小説『Ark of the Covenant -lapis philosophorum- 』
作者:bard(Minstrelsy)

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 空きっ腹はミートソースの誘惑に勝てなかった。目の前にはミートスパゲティ。
 そして、ゲオルグ。
「またな、とは言ったが、食堂ですぐ後にという意味ではなかったんだぜ」
 彼の前には鯖の塩焼き定食。彼は和食が好みらしい。
「それはこっちも同じさ。俺はあの後打ち合わせに行ったもんだと……」
「俺は夜勤じゃないからな。飯食ったら帰るさ」
 仕事の話はそれで終わりとなった。
 俺はこれから考古学ラボへ行かなければならないし、ゲオルグも今日は終わりとはいえ明日も忙しい。せめて食事の間だけでも仕事を忘れたいのは、俺も彼も同じだった。
 ただ、仕事以外の話となると……。
「で、アリシアちゃんとは最近どうなんだ?」
 ……決まってこれを突っ込まれる。何よりも真っ先に、だ。
「それ以外の話は無いのか」
「無いな。最優先事項だ」
 俺は小さく溜息をこぼす。
「世間話や趣味の話とか、他にもあるだろ」
「いいや、無いな。友人の一人としては気になる話だよ。お前ら二人、いつになったらめでたい報告が聞けるのかってな」
 それは、先日両親にも言われたことだった。
 付き合ってかなり長いのだから、そろそろ身を固めるべき時ではないのか、と。
 アリシアと付き合い始めたのは、二十歳になる少し前。半分同棲みたいになったのは、カレッジを卒業してすぐ。
(そろそろ九年、か)
 結局互いに踏み込めないまま今に至る訳だ。
 この関係に落ち着いてしまっているのかもしれない。つかず離れず、恋人同士だから家庭なんていう概念もない。
「いつになったらってなぁ……」
 両親を安心させてやりたい、とは思う。一応互いの両親に挨拶は済ませている訳だし、いずれは、という前提で付き合っているのだ。
 ただ、その「いずれ」がいつになるか決まっていないという話だ。
「アリシアちゃんも待ってると思うぜ?」
「それはそうだろうけどさ……。そういうの、愛さえあればって訳にはいかないんだ」
「別に結婚したら辞めなきゃならんとか、そんな大昔みたいな話は無いんだし。経済面でどうこうってのは無いだろう。お前も金持ってんだし」
「まぁな」
「じゃあ何でさ」
「色々あるんだよ。覚悟が決まらない、とでも言えばいいのかな。家庭を持つっていう実感がまだ無いんだよ。……あいつも、アリシアも多分そうだと思う」
「そういうもんかねぇ」
「そういうものさ」
 愛さえあれば、と流行歌や恋愛話では言うけれども、実際そういう訳にはいかないのだと実感する。半分同棲している段階でもそう思うのだ。夫婦として一つの家庭になれば、更に色々あるのだろう。
 それでもアリシアとならば、と思うのは、ユキノの両親に会って家庭というものを見てしまったからかもしれない。家庭を持つのも悪くないな、と感じてしまったせいだろう。
「絶賛熱愛中だろうに」
 ゲオルグが呆れたように呟く。
「学生時代に比べれば落ち着いたよ」
「あれでか?」
「……どういう意味だよ」
「隠れてイチャついてるくせに」
 肯定も否定もしない。
「図星か」
「放っといてくれよ、もう……」
 思わず顔を覆った俺を見て、ゲオルグは愉快そうに笑っていた。


 散々俺を弄り倒して満足したのか、彼は上機嫌で帰って行った。
 俺はと言うと、遊ばれて疲れ、夜勤の事を考えてげんなりとしていた。
 とにかく、今から考古学ラボへ行かねばならない。端末を操作し、案内図を呼び出す。
 電子音が小さく鳴って、ナビが起動した。
 考古学ラボといえば、アリシアの見た石版の解析を行っているはずだ。アリシアとはPIPSの起動前から一緒にやっている。彼女が呼ばれているのは当然としても、何故俺が、と思う。
 彼女が俺を呼んだのならば、ラボの研究員を通さずとも直接俺を呼ぶ。いつだってそうしていた。だが、考古学チームとの話で呼ばれた事は一度もない。そもそも、俺が必要となる事態が想像出来ないのだ。
アリシアでなければ、呼ばれる理由に心当たりはない。
 PIPS繋がりで呼ばれたのだろうか。俺が見たあの箱が、何か考古学方面からの解析が出来たのだろうか。それならば、納得出来るのだが。
〈次、左デス〉
 無機質なナビゲーションが誰も居ない廊下に響く。
 そろそろ残業組も引き揚げる時間だ。
 幽霊など居ないと解っていても、静まり返った廊下は何となく不気味だ。
 ナビを確認し、俺はラボへと急いだ。

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