小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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「……ミ、カノミ、起きろ!」
 耳元から怒鳴るような声。バーナー主任だ。
「お前、寝てただろう!」
「え?」
「え? じゃない! テスト開始って言った傍から何をやっている!」
「……自分、寝てたんです?」
 馬鹿野郎、とスピーカーが壊れるくらいの怒声が響く。
「開始直後にレム睡眠反応が出ているんだ。寝るなと言っただろうが」
 あれ程の短時間で眠れるものなのか。ナルコレプシーであれば可能性はあるだろうが、その診断はされていない。
 気絶でもしていたのだろうか。
「すみません。緊張で疲れていたのかもしれません」
「しっかりしてくれよ……。まぁ、あのユキノちゃんも寝ちゃったらしいから、よっぽど寝心地が良いんだろうな」
「あの子も?」
 寝てしまったタイミングはユキノと同じ。そして、寝ていたらしい時に体験した、ユキノとの邂逅。
 自分が意識だけになった感覚。あれは本当に夢なのか。
 ユキノが言っていた事を思い出す。
 俺とユキノの心は繋がっている。
 あの箱は、俺とユキノを待っていた。
 箱が待っているのは、鍵を探す人物。
 俺とユキノは、産まれる前から鍵を探している。
 鍵を探すのは、それが約束だから。
 神話やファンタジーにも似た話だ。そもそも、賢者の石自体がファンタジーな存在なのだから、致し方ない部分があるのかもしれない。
 もし夢だとしたら、俺は何故こんな夢を見てしまったのか。
 考えられるのは「鍵を探している」という思い。賢者の石を、箱を見た時から、ずっと感じてきた思いだ。
 その気持ちを意識する度に、懐かしい気持ちが俺を包む。
 だから、ユキノの言葉は心に残った。懐かしいのは、産まれる前から探していたから。そして、誰かと約束したのだと確信しているから。
 箱をより強く意識した事で、俺はこんな夢を見てしまったのだろうか。
「ユキノちゃんもしっかり起きたぞ。仕切り直しだ。カノミ、次は寝るなよ」
「最善を尽くしますよ」
 もう一度モニターが像を結ぶ。
 箱は変わらず、同じ姿でそこにあった。
 今度は何も起きなかった。
 繋ぎっぱなしの無線から、小さくざわめきが流れてくる。反応を聞く限り、実験は成功しているのだろう。
さっき俺が見た夢らしきものは、恐らく記録されていないのだろう。夢の記録は、まだ構想の段階だと聞いている。このPIPSに出来るのは、俺の脳が認識するものを出力する事だけだ。
 それだけでも大した話だ、とは思う。
「お疲れ様です、カノミさん。実験、終わりました」
 技師の声と共にカプセルが開く。
「首尾は?」
「上々です。お陰様で予算も貰えそうですし」
「そいつは良かった」
「モニタールームで結果報告が行われるので、そちらへお願いします」
「解った」
 俺が出るのと入れ違いにアリシアが入ってきた。今度はアリシアが被験者となるのだ。
「随分寝心地が良いそうね?」
「言ってくれるなよ…」
 困った顔の俺を見て、アリシアは愉快そうに笑っていた。


 モニタールームにはまだバーナー主任は居なかった。アリシアの実験に立ち会っているからだろう。
「あ、やっぱりお兄ちゃんだったのね」
 バーナー主任の代わりに居たのは、ユキノだった。
 彼女に何と答えていいものか解らずに黙り込む。
 ユキノを連れてきたはずの研究員の姿は無かった。民間人を施設内で放置するとは何を考えているのか。下手に何かを触られたり物品を持ち出されでもしたら大問題になる。
「あたしの言ったこと、覚えてる?」
「……車の中の話かい?」
「違うよ。あの機械の時の話」
 機械の時。PIPSの事か。
 ユキノがそれを持ち出すという事は、やはりあれは夢ではなかったのだ。
「君は何を知っている?」
 そうユキノを質す俺の声は、幼い少女を相手とするには余りにも厳しい声だった。だが、彼女は全く気にしていないようで、淡々と答える。
「あたしが解るのは、言ったことだけだよ」
「心が繋がってるとか、君と俺が同じだとか、鍵を探しているとか……?」
「そうよ」
「どうしてそんな事が解るんだ」
「……そこまでは解らないの。あの箱を見た時に感じただけだから」
 箱を見た時。俺と初めて会った日か。
 あの時の彼女は普通の少女だった。それに、両親の前でも至って普通の、どこにでもいる娘だった。
 変貌するのは、解る限りでは俺の前だけだ。
(賢者の石が何らかのインスピレーションを与えた、か?)
 そうだとすれば、PIPSの一件の辻褄が合わない。システムの仕様として、他人との意識の共有など聞いていない。二台同時に起動した事が原因だろうか。
 開発部に問い合わせてみるしかあるまい。
 しかし、賢者の石は人の意識の奥に何らかの働きかけをするのだろうか。俺が初めて「箱」を見た時に感じたあの懐かしさも、賢者の石の影響だと言うのか。
 何も解らない。
 目の前の少女の事も、賢者の石の事も。
「あ、カノミさん、もう来ていたんですか」
 研究員が顔を出す。ユキノの様子から察するに、ここへ連れてきた研究員らしい。IDカードの色を見てまだ入り立ての新人だと解る。
「今まで何をやっていたんだ。民間人を一人にするなど何を考えている? 何かあれば責任問題なんだぞ」
「すっ、すみません……」
 そこまで怒鳴ったつもりは無かったが、俺の叱責に彼はすっかり小さくなっていた。

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