小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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 カフェテリアでは、年若の研究員がユキノの相手をしていた。
 ユキノにとっては丁度良い「お姉さん」となっていたようで、本当の姉妹のようによく懐いていた。
「あ、お疲れ様です」
 その研究員は俺の姿を認め、にこやかに微笑む。
「お話、終わったの?」
 そう聞いてくるユキノは、ごく普通の少女のようだった。
 彼女は普通とは思えない。今までの言動を見る限りは、だ。
 俺は忍ばせたレコーダーのスイッチを入れる。
「そろそろ帰ろう。夕飯に間に合わなくなる」
「うん! それじゃあ、お姉ちゃん、またね!」
 無邪気に手を振るユキノ。
 その姿はどこにでも居る少女なのに。


 帰りの車、ユキノはとても静かだった。
 というのも、余程疲れたのかそのまま眠ってしまったからだ。
 起こさないように、いつも以上に気を付けて運転をする。
 助手席で、ユキノはぐっすりと眠っている。
 正直、子供はそこまで好きではなかった。
 準研究員時代から今現在も、博物館の手伝いで何人もの子供の相手をしてきた。社会見学、家族連れ、迷子……うんざりする事が多かった。いつだって言うことは聞かないし、好き勝手に走り回るし、甲高い声でよく叫ぶ。無論全てがそうではないのだが、俺にとっては鬱陶しいだけの存在でしかなかった。
 ユキノは、そういう子供とは違う。
 賢者の石の事は置いておくとしても、可愛らしい娘だと思う。子供の苦手な俺から見てもそう感じる。
 自分に子供が居ても良いかな、と少しだけ思った。
「起きて、ユキノちゃん。家に着いたよ」
 車を止め、そっと彼女を揺り起こす。
 む、と少しむずかりかけたものの、眠そうに目をこすりながら起きる。
「おうち……?」
「そう、着いたよ」
 車を降り、助手席のドアを開けてやる。よたよたと足下がおぼつかないのは、まだ寝ぼけているからか。
 転ばないようにその手を繋いで、玄関まで連れて行く。
 小さな掌。ぎゅっと握り返す体温は、儚くて小さい。アリシアとは違う儚さ。
「国立総合研究所のカノミです。遅くなりまして申し訳ありません」
 インターホンを鳴らしてすぐに母親がやってきた。時刻はそろそろ夕飯時だ。娘の事を心配していたのだろう。
「ただいま、ママ!」
「おかえりユキノ。良い子にしてた?」
 その光景に、両親に愛されているのだな、と感じる。と、同時に、両親はユキノの事を知っているのだろうかと頭をよぎる。
 もしかすると、彼女は両親の前では賢者の石の事を話していないのかもしれない。箱に見えている事も、あまりよく知らないようだった。
 ユキノなりに気を遣っているのだろうか。だとすれば、何故。こういう話は、子供が両親に話し、そこから「普通ではない」と判断されたりするのだから。
 自分の過去と重なって、苦い気持ちになる。
 博物館を訪れてから、この家族に協力を求めるまでそれ程時間は無かった。だから、ユキノが賢者の石についてじっくり話す時間は無かったのだ。そう、自分を納得させる。
「次はいつ……?」
 母親が不安げに俺に訊いてくる。
「今のところ予定はございません。また後日ご連絡差し上げる形になります」
「解りました」
 少しだけほっとした声。国の中枢機関とはいえ、得体が知れないのだ。不安に思って当然だろう。
「それでは、また……。ご協力、ありがとうございました。つまらないものですが、よろしければ召し上がってください」
 協力のお礼に、と菓子折を手渡す。何事も最初は肝心、アフターフォローは大切だ……とバーナー主任から教えられたのだ。
 無邪気に喜ぶユキノに対し、母親は少し恐縮したようだった。
「では、失礼致します」


 二人に見送られ、研究所へと戻る。
 内ポケットに忍ばせていたレコーダーのスイッチを切った。ユキノは寝ていたのだ。収穫など有る訳がない。
 PIPSで見た箱を思い返す。
 ユキノが見ていたものも、同じ箱。
 研究所に戻れば、これの解析に掛かりきりになるだろう。どのようなアプローチが有効なのか、まずそれから探さねばならない。アリシアの見た石版に書かれている内容も気に掛かる。
 資料整理や文献検索が主だった仕事が、一気に変わる訳だ。
 だが、解ったことよりも、解らないことの方が多い。正確には、解らないことが増えた、と言うべきか。
 ユキノにも協力して貰わねばならないだろう。
 彼女の言う、鍵。
 彼女が鍵を見付ければ、あの箱を開ける事が出来るかもしれない。そして彼女の言葉を信じるならば、俺が見付ける可能性だってあるのだ。
 開けたら何が入っているのか。
 あれは、バーナー主任の言うパンドラの箱なのか。
 疑問は尽きない。

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