小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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 車中で考えていたのは、鍵の事。やはり、気に掛かる。
 PIPSで鍵は見えていなかった。それはユキノも同じ。賢者の石の傍らに置いてある、という訳ではないようだ。
 ふっと思ったのは、アリシアの見た石版だ。あれに書かれている文章が鍵の在処なのかもしれない。或いは、その石版自体が鍵となっているか。石版の解読を進めることが、箱を開けるための鍵だとしたら。
 だが気になるのは、それが「同一の物体」であることだ。
 見える形で「箱」だの「石版」だのと言ってはいるが、あれはそもそも「賢者の石」だ。同じものが別の形に見えているだけなのだ。別々のものではない。
 箱を開けてしまえば、きっと石版は見られなくなる。だが、触ることも出来ないのにどうやって開けるのか。鍵があれば箱が実体化して触れるとでも言うのだろうか。
 ユキノは他に「あの人にも伝えなければ」と言っていた。
 彼女の言うあの人。真っ先に思い付いたのは、勿論アリシアのことだった。
 そう考えるのが筋だろう、とは思う。今のところ何を見ているか判明しているのは、俺とユキノ、そしてアリシアだけなのだから。この状況では、俺達以外に該当者が思い浮かばない。
 だが、これも解らない。この研究所の人間以外の可能性だって十分にある。むしろ、その方が高いくらいだ。だとすれば、「あの人」を見付けるのはワラの山から針を探し出すようなものだ。考えるだけで気が遠くなる。
いずれは他の研究員もPIPSの実験に参加するだろう。俺の知らない誰かが「鍵」を見ている可能性もある。ユキノの言う「あの人」の可能性も大いにある。今は、それに賭けよう。
 暗くなった窓の外に目を向ける。
 街道沿いのレストランから、暖かい光が漏れている。丁度ディナーの時間で、かなり賑わっていた。いつもならば仕事帰りに寄れそうなのだが、生憎今日は夜勤だ。夕食は所内で済ませる事になる。
 ゲオルグは多分忙しいはずだ。アリシアは帰ってしまっただろうか。確か、夜勤ではなかったはずだ。
 今日は久しぶりに一人の夕食になりそうだ。今頃は家族で食卓を囲んでいるであろうユキノを思い浮かべ、酷く寂しい気分になる。
 より一層暖かさを増した光を横目に、俺は研究所へと車を走らせた。


 車のキーを戻しに受付へ行く途中、ゲオルグと会った。何やら調整に忙しいらしく、挨拶もそこそこに廊下を通り過ぎていく。
「あ、そうだ」
 足を止め、ゲオルグが俺を振り返る。
「何だ」
「考古学チームがお前のこと探してたぞ」
「あいつらが? 何で」
「知らんよ。今日の実験関係じゃないのか」
「解った、行ってみるよ」
「端末で呼び出したが返事がないとか言ってたぜ」
「客人を送ってたんだ。出る暇ないよ」
 そうか、と彼は愉快そうに笑う。
 彼も今日の実験に立ち会っていたのだ。実験結果の発表の時にユキノは居なかったが、その前に顔を合わせていたかもしれない。
 彼にとっても、ユキノは普通の子供なのだろう。
「プレスへの発表は順調にいきそうなのか」
「まあな。何とかなるさ。とりあえず医療関係への利用を重点的にアピールすることになってな。今はそれの調整なのさ」
「俺達の実験は、あまり役には立たなかったみたいだな」
「ま……賢者の石に対する発表は出来ないからな。俺としては動作や信頼性を見に行ってた訳だし、そういう意味では大いに役立ったさ」
 呼び出しが聞こえる。今回は俺だった。
「それじゃケイジ、またな」
「おう、お疲れ」
 ゲオルグを見送り、騒ぎ立てる端末を手に取る。
「……はい、カノミです」
『考古学研究チームのサリム・リヴェットと申します』
「すみません、何度か呼び出しして頂いたようで……」
『いえ、こちらこそお忙しいのに申し訳ありません』
「それで、ご用件は?」
『ええと……今日のPIPSの画像解析で、少しご協力願いたい事がありまして』
「私に出来ることであれば、喜んで」
『助かります。お食事を済まされてからで構わないので、考古学ラボまでご足労願います』
「解りました。では、後ほど」
 通話が切れてすぐにデータを受信した。彼の言っていたラボへの案内図だった。ここからだと少し遠い。場所によっては食事の前に顔を出そうと思っていたのだが、腹ごしらえをしなければ厳しい距離だ。ここは彼の好意に甘え、食事を先に済ませる事にする。
 ほんのりとミートソースの香りがする。食堂の賑わいがさざ波のように聞こえる。
 研究の事は一旦忘れて、今は食事を楽しむこととしよう。

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