小説『君の隣で、』
作者:とも()

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「今回は出張じゃない、異動だ。フランスにある支社に異動が決まった。期間は分からないが、最低でも五年は向こうにいることになるそうだ」

「調度一ヶ月後から父さんは向こうに住むことになったの。…母さんもついて行こうと思ってるわ」



父さんの言葉を理解し掛けたところで、母さんがそう言った。

母さんの言葉に俺は顔を顰めると、父さんは苦笑いをした。


「ごめんな、今まで黙っていて。お前にとっては急な話だろうからすまないとは思うが、母さんと今までに何度か電話で相談してそういう話になったんだ。できればお前にも来てほしい」

「えっ、ちょっと待ってよ…」


余りに急過ぎる話に俺は混乱する。

俺が一ヵ月後にフランスに行く…?


「もちろん、無理にとは言わない。お前も高校に慣れて新しい友達も出来た頃だろう、そんな時にいきなりフランスだなんて言われても、もし父さんがお前だったら迷うからな。どうしてもと言うのなら、アパートを借りて一人暮らしをするのもいい。生活費は毎月きちんと送る。…だがな…」

「…」

「…長い間単身赴任で家を空けていたからな、俺は三人でまたゆっくりと暮らしたいという気持ちもある。できれば、お前も一緒に来て欲しいんだ」


最後の方はお願いをするように、父さんはそう言った。

俺はどんな言葉を返せばいいのか分からず、黙ってしまう。

ほんの少しの間考えただけで下せる決断ではなかった。


「今すぐ答えを出せなんて言わない、数日間考えてみてくれ」


その言葉を最後にこの話は終わった。

じゃあ俺は風呂に入るよ、と父さんが立ち上がるのを見て、母さんも立ち上がる。

俺は数秒間動けずにいたが、とりあえず晩ご飯を食べてしまおうとスプーンを動かす。

シチューはもう冷えてしまっていた。





俺は自室に行くと、ベッドにダイブした。

ぼふんとベッドの上で小さくバウンドした後、ごろん、と寝返りを打つ。



父さんの言葉を何度も頭の中で再生する。

フランスで三人で暮らす、…いまいち現実味が無い。

けれど現実に父さんの異動は決定したことであって、それに母さんはついて行くと言っている。

母さんは俺の判断に関係なくフランスに行くみたいだが、俺はそれに異論は無い。

何年も父さんはあまり家に帰っていなかったのだ、俺だって寂しく思っていたのだから、母さんが寂しく思わなかったわけが無い。

だから一緒にフランスに行って、今まで一緒に過ごせなかった時間を埋めてくれたらと俺は思う。



俺に来て欲しい、という父さんの気持ちも分かる。

三人でこの家にいたのは俺が何歳の頃までだっただろうか…。

詳しくは覚えていないが、いつも家にいた父さんはたまに家を開けるようになり、気が付けば今のようになっていた。

その事を父さんが申し訳なく思っていることは知っているし、俺や母さんともっと共に過ごしていたいと思っていることも知っている。

一人暮らしをするのも一つの手だ、だが父さんや母さんの気持ちを考えると、俺は二人について行くべきなのだと思う。



そう考えるのと同時に思い浮かぶのは…学校のこと。

高校という初めての環境、新しいクラス、そこで出会った先生やクラスメイト、…俊吾や薫。

共に過ごした時間、思い出す出来事が全て綺麗な思い出で、ただ楽しくてキラキラしていた日常。

それが無くなってしまうのかと思うと、俺はフランスへ行きたくないと考えてしまった。



そして何より気に掛かるのは、蒼のこと。

ただでさえ今彼とは距離があるのに、フランスに行くとなれば距離どころの話ではない。



自分の世界から、蒼が消える。

こころにぽっかり穴が開くなんていうものではない、心そのものが無くなってしまいそうだった。



蒼がいなくても大丈夫だ、そんなことを考えていた自分を俺は本当に馬鹿だと思った。

今、蒼と本当に離れ離れになるかもしれないという事態を目の前にして、死んでしまいそうなほど弱ってしまっている自分がいる。

心が痛い、ただただ、痛い。

締め付けられるなんてものではない、心が壊れてどうにかなってしまいそうだ。



フランスに、行きたくない。

父さんには悪いとは思いながらも、今の俺にはとても一緒に行く気にはなれなかった。



嫌だ、行きたくない。

蒼と離れたくない。

蒼と一緒にいたい。



俺はどうすればいいのだろう…。

どんな時も俺の相談にのってくれていた蒼なら、一番いい答えをくれるだろうか。



拒絶されたのにまだ蒼に縋り付こうとしている自分を、自ら哀れに思った。



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