前との約束を守れなかった。杏里(あんり)兄ちゃんだって――」
「いいの」
私は美鶴を見上げて、微笑んだ。
「何も言わないで。美鶴は私を守ってくれた。それだけでいいから」
「でも……」
私はまだ何か言おうとする美鶴に抱きついた。
お兄ちゃんも『エンドレス・エデン』をやってたのは知ってる。もしお兄ちゃんが、私と同じ状態になっていたなら――
その結末は考えるまでも無い。現実が、どれだけシビアなのか、私は知っているから。
でも、故郷を無断で出て行った私にだって、たぶん非はあるのだ。
だから、美鶴だけを攻める真似はしない。
「でも、留衣。お前まで……」
そう。気付いている。
頭にガンガンと響いていた声は、もう私には聞こえない。
そして、私は美鶴と同じ存在になった。
私の中に、重く暗い気配が渦巻いている。
私はもう勇者ではなくなった。
「ねえ、美鶴。これからどうするの?」
「俺は魔王として生きるよ。もしかしたら、留衣みたいに説得できる勇者がいるかもしれない。ゲームの声から解放される勇者がいるかもしれない。そのために、この街で生き続けるよ」
「だったら、私も残るわ。美鶴と一緒に勇者たちを説得する」
でも、勇者だった私は知っている。
ゲームの声が、どれだけ醜悪で、凶暴なものかを。
私には美鶴がいた。だから、自分を取り戻せた。きっと、私は奇跡だったんだと思う。また奇跡が起こせるかなんてわからない。
でも、この孤独な魔王のそばにいたいと思った。そのためなら、叶わないかもしれない彼の思いを、共に歩むのも悪くないと思う。
だから、彼に送った手紙の約束を果たそう。
「駿河満君。私は、ずっとずっと昔から、あなたが好きでした」
抱きついたままだった美鶴の柔らかい金髪を撫でると、ふと、背中に腕を回される気配がした。
「……津軽留衣さん。俺も、ずっとずっと昔から、君が好きでした」
私たちは、薄暗い路地裏で抱き合った。
まるで、この広い世界で、私たちだけが取り残されたかのように。
Side:Cへ続く