当然ながらPIPSの開発目的は賢者の石のためではない。視覚ではなく、脳が認識する映像を出力し、それを記録するために開発された。
どういう事か。
手っ取り早い説明は、幻覚だ。幻覚は実在しないもの、つまり「見えないものが見える」状態だ。見えない、つまり視覚では捉えられないのだから、カメラでは体験者が何を見ているかは解らない。よって、体験者が何を見たかはスケッチや言語などの表現に頼るしかなかった。
だがPIPSは、その「見えないもの」を映像化し、出力することが出来る。詳しいメカニズムは解らないが、幻覚を見た時に発生する脳波を受信して解析することで、その映像を得られるという話だ。
幻覚の解析となると一般的ではないが、将来的には「想像した生き物や人物の姿を写す」「一瞬の記憶から犯罪者の顔を出力する」「見た夢の映像記録を残す」など様々な方面への利用が考えられるという。中々に壮大な話だ。
「居心地が良いからって寝るんじゃないぞ」
PIPSの内臓スピーカーからバーナー主任の声が聞こえる。
確かに、PIPSのカプセルベッドは寝心地が良いし音も遮断されてる。この中で眠れたら良い夢が見られそうだ。ついでに映像記録も出来る。
本当に眠くなってきた。
「よし、起動テスト開始」
バーナー主任の後ろから、PIPS起動、コード承認、と技師達の声が聞こえる。
微かにモーターの唸るような、小さな音。
頭部シールドに、ゆっくりと光が映る。
広がった光が像を結び、ぼやけた風景が段々とはっきりしてくる。
技師が覆いの掛けられたケースを持っている。その形だけですぐに解る。
「ぶっつけ本番だ。カバーを外せ」
バーナー主任の指示でカバーが外され、ケースが置かれる。カメラが操作され、視界一杯にそれが映る。
賢者の石。
俺が見ているのは、いつもの箱。
バーナー主任が音声を切ったのか、スピーカーからは何も聞こえてこない。
鍵穴が見える。
古ぼけた真鍮に見える金具。今にも壊れそうで外れそうなのに、しっかりと箱を閉ざしている。
あの中には何があるのだろう。
宝箱のような、それでいて、柩にも似た箱。そこに納められているのは一体何なのか。
確かめるには鍵が必要だ。
(鍵は今、何処にある……?)
「鍵は今、何処にあるの?」
ユキノの声が聞こえた気がした。
それを意識した時にはもう、俺の視界は暗闇に包まれていた。
いつも暗闇で感じる「生」と「死」。
今は、何も感じない。
隣にアリシアが居ないからだろうか。
(違うな)
何も見えない。モニターどころか、全ての電源が落ちたみたいだった。
ラボの電源が落ちる訳がない。もしも落ちたとしても、すぐに復旧作業が行われるはずだ。予備電源が起動しなくともライトくらいはある。
それに、PIPSのそばには技師も控えている。異常が起きれば、手動でカプセルを開けるはずだ。
強い違和感。
自分の状態を確認しようとして初めて、その正体が理解出来た。
肉体の感覚が全く無いのだ。
金縛りのように身体が動かないのとは違う。手を動かしている感覚も、自分が横になっているのかどうかさえも解らない。身体という境目が消えてしまって、まるで自分が意識だけの存在になってしまったかのようだ。
敢えて言うならば夢に似ている。失われた現実感。
俺は実験中に寝てしまったのだろうか。
「ねぇ、鍵は何処にあるの?」
声が聞こえる。幻聴か。
「お兄ちゃんは、鍵を知っているの?」
違う。この声は。
「ユキノ……ちゃん?」
これは夢なのか。
俺がユキノの夢を見ているのか。
「別にユキノって呼び捨てでもいいよ」
声だけの彼女は笑ってそう言った。
「ユキノ、君は本当に、ユキノなのか?」
「そうだよ。言ったでしょ、あたしとお兄ちゃんは同じなんだって」
何かを悟っているような言葉。
「同じだから、こうやって心が繋がってるんだよ」
「心が、繋がっている?」
意味が解らない。
ユキノは俺に構わず喋り続ける。少女らしからぬ、陶酔したような声で彼女は続ける。
「ここは箱の入り口よ。この箱は、賢者の石は、あたしとお兄ちゃんを待っていたのよ。賢者の石は、鍵を探している人を待ち続けていたの。……あたしとお兄ちゃんは鍵を探しているの。産まれる前からずっと。それが約束だから。お兄ちゃんも覚えているでしょう?」
それは、俺がずっと感じてきた思い。鍵を思う度に感じる、懐かしい気持ち。
遠い昔に誰かと交わした約束。
「箱を開けなければ……」
消え入りそうな声でユキノが言う。
「急がないと。あの人にも、伝えなきゃ」
気配が遠くなる。
「ユキノ?」
それと同時に徐々に視界が明るくなる。
「君は一体……」
何かが目の前で炸裂したような、そんな眩しさ。
全ての感覚が戻ってきたのは、その直後の事だった。