小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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 俺に叱られた研究員が消え入りそうな程小さくなってしまった頃に、ようやくバーナー主任とアリシアがやって来た。後ろには技師達も控えている。それと、何故かゲオルグも。
 広報用の取材だ、と彼は笑って言った。
「これの結果を公表するのか?」
「いいや。PIPS関係さ。一般向けにリリースするためだよ」
「脳内映像出力可能、とか?」
「センスの無いキャッチフレーズだが、まぁそんなところだ」
 静かに、とバーナー主任が全員を黙らせる。
 そっと周囲を見回す。ユキノが居ない。
「あの子ならカフェテリアに行ったわ。大人の話は退屈でしょ」
 俺の様子に気付いたアリシアがそっと耳打ちをする。
「まず、カノミとユキノ・サラシナが見た賢者の石の画像を見せる」
 プロジェクターにデータカードが入れられる。ややあって、暗い室内に画像が映し出される。
 研究員達がざわめく。
 並べられた絵。箱の形をしたもの。
 それが、二つ。
「右がユキノ・サラシナ、左がカノミのものだ」
 技師が細部の比較画像を出す。
 箱の全体図。そして大きさ。
 鍵穴の形。箱を閉ざす、古ぼけた金具。
 何もかもが、同じだった。
「質問があります」
 一人の研究員が挙手をする。
「何だ」
「今回、二台のPIPSを同時起動させた訳ですが、相互に影響は無かったのですか?」
「影響とは?」
「例えば、出力された画像を受信する際に干渉しあったり、片方が見た画像がもう一方のPIPSに映ったり……。或いは、カノミさんの画像が、サラシナさんの見たものとして扱われたりという事は無いのですか?」
「それは有り得ません」
 バーナー主任に代わって開発部長が口を開く。
「今回の実験は、それぞれ独立した受信・送信装置を用いています。データが混ざる事を回避するために無線で飛ばす形式ではなく、直接ケーブルを繋ぐ有線方式を採用しています。また、同時起動テストはこちらで何回も行っており、干渉の無いことは証明しています」
 つまり、このデータは正確だ、と言いたいのだろう。
 だとすれば。
「他に質問は?」
 バーナー主任の言葉に、挙手をする者はもう居なかった。
 これで、俺とユキノは同じものを見ていると証明された訳だ。だが、これが一体何を意味するのかは全く解らない。鍵が出てくる訳でもないし、あの賢者の石は相変わらず触れることが出来ないようだ。
(鍵、か)
 あのユキノの言葉を報告すべきだろうか。鍵を探しているという、彼女の言葉を。
 だが、在処が解らなければどうしようもない。それに、彼女の言う言葉を全て信じていいものか、判断に迷う。
 子供は時折、自分の想像した事を真実だと錯覚する事がままある。ユキノはまだ十歳だ。彼女がそうでないと言い切れるだろうか。PIPSで同じ体験をしたとしても、だ。
 嘘だとは言い切れない。そして、真実とも断じきれない。簡単には動けない。
(やはり、報告するべきか)
 顔を上げた時、箱の画像は消えていた。
 そして映し出されたのは、石版の画像だ。
 隣でアリシアが身震いをしたのが解る。俺はその手を、そっと握り締める。
 大丈夫だ、と自分にも言い聞かせるように、そっと呟いていた。


「続いて……これが、テイラーの見たPIPS画像だ」
 プロジェクターの画像が拡大される。
 石版には細かく文字が刻まれていた。
 端が所々脱落しているのを見る限り、随分と古いものに見える。文章はどうやら欠けていないようだった。
「賢者の石と関連する件で推測すると、エメラルド・タブレットの文面の可能性もある。使われている文字の特定も現段階では出来ないので、考古学方面との連携を図る」
「エメラルド・タブレット、とは?」
 開発部らしき技師が疑問を呈する。賢者の石に関して調べていなければ、解らなくて当然だろう。
 バーナー主任がその質問に答える。
「簡単に言えば、錬金術の基本思想、もしくは奥義を記した石版の事だ。名前の如くエメラルドの石版に刻まれており、それはヘルメスが刻んだと伝説では言われている。賢者の石そのものが錬金術師達が求め続けたものにちなんでいるので、先のような推測となった」
 バーナー主任の説明を懐かしい気持ちで聞く。
 これは、俺がこの研究所に来た時に散々勉強した事だ。
 賢者の石と名の付くものだ。歴史的観点からの考察も必要なのだ。元来賢者の石が何を意味して、そしてそれに関してどういった研究がなされていたのか。先人の知恵、と呼んでいいのかは解らないが、少なくとも何らかの足がかりにはなる。俺の仕事の大半は、昔の資料の再検証なのだ。エメラルド・タブレットはその入門編だったのだ。
「まぁ……あまり込み入った話をしても混乱すると思われるので、説明は以上とさせて貰う。他には?」
「無いようでしたら、開発部から今回の実験に対する総評を行いたいのですが」
「どうぞ」
 バーナー主任に代わり、再び開発部長が口を開く。
「今回の実験は成功でした。これで我々の開発したPIPSの実用化が現実味を帯びた訳です……」
 開発部長の声に熱が篭もる。対外交渉部のゲオルグが居るせいもあるだろう。彼にアピールする良い機会だ。
「それで、今後の計画ですが……」
 曰く、一基は応用システム搭載のためのテストベッドとして運用し、もう一基は商品化へ向けての改良に使われるそうだ。ソフトウェアとハードウェアにそれぞれ特化させて運用するという事らしい。
「小型化・汎用化に向けては上層部と掛け合いましょう。筐体の作成も今の規模では開発が追い付かない」
「お願い致します」
「では、広報課にもPIPS発表の準備をさせます。会議の日程が決まりましたら、また連絡します」
 いつもの飄々とした雰囲気とは違うゲオルグに圧倒されてしまう。対外交渉の仕事とは、こういうものなのか。てっきり広報と同じだと思っていたのだが、どうやら広報より更に実務的なレベルの話をするようだ。
 しっかり仕事をしているんだな、と今更ながら思う。
「以上で今回の起動実験を終了する。皆、ご苦労だった」
 プロジェクターが消され、室内に明かりが戻る。
 ユキノを迎えに行こうとする俺を、バーナー主任が呼び止めた。
「あの娘と居るときは、会話を記録しておけ」
「……良いんですか?」
「どうも話している事が引っ掛かる。子供の想像話だけとは思えんのだよ」
「主任も何か聞いたんですか?」
「帰ってから話す。先に送っていけ。遅くなってはまずい」
「了解です」
 バーナー主任も、俺と似たような気持ちを抱いているらしい。
 俺は内ポケットに忍ばせたボイスレコーダーのメモリ残量とバッテリーを確かめ、ユキノの待つカフェテリアに急いだ。

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